漢詩徒然草(36)「徂春」

平兮 明鏡
2024/4/8

躚躚片片復躚躚 躚々 片々 復た躚々
風落櫻花三月天 風は桜花を落とす 三月の天
幾百香魂入心髓 幾百の香魂 心髄に入る
徂春紅雪莫寒焉 徂春の紅雪 焉れより寒きは莫し

徂春 … 徂《ゆ》く春。去ってゆく春
躚躚 … 高く舞い上がるさま
片片 … ひらひらとひるがえるさま
三月 … 旧暦三月。晩春にあたる
香魂 … 花の魂
心髓 … 心の中
紅雪 … 紅い花の散るさまを雪に喩えたもの


前々回は、春の魁《さきがけ》である梅が花開く予感の詩を、前回は、その梅も散ってしまったあと、桜の花が春を受け継ぐ、という詩を作りました。今回は、その桜も散り、去りゆく春を見送る詩になります。

躚躚片片復躚躚 躚々 片々 復た躚々

風に吹かれ高く舞い上がる桜の花びら――ひらひらと地に落ちてゆくかと思うと、また風に吹かれて空へと飛ばれされてしまいます。

風落櫻花三月天 風は桜花を落とす 三月の天

もう吹いてくれるなと、春の風を恨めしく仰ぎますが、そんな思いはお構いなしに、空はその大気を回《めぐ》らし続けます。季節の移ろいは誰にも止めることはできません。

幾百香魂入心髓 幾百の香魂 心髄に入る

幾百の花びらが舞っては散ってゆく、そんな光景を茫然と眺めていると、花たちの魂が心の中に入ってくるような錯覚を覚えます。春の陽気と相まって、自ずと朦朧とした世界に誘《いざな》われてゆくのです。

徂春紅雪莫寒焉 徂春の紅雪 焉れより寒きは莫し

徂春に散ってゆく淡い朱色の雪ほど寒さを感じるものはありません。春暖の季節にあって、なお感じるその寒気は、現実離れした何とも言えない寒さなのです。


あなたは「桜が散って哀しい」という心情をどう表現しますか?

ここからは、今回作ったこの詩を題材に、詩作のコツについてお話していきましょう。これまでのおさらいとも言える内容になりますが、覚えているでしょうか?

以前にも述べたように、詩とは感動の追体験です作者が体験した感動を、すべての読み手にも体験してもらうことこそが、詩の真骨頂です。

しかし、ここでただ「桜が散って哀しい」と言っても、読み手には「そうか、哀しかったのか」と思われるだけで、その感動を伝えることはできません。ただ「哀しい」とだけ言ってしまっては、本人だけの感想として完結してしまっていて、「作者が何をどのように感じたか?」が伝わることはないからです。

よって、作者が本当に感じたことを伝えるには、その作者しか知り得なかった体験を誰にも共感できる形で表現し直す必要があります。

↑の「漢詩徒然草」のタイトル画像に、

紡言紡句如紝綵 言《ことば》を紡ぎ 句を紡ぎ 綵《あや》を紝《お》るが如く
換思換神宜作詩 思いを換え 神《こころ》を換え 宜しく詩を作すべし

とあるように、手を変え品を変え、その思いを言葉へと変換しなければなりません。それには、着想というインスピレーションや、また、修辞というテクニックが必要になってきます。

この詩の核心となるポイントは、ズバリ「紅雪」という詩語です。春雪とは註にあるように、紅い花の散るさまを雪に喩えたものです。今回は、特に「雪」という字から「寒」というインスピレーションに繋がりました。この「寒」が「桜が散って哀しい」という思いにピッタリと符号しているのです。


躚躚片片復躚躚 躚々 片々 復た躚々
風落櫻花三月天 風は桜花を落とす 三月の天

前半では、実際の桜の散る風景を描写します。これは舞台装置であり、この詩の一番言いたい「紅雪」へと繋がる伏線です。ここで上手く読み手にその風景を具体的に思い描かせることができれば、最後のオチである「紅雪」の感動の共感にも繋がります。

ここでは「躚躚」「片片」といった畳字を多用しています。畳字とは、同じ字を繰り返す二字の熟語です。同じ字を繰り返すので、当然同じ意味と発音が繰り返されることになり、意味の上でも発音の上でも、独特の風情が生まれます。

この起句では、ひたすらに花びらが落ちるさまを表すのによいと思って用いたのですが、これは本来は注意が必要です。畳字は詩にアクセントを持たせるのによいのですが、ここぞというところで用いないと、意味のない使用になってしまいます。特に多用は禁物です。効果的に使うには難易度が高い修辞法だと思った方がよいでしょう。

今回は、起句がすべて畳字になっています。一句のうちに3つも畳字が続くのはまずないのですが、古人の詩にもその例があり、その模倣がやりたかったというのがありますが、少し安易だったかもしれません。

幾百香魂入心髓 幾百の香魂 心髄に入る
徂春紅雪莫寒焉 徂春の紅雪 焉れより寒きは莫し

後半では一転して、実景から心理描写へと移ります。その舞い散る花びらを花の魂に見立てて、それが自分の心の中に入ってくると言うことにより、花たちが訴えてくる圧倒的情景を表現しようと試みました。

これも「桜の花の散るさまを作者がどう感じているか」を具体的に表した表現です。「すごかった」とか「感傷的だった」では、読み手にその感動が伝わることはありません。「おびただしい数の魂が入ってくる!」と表現して、はじめてその体験が伝わるのです。

そして、いよいよ「紅雪」の登場です。

暖かな晩春にあって、いや、その時期だからこそ「寒」の字が活きてきます。冬の雪が寒いのは当然です。しかし、それよりも春の花の雪の方が寒さを感じさせる、と言うことにより、実際の寒さを超えた心情的寒さを言い表すことができます。

「桜が散って哀しい」という心情をどう表現するか?

作者が心に感じている寒さこそが、この「紅雪」という名の花の雪なのです。


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躚躚片片復躚躚 躚々 片々 復た躚々
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風落櫻花三月天 風は桜花を落とす 三月の天
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幾百香魂入心髓 幾百の香魂 心髄に入る
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徂春紅雪莫寒焉 徂春の紅雪 焉れより寒きは莫し

平起式、「躚」「天」「焉」下平声・一先の押韻です。

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