漢詩徒然草(34)「一隅春」

平兮 明鏡
2024/2/1

暗香微泛大寒晨 暗香 微かに泛ぶ 大寒の晨
雪後梅花何處新 雪後の梅花 何れの処にか新たなり
忽散餘芳冽風下 忽ち散ず 余芳 冽風の下
一心掌握一隅春 一心に掌握す 一隅の春

暗香 … どこからともなく漂ってくる香り

餘芳 … 消えずに残っている香り
一隅 … ひとすみ、かたすみ


梅は特別な花です。漢詩徒然草でも、もう何度も取り扱っている題材ですが、どうして特別かというと、それは「百花の魁《さきがけ》」と呼ばれるように、一年で一番初めに咲く花とされているからです。

日本では一言で「花」と言った場合は、まず桜を連想しますが、もともとは中国でも日本でも、春を象徴する花と言えば、この梅の花を指していました。

また、梅は大変香りの強い花でもあります。花を間近に見なくても「暗香」……どこからともなく漂ってくるそのかぐわしい香りによって、そこにあるのだとすぐに知ることができます。

今回は私なりの解釈で、この「百花の魁」と「暗香」をテーマに梅の花を詠んでみたいと思います。梅が題材にはなっていますが、この詩に目に見える形で梅は登場しません。しかし、むしろそこが今回のお話の勘所となります。


暗香微泛大寒晨 暗香 微かに泛ぶ 大寒の晨

「大寒」とは、二十四節気の一つで、その名のとおり一年の中で最も寒いとされている時期です(令和6年は1月20日)。しかし、大寒を耐えることさえできれば、あとは「立春」(令和6年は2月4日)……春の訪れを待つのみです。そんな大寒の朝に、どこからか微《かす》かに梅の香りが漂って来ました。

雪後梅花何處新 雪後の梅花 何れの処にか新たなり

昨日降った雪がまだ枝々に残っているそんな中、清新なる梅の花が確かにどこかに咲いているのでしょう。

忽散餘芳冽風下 忽ち散ず 余芳 冽風の下

しかし、今日がまだ冬の日であることを忘れてはなりません。突然起こったつむじ風が、その残っていた香りを霧散させてしまいます。

一心掌握一隅春 一心に掌握す 一隅の春

思わず必死になって、その片隅にあったはずの春を掴み取って繋ぎ止めようとします。いずれ春はやって来ますが、今はまだその時ではありません。寒気、身を刺す晩冬に於いては、春の到来を予感させる梅の香りほど愛おしいものはないでしょう。


まだ見ぬ花の香りだから、それを「暗香」と言います。しかし、それは確かに「百花の魁」――春の始まりがそこにあると予感させるものです。そうであるからこそ、人はまだ見ぬ未来を必死に留めようとします。掴み取らないと、それは容易く逃げていってしまうからです。

人生に於ける未来への希求も同じことではないでしょうか。人は未来に自分の望む何かを期待します。しかし、本当に大切なものとは往々にして得難きものであり、また、簡単に過ぎ去ってしまうものです。

すべてのものが移ろいゆくこの世の中ですが、そうであるからこそ、人はその瞬間その瞬間を手放すまいとするのでしょう。だとすると、未来への予感を感じた、その瞬間を必死に留め置こうとするのも、決して誤りではないはずです。

「百花の魁」とは、これから訪れるかもしれない春のような希望であり、「暗香」とは、その予感です。

それを掴み取ろうとする一心は、人生で新しい一歩を踏み出す勇気と決意に似ているかもしれません。新しい花は「何れの処にか新たなり」……確かにどこかに芽吹いているのです。


●◯◯●●◯◎
暗香微泛大寒晨 暗香 微かに泛ぶ 大寒の晨
●●◯◯◯●◎
雪後梅花何處新 雪後の梅花 何れの処にか新たなり
●●◯◯●◯●
忽散餘芳冽風下 忽ち散ず 余芳 冽風の下
●◯●●●◯◎
一心掌握一隅春 一心に掌握す 一隅の春

平起式、「晨」「新」「春」上平声・十一真の押韻です。

 

「贈范曄(范曄に贈る)」陸凱

今回の作の結句下三字「一隅の春」は、実は六朝時代の陸凱《りくがい》という人物が作った「贈范曄(范曄《はんよう》に贈る)」という詩の結句下三字「一枝の春」をもとにしています。陸凱が友人である范曄に贈った詩ですが、南方に住む陸凱が北方に住む范曄に、詩とともに贈ったものがこの「一枝の春」です。

これは、僅かに咲いた一枝の梅の花のことを指しています。しかし「一枝の梅」でなく「一枝の春」としたところがまた絶妙です。

まだ寒い冬の終わりに春の到来を予感させる一枝は、何より嬉しくなる贈り物だったことでしょう。陸凱の友を想う心遣いを感じることができます。やはり、この「一枝の春」も陸凱が一心に掴み取った春だったのではないでしょうか。たった三字ですが、まさに値千金の三字です。
 

折梅逢驛使 梅を折りて 駅使に逢い
寄與隴頭人 寄せ与う 隴頭《ろうとう》の人に
江南無所有 江南 有る所無し
聊贈一枝春 聊か贈る 一枝の春

驛使 … 昔の中国で郵便物を各宿場に配達した役人
隴頭 … 隴山《ろうざん》(長安西北部の山)の麓。ここでは長安のこと
江南 … 長江下流域の南方の地域

梅の枝を折って宿場の駅使に会いに行って、
隴山の麓にいる君に届けてもらうよう言付《ことづ》ける。
ここ江南には君に送るようなものは何もないが、
とりあえず、この一枝の春を贈ることにしよう。



←漢詩徒然草(33)「出滄海」へ | 漢詩徒然草(35)「春寒」へ→

page up