漢詩徒然草(37)「孔球鬪士猿」
我者猿 我は猿なり
孔球鬪士猿 孔球闘士猿なり
旋風舞綠野 旋風 緑野に舞い
狙處是紅幡 狙う処 是 紅幡
兩足掴大地 両足 大地を掴み
雙手繫膽魂 双手 膽魂を繋ぐ
懸命此一打 命を懸く此の一打
白球化煌焜 白球 煌焜と化せよ
疾而强而杲 疾く強く杲く
可飛如雷奔 飛ぶべし 雷の奔るが如く
裂雲呼風雨 雲を裂き 風雨を呼び
通得勝利門 通じ得たり 勝利の門へ
孔球 … ゴルフ
紅幡 … 紅い旗。ここではグリーンのピンフラッグ
膽魂 … 闘志、勇気
煌焜 … かがやき
「わいは猿や!プロゴルファー猿や!」
という冒頭のセリフが印象的なアニメ「プロゴルファー猿」のOPテーマ「夢を勝ちとろう」(作詞:藤子不二雄 作曲:小林亜星 歌:水木一郎)の歌詞を漢詩にしてみました。
子供向け番組と侮るなかれ、この歌詞には見るべきところが数多くあります。ジャンルは違っていても、同じ詩文である以上、よい作品はとても参考になるのです。
詩題の「孔球鬪士猿」は、しょっぱな、やり過ぎてしまった感がありますが、これくらいやらないと、もとの作品にある熱気やエネルギーは言い表せないでしょう。
この場合、単にプロゴルファーという言葉を翻訳しても不足していると考えたのです。プロ、プロフェッショナルという意味では「専家」や「職業」という語になるのですが、それらではしっくりこないため、歌詞の中にある「斗志(=闘志)」から「鬪士」という語を選びました。
つむじ風舞うティーグランドで
ねらうはグリーンのターゲット
ティーグランド(ティーグラウンド)とは、第一打目を打つホールのスタート地点を指します。グリーンは目標であるカップが設けられているエリアです。つまり、この二句は主人公のいる状況を説明しているとともに、スタート地点からゴール地点への眺望を映像化しています。このあとの歌詞も、まさにグリーンを目指して打球が突き抜けてゆく場面が描かれてゆきます。
大地をつかむ両足と
斗志(とうし)をつなぐ両腕に
この「大地を掴む」という表現は注目です。これは主人公の力強さとワイルドさをよく言い表しています。普通は大地には「立つ」もので「掴む」ものではありません。足で掴むのは猿ぐらいで、その点でも「大地を掴む」という表現は秀逸と言わざるを得ません。
そして、このとき両手で掴んでいるものはドライバーのはずですが、ここでは「斗志(=闘志)をつなぐ」と表現しています。つまり、体はドライバーと一体となって、ともに闘志に漲《みなぎ》っているのです。「大地を掴む」という表現とは完全に対になっていて、これでティーショット(=第一打)を打つ舞台は完全に整いました。
いのちを賭けたこの一打
白いボールよ火と燃えよ
ここから、いよいよその一打が打ち出されるわけですが、その球は「火の球」と化します。常識外れの一打が発射された、まさにこの場面にピッタリの表現でしょう。この「火」の字は、「白」の字と対を為し「命」の字とも調和します。燃えているのは心理的譬喩か、あるいは現実か。命を賭けた一打が打たれたのです。
飛べ! 速く 強く 高く
飛べ! 速く 強く 高く
ただの動詞と副詞の羅列ですが、非常に印象的なフレーズです。“ただそれだけを言うこと”が、むしろ鮮烈に聞こえます。ここでは、余計な言葉は必要ありません。余計なものを削ぎ落とす方が、よく心に伝わるというよい例でしょう。
雲をさき 嵐を呼んで
夢を 夢を 夢を
夢を勝ちとろう!
火球と化したゴルフボールは、まさに弾丸となって「雲をさき 嵐を呼んで」飛んでゆきます。冒頭のティーグラウンドで舞っていた「つむじ風」は、ここの「雲」や「嵐」の伏線となっています。
そして、最後にその打球の行き先が歌われます。ゴルフの競技としての目標地点は、一番はじめに歌い出されたように、グリーン上のカップであるわけですが、ここでは「カップ=勝利=夢」であることが明かされます。それが単に競技としてのゴールではなく、主人公の生き方そのものに繋がっていることを最後に言って締めくくっているのです。
こうして見ると、ただティーグラウンドで第一打を打つだけの内容なのですが、その実、ゴルフのホールのスタートからゴールへ向かうというシンプルな構図の上に、随所に譬喩や技巧が散りばめれていることがわかります。
今回、この曲の一番の歌詞をまるまる漢詩に訳詩しました。絶句や律詩では収まり切らなかったため、「漢詩徒然草」初の古詩となりました。
もとの歌詞では、全体的にゴルフの専門用語が登場し、それがよいアクセントとなっているのですが、漢詩にする際には、もちろん漢語そのものがありませんし、中国語をそのまま用いるのも困難だったため、オミットするしかありませんでした。ティーグラウンドやグリーンがそれに当たります。
また、漢詩の規則の制約により、もとの歌詞を完全に再現するのは難しく、ボールが火の球となるところは「煌焜(かがやき)」に変更しましたし、それに合わせてボールの飛ぶ形容に「雷が奔る」を追加しています。これは「雲をさき 嵐を呼んで」に繋がる効果もあります。
多少の変更はあるものの、表現の多くが原詩を踏襲しています。ストレートに翻訳しただけでも、この詩がそれなりに形になっているのは、もとの詩のレトリックや構成が秀逸だからです。これは、他のジャンルであっても、創作の基本の部分には違いはなく、そこがもっとも詩文の基礎、根幹となる部分であるということを意味しています。
詩に関わらず、他の文学に触れる機会には、詩人としての視点を持って読んでみてはどうでしょうか?もしかすると新しい見地が開けるかもしれません。
我者猿 我は猿なり
孔球鬪士猿 孔球闘士猿なり
旋風舞綠野 旋風 緑野に舞い
狙處是紅幡 狙う処 是 紅幡
兩足掴大地 両足 大地を掴み
雙手繫膽魂 双手 膽魂を繋ぐ
懸命此一打 命を懸く此の一打
白球化煌焜 白球 煌焜と化せよ
疾而强而杲 疾く強く杲く
可飛如雷奔 飛ぶべし 雷の奔るが如く
裂雲呼風雨 雲を裂き 風雨を呼び
通得勝利門 通じ得たり 勝利の門へ
五言(雑言)古詩、「猿」「幡」「魂」「焜」「奔」「門」上平声・十三元の押韻です。
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