漢詩徒然草(31)「電子郵件」

平兮 明鏡
2023/11/1

電子書翰寄友先 電子の書翰 友に寄するの先
更疑章句未能宣 更に疑う 章句 未だ能く宣べざるを
欲詒不按發傳鈕 詒らんと欲して按さず 発伝の鈕
決意今將撃一鍵 意を決して 今将に一鍵を撃たんとす

電子郵件 … 電子メール
書翰 … 手紙
寄 … 手紙を送る
章句 … 文章
發傳鈕 … 送信ボタン
將 … 今にも~しようとする
撃一鍵 … 1クリック、1タップする


「電子郵件」とは、註のとおり電子メールのことで、この詩は新聞に掲載されていた中学生の電子メールについての詩を漢詩にしたもの、つまり訳詩になります(漢詩徒然草「銀河」参照)。

もとの詩は、友だちにメールを送るときの、あの送信ボタンを押す瞬間の緊張感を詠んだものです。まずはメールの送信を詩にするというテーマの選択が独特で、また「押そうとしても押せない」という表現に、そのときの気持ちがよく伝わってくるとても面白い詩でした。

そして、もう一つ、この詩は私にある詩を思い起こさせました。それについては後ほど述べたいと思います。

詩を訳すに際しては註を見てのとおり、表現しなければならない語が「電子メール」「送信ボタン」「クリック(タップ)」だったため、かなり苦心しましたが、おおよそ現代中国語を借用したり、それとわかるように詩語を用いて表現したつもりです(漢詩講座「漢詩に日本語は使えない!」参照)。


電子書翰寄友先 電子の書翰 友に寄するの先
更疑章句未能宣 更に疑う 章句 未だ能く宣べざるを

友だちにメールを書くことには書いたのですが、いざ送ろうとしたとき「これでちゃんと相手に伝わるかな?文章や漢字の間違いはないかな?」と、にわかに不安になります。

欲詒不按發傳鈕 詒《おく》らんと欲して按《お》さず 発伝の鈕《ボタン》

画面の送信ボタンまで、あと1cmというところまでいくのですが、そこで指が止まります。何度も確認して間違いはないはずですが、なかなか押すことができません。一度そのボタンを押すと最後、もう訂正することはできないのです。

決意今將撃一鍵 意を決して 今将に一鍵を撃たんとす

とはいえ、いつまでもこのままというわけにもいきません。このメールを読む友だちの姿が目に浮かび、ドキドキと胸が高鳴る中、今まさにその1クリックを……という情景です。

送信ボタンを押そうとしてして押せない、というところに心の機微がよく伝わってきます。ここでは、友だちにメールを送る瞬間の緊張感を「送信ボタン」という「もの」にあずけています。ただの画面上の表示であるボタンが、作者の心をもっとも象徴しているのです。


さて、冒頭でお話した、この詩が私に思い出させたもう一つの詩とは、唐代の詩人、張籍「秋思《しゅうし》」です。
 

洛陽城裏見秋風 洛陽城裏《らくようじょうり》 秋風を見る
欲作家書意萬重 家書を作らんと欲して 意《い》万重《ばんちょう》
復恐怱怱説不盡 復た恐る 怱怱《そうそう》 説いて尽くさざるを
行人臨發又開封 行人《こうじん》 発するに臨んで 又《また》封を開く

洛陽 … 河南省にある古都(現・洛陽市)
城 … 街のこと。中国は城郭都市だったのでこのようにいう
家書 … 家族への手紙
萬重 … 幾重にも重なること
怱怱 … 慌ただしいさま
行人 … ここでは手紙をあずかる使いのこと

近ごろの洛陽の都は、秋風が吹き渡るもの寂しい季節になった。
そこで家族への手紙を書こうと思い立ったが、そうするとまたいろんな思いがこみ上げてくる。
慌てて書いたので、ちゃんと言い尽くせているか心配だ。
使いの者が出発するに及んで、また手紙の封を開いてしまう。

秋は悲しみの季節です(楊万里「感秋」参照)。詩題の「秋思」とは、秋のもの寂しい思いのことです。

その秋風に吹かれて、いても立ってもいられなくなり、故郷の家族へ手紙をしたためたのですが、急いで書いたので、これではたして自分の思いが伝わるか不安になってきます。いよいよ郵便屋さんが出発しようとしているのに、ついついまた手紙の封を解いて読み直してしまう……という内容です。結句の表現に作者のその思いと焦りが伝わってきます。


両者の詩の内容が、大変似ていてビックリしたのではないでしょうか?張籍は1300年前の中国の詩人、かたや現代の日本の中学生です。

さらには時代の流れ、技術の進歩により、両者の手紙の形態はまったく別のものに変化してしまっています。張籍の時代は、手紙を筆で書き人に配達してもらわなければなりません。手紙が届くのにも相当時間がかかったでしょう。しかし、現代ではキーボードやタッチスクリーンで打った電子の文字は、電波や電線により瞬時に相手に届きます。

しかし、手紙を送る技術の発展こそ凄まじいですが、そこにある人々の思いには何ら違いはない、ということをこれらの詩は教えてくれています。それぞれの詩にある「送信ボタンを押そうとしてもなかなか押せない」と「郵便屋さんが出発しようとしているのに、また手紙の封を開いてしまう」という行動は、行動こそ違えど、意味しているところはまったく同じものです。

送信ボタンを押してしまうともう取り返しはつきません。郵便屋さんが出発してももう後戻りはできません。大切な人への手紙だからこそ、そこに万が一にも誤りがないかと心配になるのです。

「更に疑う 章句 未だ能く宣べざるを」
「復た恐る 怱怱《そうそう》 説いて尽くさざるを」

という友人や家族への思いは何千年経とうと変わることはないでしょう。漢詩は古典文学ですが、その詩情が過去のものである理由はどこにもないのです。


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電子書翰寄友先 電子の書翰 友に寄するの先
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更疑章句未能宣 更に疑う 章句 未だ能く宣べざるを
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欲詒不按發傳鈕 詒らんと欲して按さず 発伝の鈕
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決意今將撃一鍵 意を決して 今将に一鍵を撃たんとす

仄起式「先」「宣」「鍵」下平声・一先の押韻です。

以前にもお話しましたが、辞書によって平仄の記載が違うことがあります。「鍵」は、ここでは平声の一先韻で用いていますが、そうでない辞書もあります。辞書も絶対ではありません。注意して使いましょう。

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