初めての人のための漢詩講座 17

平兮 明鏡
2021/9/1

第二章 漢詩のルール

*上級編! 同字重出の禁は守られているか?

漢詩のルールで、同じ字を二回以上使ってはならない(同字重出の禁)、というものがありますが、先人の漢詩を読んでいると、同じ漢字を使ったものをよく見かけます。これはどういうことでしょうか?

宋の時代の学者・楊万里《ようばんり》「感秋」です。秋は、冬に向かって万物が衰えていく季節なので、古来より悲しいイメージとして詩に詠まれてきました。

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舊不悲秋只愛秋 旧 秋を悲しまず 只 秋を愛す
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風中吹笛月中樓 風中 笛を吹く 月中の楼
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如今秋色渾如舊 如今 秋色 渾て旧の如くなれど
●●○○●●◎
欲不悲秋不自由 秋を悲しまざらんと欲するも 自由ならず

 

「感秋」楊万里

昔は秋を悲しいなどとは思わず、ただ秋を愛していた。
月明かりの楼閣で、風の中、笛を吹いて遊興に耽ったものだ。
しかし、今、秋の風景は昔とまったく変わっていないというのに、
悲しいと思わないようにしようとしても、どうしても思いどおりにならない。

同じ句の中での同字重出は許されますが、それでも全体で「舊」が二つ「不」が三つ、「悲」が二つ、「秋」が四つ、「中」二つ、「如」が二つも出てきます。

「不」のような助字や、同じ漢字でも違う意味で使われている語は、同字重出が許容されることもありますが、それでもこの詩は実に九字も同じ字を使っているのです。

普通、同じ語を多用すると繰り返しになり、冗長になってしまいますが、この詩に散漫な印象はありません。むしろ、同じ語を使うことにより、前半で若かりし過去、後半で年老いた現在の境遇を述べ、その対比によって強烈に老いの悲しみを訴えかけてきます。

七言絶句・仄起式。「秋」「樓」「由」下平声・十一尤の押韻です。


もう一つ、対比をうまく扱った蘇東坡の詩を紹介します。蘇東坡の詩は(4)「*上級編! 禅宗における漢詩(1)」でも取り上げています。

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廬山煙雨浙江潮 廬山は煙雨 浙江は潮
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未到千般恨不消 未だ到らざれば 千般 恨み消えず
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到得歸來無別事 到り得て 帰り来れば 別事無し
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廬山煙雨浙江潮 廬山は煙雨 浙江は潮
 

蘇東坡

天下の名勝、廬山の煙雨と浙江の潮。
その絶景を長い間、見る機会がないことを残念に思っていたが、
いざその絶景を見て帰って来たら何のことはない。
ただただ廬山の煙雨と浙江の潮だったのだ。

そのような意味ですが、しかし、これは実際に「廬山は煙雨、浙江は潮」を目の当たりにし、感動した体験があったからこそ言い得た境地です。

その大自然の中に自らがとけこんでしまったら、特別なことは何もない。「廬山は煙雨、浙江は潮」の感動をそのままに、いつもの「廬山は煙雨、浙江は潮」となる。そんなわだかまりのない心情を詠い上げています。

この詩は見てのとおり、起句と結句が全く同じものになっています。平仄式の構成上、起句と結句は、平起式であっても仄起式であっても、同じ平仄の並びになります。それを利用してまったく同じ七字を置いているのです。

もちろんこれは、同じ字を使ってはならない、というルールに抵触しますが、しかし、前半は実際に見る前の「廬山は煙雨、浙江は潮」、後半は見たあとの「廬山は煙雨、浙江は潮」であり、その対比をあえて同じ句を使うことにより効果的に演出しているのです。

→「*上級編! 禅宗における漢詩(2)」へ

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