漢詩徒然草(24)「自動車」

平兮 明鏡
2023/4/15

載荷乘人未識疲 荷を載せ 人を載せ 未だ疲れを識らず
五畿七道一旬之 五畿七道 一旬にして之く
汽油血氣焰心臟 汽油の血気 焔の心臟
鋼鐵體軀輪四肢 鋼鉄の体軀 輪の四肢
駿馬不如千里驟 駿馬も如かず 千里を驟せ
連牛無及萬斤掎 連牛も及ぶ無し 万斤を掎く
利長非必得其利 利 長ずれば 必ずしも其の利を得るに非ず
何滿街衢遲似龜 何ぞ街衢に満ちて 遅きこと亀の似し

五畿七道 … 旧日本の律令制における行政区分
  五畿 … 山城、大和、摂津、河内、和泉
  七道 … 東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道
一旬 … 十日間
汽油 … ガソリン
血氣 … 血液と呼吸
連牛 … 連なった牛
萬斤 … とてつもない重さ
街衢 … 市街地、大通り


車を運転しているときに、渋滞に巻き込まれ、歩道を歩いている人に次々と追い越され「歩いた方が速いのでは……」と思った経験はありませんか?町中で運転する機会のある人なら、必ず一度はあると思います。今回は、そんな便利だけど不便な「自動車」の漢詩です。

載荷乘人未識疲 荷を載せ 人を載せ 未だ疲れを識らず
五畿七道一旬之 五畿七道 一旬にして之く

自動車――もはや、私たちの生活では、当たり前で欠かせないものになってしまっていますが、改めて考えると凄まじいパワーとスピードです。人では運べないようなものを楽々運搬し、どんな距離を移動しようとも、決して疲れるということはありません。

五畿七道とは、註にあるとおり 旧日本の行政区分です。詳しい説明は省きますが、これらを合わせると本州・四国・九州になります。自動車であれば十日もあれば一周できるでしょう。

昔の人は、馬や船がなければ歩いて移動しなければなりませんでした。江戸時代末期の学者、伊能忠敬は徒歩で日本中を旅して周り、10年以上をかけて測量を行い、精度の高い日本地図を作成しました。歩いた距離は40,000kmにも及び、これは地球1周分に相当します。歴史に残る仕事の裏には大変な苦労があったのです。

汽油血氣焰心臟 汽油の血気 焔の心臟
鋼鐵體軀輪四肢 鋼鉄の体軀 輪の四肢

自動車の歴史は蒸気機関や電池の発明から始まります。その後、ガソリンエンジンやタイヤが発明され、現在の一般的な自動車の形になりました。生き物で例えるなら、エンジンはガソリンの血を通わす炎の心臓、シャシーは鋼鉄の体と車輪の四肢といえるでしょう。まさにモンスターです。

駿馬不如千里驟 駿馬も如かず 千里を驟せ
連牛無及萬斤掎 連牛も及ぶ無し 万斤を掎く

蒸気機関が発明されるまでは、陸路で人が移動したり、ものを運んだりするのにもっとも適したものは牛馬でした。しかし、どんなに速い馬も力持ちの牛も自動車には到底敵いません。

「里」は距離の単位です。距離に限らず単位というものは時代によって変遷しますが、1,000里は現在の日本では4,000km、昔の中国では600kmほどです。先ほど述べた日本一周がちょうど4,000kmぐらいですので、自動車なら難なく走行できる距離だとわかります。

「斤」は重さの単位です。10,000斤は現在の日本では6トン、昔の中国では2~3トンほどです。中~大型トラックであれば運ぶのは容易でしょう。文字通り自動車は、交通・運搬手段としての牛馬を過去のものにしたのです。

利長非必得其利 利 長ずれば 必ずしも其の利を得るに非ず
何滿街衢遲似龜 何ぞ街衢に満ちて 遅きこと亀の似し

しかし、ここで冒頭の話に戻ります。こんな便利なものは当然誰もが使います。誰もが使うと道路は渋滞になり、車は進むことはできなくなります。

以前に、どんなに便利になっても人生の根本の問題は変わらない、というお話(漢詩徒然草「智能手機」)や、便利になった分、トラブルになってしまったとき身動きが取れなくなるというお話(漢詩徒然草「霹靂」)をしましたが、私たちは案外、この便利な生活に縛られているのもしれません。

とは言うものの、亀は亀で自分を遅いとは思っていないのではないでしょうか?自動車には自動車の走行があるように、亀には亀の歩みがあるはずです。

自動車の恩恵を享受している私たちは、昔の人の車のない生活を想像しては不便に思うかもしれませんが、当時の人からするとそれこそ関係のない話です。伊能忠敬の測量も自動車があればもっと楽だったかもしれませんが、それは意味のない仮定ですし、それでその素晴らしい仕事が色褪せることもありません。

結局、私たちはいつの時代も今ある環境で、それを活かして生きていくしかありません。その時代は、いつだってその時代の人のものなのです。

もはや自動車が生活に欠かせないものになっている人も少なくないと思いますが、どんな便利な道具も使い方次第です。渋滞緩和は今後の課題として、そんな中でも、よいドライビングとなるようにハンドルを握る先に、私たちの時代の進むべき道があるのではないでしょうか。
 

 


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載荷乘人未識疲 荷を載せ 人を載せ 未だ疲れを識らず
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五畿七道一旬之 五畿七道 一旬にして之く
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汽油血氣焰心臟 汽油の血気 焔の心臟
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鋼鐵體軀輪四肢 鋼鉄の体軀 輪の四肢
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駿馬不如千里驟 駿馬も如かず 千里を驟せ
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連牛無及萬斤掎 連牛も及ぶ無し 万斤を掎く
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利長非必得其利 利 長ずれば 必ずしも其の利を得るに非ず
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何滿街衢遲似龜 何ぞ街衢に満ちて 遅きこと亀の似し

七言律詩・仄起式、「疲」「之」「肢」「掎」「龜」上平声・四支の押韻です。

「漢詩徒然草」では2回目の七言律詩になります。律詩は絶句に比べて、厳しい制約が課せられます。律詩は、漢詩講座(28)「律詩」で解説していますので、詳しいルールなどはそちらをご覧ください。

詩題の「自動車」は日本語なので和習になります。本文で取り上げたとおり、自動車の登場は近代からですので、昔の詩には当然出てきません。そんなときは現代の中国語で代用するとよいのですが、中国語で自動車のことは単に「車」か「汽車」になります。では、日本語でいう汽車は何かというと「火車」というそうです。なんとなく納得ですね。
 

「掎」の平仄について

「掎」は辞書によって平仄の記載が違います。このような場合、どの平仄で作詩すればいいのか困ってしまいます。とりあえず、ここでは平声の支韻で用いています。

漢和辞典に限ったことではないですが、辞書にも誤りがあることもあります。「辞書なんだから当然正しいことが書いてある」と思いがちですが、当たり前と思うところにこそ落とし穴があります。何ものも絶対というものなどないということを、頭の隅に置いておくとよいでしょう。

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