漢詩徒然草(38)「蝸牛」


途中猶住舍 途中 猶 舎に住し
歸路已臻莊 帰路 已に荘に臻る
旅思在何處 旅思 何れの処にか在る
無愁無故鄕 愁い無くんば故郷も無からん
蝸牛 … かたつむり
途中 … 旅の途上
旅思 … 旅の途中で感じるものさびしい気持ち
梅雨の時期となりました。みなさんは、このいつまでもしとしと降り続ける雨にどんな感情を抱きますか?
以前にも漢詩徒然草で「梅雨」と題した詩を作りましたが、今回の漢詩は、新聞に掲載されていた中学生が作った「かたつむり」という詩にインスパイアされて作ったものです。
そのもとの中学生の詩は、
蝸牛《かたつむり》は背中に家を背負っているので、出かけるときには背中に「いってきます」と言って、そして帰ってくるときにも、また背中に「だだいま」と声をかける。
という内容でした。
大変、面白い着想です。普通は外出するときと帰宅するときに、それぞれ挨拶するわけですが、では、はじめから家を背負っている蝸牛は一体いつどこで挨拶をすればいいのか?というわけです。
「いってきます」と「ただいま」という日常の言葉を使っていることも、そのほのぼのとした情景を思い起こさせるのに一役買っています。その様子を想像してみると、ユーモラスで思わず笑みがこぼれてきます。普通は蝸牛を見ても、なかなかこのような発想には至らないと思います。
そう、ひと通り感心したあとに、私の中にもある疑問が起こりました。それは「常に家を背負っているなら、それははたして家と言えるのだろうか?」という疑問です。蝸牛は「我が家」を知ることができるのか?そう思って出来上がったのが今回の詩です。
途中猶住舍 途中 猶 舎《いえ》に住《じゅう》し
しとしとと雨が降ってきました。蝸牛は「いってきます」と言って出かけますが、それでも家の中にいるというパラドックスの中にあります。
歸路已臻莊 帰路 已に荘《いえ》に臻《いた》る
雨粒が滴《したた》る葉の上を這い回って食事をします。お腹もいっぱいになると、いつの間にか雨も上がっていました。そろそろ家に帰る時間です。しかし、その帰路も蝸牛はすでに家にいるのです。「ただいま」と言うタイミングは一体いつなのか迷ってしまいます。
旅思在何處 旅思 何れの処にか在る
無愁無故鄕 愁い無くんば故郷も無からん
そんな道中と家との区別のない蝸牛に、故郷を思うさびしさは、はたしてあるのでしょうか?故郷を思うさびしさがなければ、故郷もないのと同じなのではないでしょうか?
このようなことを言っている人がいました。
「太陽がまぶしいお昼では、10m先の懐中電灯にも気付かないが、
真っ暗なトンネルの中なら、100m先の1本のマッチでもわかる」
確かに太陽の下《もと》では、小さな明かりを見つけることはできませんが、暗闇の中でなら簡単に見つけることができます。そして、その暗闇が深ければ深いほど、より小さな明かりでも見つけることができます。
故郷への思いというものも同じかもしれません。故郷にいるときは、その素晴らしさや安らかさを忘れがちですが、故郷を遠く離れ、さびしさが募れば募るほど、今まで気付くことができなかった、自身の故郷への思いを知ることができます。道中があるからこそ故郷があるわけです。
出会いの喜びがあるから、別れの悲しみがあるように、私たちの現実というものはすべて相対の中にあります。
しかし、ここでまた一つ思い返すことがありました。確かに私たちは、相反する二つのことがらがあってこそ、いろんなことを知ることができるのですが、そんな相対を超えてゆけるのも、また私たちなのではないでしょうか?
太陽の下では、小さな明かりは見えませんが、しかし、その明かりそのものは、たとえ太陽の下であっても、見えにくいだけで確かにそこにあったはずです。同じように、故郷に安住していると、ついついそのことを忘れがちになってしまいますが、その思いは、はじめから確かにそこにあるはずです。
明るい場所でも小さな光を見つけ出すように、故郷にいたとしても、故郷を心から感じることができれば、それはとても素晴らしいことでしょう。
「愁い無くんば故郷も無し」――郷愁がなければ、故郷もないのと同じ。
とはいえ、その「愁い」のあるなしを決めているのは私たちの心です。
「旅思 何れの処にか在る」――その思いは、一体どこにあるのか?
それは自分自身の心に問いただすしかありません。
もし、その心に気付くことができたのなら、そのとき、私たちは本当の故郷というものを知ることになるのでしょう。背中に家を背負っていても「いってきます」と「ただいま」を忘れなかったこの蝸牛。もしかすると、そのことにうすうす気付いていたのかもしれません。
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途中猶住舍 途中 猶 舎に住し
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歸路已臻莊 帰路 已に荘に臻る
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旅思在何處 旅思 何れの処にか在る
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無愁無故鄕 愁い無くんば故郷も無からん
五言絶句、平起式、「莊」「鄕」下平声・七陽の押韻です。
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