方便~針すら通さず馬車をも通す道

平兮 明鏡
2021/10/15

「方便」という言葉があります。一般的には「うそも方便」というように、目的をはたすために、あの手この手を使って「上手くやる」手段のことを言いますが、実はこれはもともと仏教の言葉で、本来は「人を仏の道に向かわせるための仮の手段」のことです。

お釈迦さまは、方便の達人でした。有名なお話では、キサーゴータミーという、死んでしまった我が子を生き返らせようとする母親に、

「その子を生き返らせるためには、死人が一度も出ていない家にあるケシの実が必要です」

と言って探させるお話があります。

ここでは、このお話の結末はお話ししませんが、お釈迦さまは、まさに「うそも方便」でもって、大変上手くこの母親を導いたわけです。

しかし、実はこの「方便」、そのやり方が上手いかどうかという以上に、その根底に秘められた力が何よりも重要なのです。その力とは「その人を救いたい」という揺るぎない意思そのものです。

ただ単に「上手くやる」だけでは、方便の本当の力を発揮することはできません。方便とは手段のことですが、手段というものは文字通り手段であって、困難に立ち向い、乗り越える力そのものではありません。困難を乗り越えてゆくのは、手段や方法ではなく、あくまで「人の意思そのもの」なのです。

そこに「人の決意」があってはじめて、方便にも「本当の力」がそなわります。お釈迦さまの方便が何より素晴らしかったのも、この「人を救いたい」という思いが誰よりも大きかったからではないでしょうか?


禅にその方便の力を表した言葉があります。仰山慧寂《ぎょうざんえじゃく》禅師(804~890年)の、

「官には針をも容《い》れず、私には車馬を通ず」(註)

という言葉です。

実はこれは、当時のお役所(=官)を風刺した言葉です。

「表面上は、針すら通さないなどと厳しいことを言っているが、
 裏口を見ると(=私には)馬車もやすやすと通しているじゃないか!」

という、本来は裏表あるお役所の悪口を言っているわけですが、仰山禅師はよい意味で使っています。

つまり、たとえどんなに通すのが困難な道であっても、苦しんでいる人がいるならば、見事にその裏をかいて通してみせる。それこそが「仏の道」であると、何としてでも人を導かんとする「方便」を仰山禅師は唱い上げたのです。

「針すら通さないのに、馬車をも通す道」とは、常識的にはあり得ない、とんでもないことを言っているようにも思えますが、これは決して誇張ではなく、人を救おうとする決意とは、本来それほど大きな力なのです。


江戸時代初期の大名で板倉重矩《いたくらしげのり》という人物がいます。板倉家には家宝の弓があったのですが、重矩の留守中に、小姓がその弓を引いて遊んでいたところ、ポキリと折れてしまいました。

小姓は打ち首も覚悟して重矩の沙汰を待ったのですが、帰ってそのことを聞いた重矩は、

「余は常にこの弓を傍に置いて万が一に備えていたが、小姓が引いても折れるくらいの弓ならば、自分が引いても必ずや折れて危機に陥っていたであろう。むしろ事前にそれを知ることができたのは幸いである」

と言って笑って許したということです。重矩は優れた機知によって小姓の命を救ったのです。

大名と小姓の間には「針すら通さぬ」絶対的な関係があったはずです。そこには本来、決して通すことのできない大きな門扉がありました。しかし、重矩は、あたかも「馬車をも通す」かのように、やすやすとその道を通したのです。

それができたのも、大いなる慈しみの心があったからです。これこそ仰山禅師が示した、絶対的なものをも越え得る人間の決意です。そして、その決意があってこその「方便」です。「方便」とは、何としてでも人々を救わんとする意志による巧みな手段なのです。


 
 

(註)

臨済録にある臨済禅師の偈(禅の境地を表した詩)に、

「大道は同を絶し、西東《さいとう》に向かうに任かす。
 石火も及ぶこと莫《な》く、電光も通ずること罔《な》し」


(真実の大道に決まった方向はない。西に行くも東に行くも自由自在なのだ。
 その境地には石火も及ばず、電光の速さも通じない)

とあるが、この句を伝え聞いた潙山霊祐《いさんれいゆう》禅師が、次のような疑問を呈し、弟子である仰山慧寂禅師がこれに答えている。

潙山「電光石火も追いつけぬ瞬時のハタラキなら、今まで仏や仏祖は一体何をもって人々に教えを説き導いて来たのであろうか?」
仰山「お師匠はどうお考えです?」
潙山「あらゆる言葉でもってしても、仏の真理を言い表すことはできぬ」
仰山「私はそうは思いません」
潙山「それではお前はどう思うのだ?」
仰山「官には針をも容《い》れず、私には車馬を通ず(官不容針、私通車馬)」

 

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