ミャンマーの寺院にて Photo by H.Kameyama

柳緑花紅~ありのままの姿

岡本 忠裕
2021/9/15

「柳は緑、花は紅《くれない》」という禅語があります。

余計な「はからい(先入観や偏見などの自分勝手な思い)」を捨てれば、目の前に見えているありのままの姿が、そのまま本来の姿だとわかる、という意味です。

柳の葉は、緑色。
赤い花は、赤い。
見たまま、そのままが、真実の姿。
「・・・そんなのは当たり前のことでは?」と思われるでしょう。

しかし、私たちは日常生活の中で、ついつい「色眼鏡」をかけてものごとを見てしまいます。サングラスなどしていなくても、「心の色眼鏡」を通すことで、柳の色が紫に見えたり、赤い花が青く見えることもあるのです。

私たちがよく使う「肩書」も、そのような色眼鏡の一つではないでしょうか。


私は認定こども園の園長をしています。園では「園長先生」と呼ばれています。
子どもたちはいつも元気な声で「えんちょーせんせー!」と呼んでくれます。

保護者会はもちろん、地域の集まりや小学校でもそう呼ばれますし、かつてうちの園に通っていた甥っ子達など、小学生になってからも私のことを「園長先生!」と呼びます。そう呼ばれるのが別に嫌なわけではありませんが、何とも興味深く感じています。

あらためて周りを見ると、世間では名前で呼ばれるよりも「肩書き」で呼ばれる方がとても多い気がします。地域に行けば「〇〇区長さん」役所に行けば「〇〇課長さん」。皆さんの周りでも、きっと同じはないでしょうか。

「肩書き」というと、その人が社会的に担う役割というイメージがあるので、つい役職などを想像しがちです。しかし私は「お父さん」「お母さん」や「小学生」「赤ちゃん」も、人間関係における役割をあらわす「肩書き」ではないかと感じています。


こども園の0歳児クラスには、現在12人のお子さんと4人の保育者がいます。当然、言葉を話せるお子さんはいませんが、保育者はそんな0歳児に対しても、必ず声掛けをしながら保育をします。

オムツを替える時には、「濡れて気持ち悪かったね」
替えた後は、「キレイなオムツになって気持ちいいね」
楽しそうに遊んでいる時は、「嬉しいね、楽しいね」
ごはんの時は、「あったかくて美味しいね」「いっぱい食べたね」

・・・こんなふうに、いつどんな時でも話しかけることを忘れません。

発語する前のお子さんに話しかけることは、言葉の獲得において必要であり、とても重要とされています。これは医学的にも証明されていますし、ベテランのお母さんにとっては当たり前の事かもしれません。

実は、このように話しかけるのは言葉の獲得だけが目的ではありません。そのお子さんの人格を認め、そして「大切な存在」として接することが、何よりも大切なのです。

私たちは普段、0歳のお子さんに対して、「まだ言葉を話せず理解もできない子供=赤ちゃん」として一括りで見てしまいがちです。そして保育者自身も、自分のことを「こども園で児童の保育に従事する立場の人間=保育者」というふうに認識しています。

しかし、このような「肩書き」ばかりにとらわれていたら、本当の意味でお子さんたちをお世話することはできません。保育者自身も、自分の肩書き=職務上の立場にとらわれることなく、同じひとりの人間としてお子さんに接する必要があるのです。

(言うまでもないことですが)小さな赤ちゃんも、私たち大人と同じ、ひとりの人間です。

一人ひとりのお子さんには、それぞれの人格があります。まだ未発達ではあっても、お世話する私たちと同じように複雑な感情を持ち、はっきりとした意志を持っています。喜びや悲しみ、嬉しさや不満を、混じりけのない純粋な心で、全身を使って、一生懸命に表現します。

だからこそ、保育者は言葉が通じない小さなお子さんたちに対しても、笑顔と真心で話しかけます。これによって、私たちと何ら変わらない世界を見て聴いて感じているお子さんに、「あなたも私も同じですよ。かけがえのない大切な存在なんですよ」ということを伝えているのではないかと思っています。


こども園の中に限った話ではありません。子育ては、誰にとっても本当に大変です。特に、家庭での子育ては上手くいかないことの方が多く、悩んでいるお父さん、お母さんも多いと思います。

子育ての中心的な役割を担うお母さんは、周囲から「しっかり子育てができる、立派なお母さん」であることを求められます。そんな状況の中で、「この子のために、私は立派なお母さんにならなければ」「周りからの期待に応えなければ」と、自分自身を追い詰めてしまう方も多いのではないかと思います。

しかし、この「(立派な)お母さん」というのも、ひとつの肩書きに過ぎないのではないかと思うのです。

「(立派な)お母さん」であろうとすることがお母さんの心のゆとりを奪うのであれば、そんな「肩書き」を降ろしてみてはいかがでしょうか?

たとえ「立派」でなくても、お子さんにとってお母さんは「たった一人の大切な存在」であり、お母さんにとってお子さんがかけがえのない存在であることに、変わりはないからです。


「柳は緑、花は紅」

柳は柳として緑に揺れ、花は花として赤く咲いています。同様に、すべての人がそれぞれに個性を発揮しながら、互いに支え合い、調和して生きるのが、理想の社会ではないでしょうか。

自分自身が思い込む肩書きにとらわれたり、周りの人を肩書きで判断するのをやめ、「心の色眼鏡」を捨てて、まっさらな気持ちで向き合ってみましょう。

お互いに、誰もが等しく「大切な存在」であることを尊重し合いながら、助けあって生きていけたらいいですね。
 

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