基本の書道具とその置き方~文房四友

野田 芳樹
2021/10/22

近ごろ、この「禅書庵」や書の動画を見てくださった方で、「書道に興味がわいたから、やってみたい!」と声をかけてくださった方がいました。とてもありがたいことです。

ただ、こうも言われました。


「始めてみたいけれど、最初にどんな道具を用意して、どう置いたらいいのか分からない…」


そこで今回は、習字や書道をはじめるにあたって、最低限用意することが望ましい道具(私見です)とその基本的な置き方について動画で紹介した後、文章で詳しく掘り下げていきます。

まずは動画をご覧ください




動画でもご紹介しているように、最低限用意するのが望ましい書道具は以下の通りです。動画で言及しきれなかった選び方のポイントも含め、改めてご紹介します。

1、筆

初心者の方には、穂先が長い筆はおススメしません。半紙に書く場合、初めは穂先が4~5cmほどで、馬の毛を主に使った硬めの筆を選ぶとよいでしょう。筆の選び方がうまくいかないと、上達が妨げられる大きな要因になります。書道具店に行き「こんな感じの文字をこれくらいの大きさで書きたい」とニーズを伝え、適切なものを選んでもらうとよいでしょう。

2、墨

固形墨と墨汁に大別されます。ご本人のニーズにもよりますが、初心者の内はとにかくたくさん書くことが上達への道だと思いますので、初めのうちは墨汁を使い、作品を創るようになったら固形墨で個性を出すことを推奨します。(実は私も大きな作品を書くときはもっぱら墨汁を使い、作風やその時の温度・湿度によって水を加えて濃さを調節しています)

3、硯

細かい装飾が入った硯もあり、古来から美術品として珍重《ちんちょう》されてきたものも。宮城の雄勝硯《おがつすずり》や三重の那智黒硯《なちぐろすずり》など、日本にも有名な産地があります。様々な彫りや石の色・触り心地の硯があるので、コレクションするのも楽しみ方の一つです。固形墨を磨る場合は、石の硯でしか磨れません。石製の硯の表面には、鋒鋩《ほうぼう》と呼ばれる、目には見えないほどの細かな突起があり、その突起で墨が削られ墨汁になるからです。

4、紙

書道においては、漢字用の紙とかな用の紙を区別することが大事です。あなたが習いたいのは漢字(もしくは漢字かな混じり文)でしょうか?それともかな文字でしょうか?かな用の紙はにじまないよう特殊な加工がしてあるため、かな用の紙に漢字を書くことは原則できません。逆に、漢字用の紙にかなを書こうとすると、必要以上ににじみが出てかな特有の線の鋭さや流れが表現しにくくなります。ここでもやはり、ご自身のニーズを確かめるところから。

5、文鎮

さまざまなデザインの文鎮がありますので、ご自身の好みのものを。私の知り合いの書家の中には「書は芸術なのだから、自分のセンスが刺激されるものを側に置いておかないと感性が鈍ってよい作品ができない」と、特にデザインの種類が豊富で比較的安く手に入る文鎮には並々ならぬこだわりを見せる人もいます。

6、下敷き

厚さ2mmほどの、フェルト製のものを選ぶとよいでしょう。できれば罫線の入っていない無地の下敷きをおススメします。私の経験ですが、例えば半紙に6文字書こうとしたときに下敷きに4文字分の罫線が入っていて、罫線がジャマをして本来書くべき位置が分かりにくくなってしまったことがあります。個人的には罫線に頼るよりも、書く文字数に合わせてその都度紙を折った方が得策だと考えます


私が日ごろよく使う道具と、その配置です。

文房四宝と文房四友

さて、動画の中でも少し言葉を出しましたが、上記の道具の内1~4を「文房四宝《ぶんぼうしほう》」と呼び慣わします。私が習ったところによると、すでに中国の漢の時代にはこれらの文房具をコレクションしたり眺めて愛でる文化が芽生えていたとも言われます。


文房四宝には「文房四友《ぶんぼうしゆう》」という別称もあります。私としては「宝」という表現も素敵だなと思う一方で、「友」の字には親しみやすさを感じるため「四友」という表現も気に入っています。


この「友」という言葉は仏教においてもとても大切な意味合いを持ちます。その昔、お釈迦さまが存命だった頃、阿難尊者《あなんそんじゃ》というお弟子さんから次のようなことを問われました。


「仏道を歩む上で、よき友(仲間)をもつことは、清らかな修行の半分を達成したことに等しいと思われますが、いかがでしょうか?」


それを聞いたお釈迦さまは、こうお返事をされたそうです。


「阿難よ、そうではないぞ。よき友をもつことは修行の半分どころか、その全体なのだ。


ここで言う「友」とは、私たちが日ごろ使ういわゆるフレンド(友人)ではなく、道を歩む上で共に研鑽しあう仲間のことを指します。なぜお釈迦さまは「仲間をもつことが修行の全てだ」とおっしゃったのでしょうか?


それはきっとご自身の修行体験から、果てしなく続く「仏道」を歩むためには、ともに笑い、泣き、励まし合い、ときに自分が過ちをおかしたときに叱ってくれるなど、日々の歩みを支え、向かうべき方向を軌道修正してくれる存在の大切さを実感されていたからではないでしょうか。別の見方をすれば、人は誰しも常に誰か・何かのお世話にならないと道を歩み続けることは困難であるとも言えます。その意味で、道をともに歩んでくれる存在、自分の日々を支えてくれる周りの人やものごとは「友」であり大切な「宝」なのです。


話は戻って、文房四宝・四友になぜ「宝」や「友」と付いているのか。残念ながらその起源の詳細は分かりませんが、個人的には先に述べた仏道を歩む上で大切にされている考えと通じるものがあると思っています。「よき道具を吟味し手にすることは、書の道の始まりであると同時に、すべてである」とは、言い過ぎでしょうか。


書道具は「宝」であると同時に、終わりなき旅を一緒に歩んでくれる「友」でもあるのです。道具を「書を続ける上で欠かせない大切な宝だ」とみなすことに加え、「一緒に道を歩み、ときに激励をくれる友でもあるのだ」と思うことが出来たならば、書道具が愛おしく思え、継続するモチベーションにもつながり、書がいっそう楽しみになってゆくと思うのです。


ちなみに私は書のお稽古に行き詰まったときや、思うような作品ができないとき、投げやりな気持ちになることがしばしばあります。そんなときに側を見ると、筆墨硯紙などの道具たちが私をじっと見ていて「こんなもんかい?」と発破をかけてくれている気がします。そして「自分のお稽古不足でこの道具たちの本領が発揮されないのは申し訳ない」という気持ちがふつふつと湧き、「もう少し頑張ってみよう」とまた作品づくりに向き合えます。


道具は宝であり友である――こんな考えを持って書道具屋さんに足を運ぶと、見える景色が変わるかもしれません。もしかしたら「おーい、待っていたよ!」と道具の方から声をかけてくれるかも。
道具との出会いを楽しむことも、書道の醍醐味です。



*次回以降、この「文房四宝(友)」の中身について詳しくご紹介していきます。12月は「筆」についてより詳しい解説をする予定です。

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