文房四宝の詳細~その1 筆編

野田 芳樹
2021/12/22

1.筆の基礎知識

■筆の各部の名称

筆の部位は、大きく分けて「《ほ》」「筆管《ひっかん》(「軸」とも)」「尾骨《びこつ》」に分かれます。「穂」をさらに細分化すると、根元から順に「」→「」→「のど」→「穂先《ほさき》」とそれぞれに名称があります。大きな字を書く場合には根本(腰)まで筆をおろして書くことが一般的ですが、かな文字を書く際の小筆をおろす場合は腰までおろすことは禁物。小筆をおろすときは穂先までにとどめ、洗うときにも細心の注意を払います。


■良い筆の四つの条件

古来より、良い筆を選ぶ際には、「《せん》」「《せい》」「《えん》」「《けん》」の「四徳《しとく》」と呼ばれる四つのポイントをおさえよと言われます。それぞれ筆のどのような特徴を指すか、以下にみていきましょう。

1)尖

穂先のとがり具合のこと。良い筆ほど、穂先に毛が多く、きれいに鋭く作られています。

2)斉

筆を平らに押し広げたときに、毛の先がきれいに一直線にそろっていること。毛先がバラバラで不揃いの毛が飛び出しているような筆は、書く字も不安定になりがちなので避けた方が無難です。

3)円

穂全体がきれいに整った円錐型になっていること。墨を含ませたときに、不均一なふくらみや不自然な毛のねじれがないか?がチェックポイントです。

4)健

穂全体の各部位(上記)がバランスを保って、程よい弾力があること。100円ショップなどで売っている安い筆を一度使うとよくわかりますが、筆に「健」が無いと紙からの跳ね返りがほとんど感じられず、筆運びが不安定になり芯の通った字を書くことが難しくなります。


以上の四徳を全て満たしている筆が良い筆とされますが、売られている筆はのりで固められている場合がほとんどで、実際に使ってみないとわからないというのが正直なところ。どのような字を書きたいか?(字体や大きさ、漢字かかなか等)を明確にした上で書道具屋さんに相談し、自分の目的に合った筆を何種類か求めて書き比べることをおすすめします。


■筆の材料

ご承知のように、筆と一口に言っても本当に様々な種類があります。筆の区別の仕方もその分多種多様になるわけですが、私自身が書道をやっていて筆選びの際に一番大きなポイントになるのは、毛の素材だと考えています。もちろん、穂の長さや直径(つまり、筆のサイズ)も考慮にいれなければなりませんが、書き心地を大きく左右するという点ではまずは毛の材質から決めるのが理想でしょう。以下に、代表的な素材とその特徴をまとめてみました。


・馬

硬くこしのある筆ができるため、もっともポピュラーな素材として使われます。馬はほぼ全身の毛が筆の材料として使えるという、なんともありがたい毛質をもつ動物。ただし、馬の毛単体ではまとまりにくいため、他の種類の毛と交ぜて使われることが多いことも特徴と言えます。ちなみに、一種の材料だけでなく複数の種類の毛を交ぜてつくられた筆を「兼毫筆《けんごうふで》(「毫」は細い毛の意味)」と呼びます。


・イタチ

ほどよい弾力があり、耐久性にも優れています。とめ・はね・はらいなどの書の基本が表現しやすく、初心者の方が使うにはもってこいの毛質と言えるでしょう。どのような書体にも使いやすいですが、特に楷書を書くときには重宝します。ちなみに、筆の毛としては胴体ではなくしっぽの毛が使われることが多いのだとか。


・山羊《やぎ》

一般に「羊毛《ようもう》」と呼ばれる筆は、羊ではなく中国に生息する山羊の毛でつくられたもののことを指すことが大半です。部位によって書き味が異なりますが、共通する特徴としては「柔らかく、墨含みがよいこと」が挙げられます。行書や草書などやわらかいタッチの書風を表現したいときにおすすめです。


・狸《たぬき》

狸の毛は、柔らかい素材の中では比較的硬めで弾力ある書き味を持っており、穂先の開閉に優れていることが主な特徴として挙げられます。主に胴体の部分の毛が使用されることが多いそうですが、背中・腹の毛が使われることも。背中の毛を「黒狸」、腹の毛を「白狸」と呼んで区別されることもあります。


・兎《うさぎ》

皆さまは兎の筆と聞くと「フワフワもふもふの動物からとれたものだから、柔らかい書き味なのだろう」というイメージはありませんか?実際はその真逆と言っていいほど兎(もっぱら、筆に使われるのは野兎)の毛は剛毛で、硬く弾力があります。書き味なめらかな筆に仕上がるため、主に小筆用に使われることが多いです。


上記以外にも、ムササビやキツネ、猫などの毛を使った筆もあります。中には竹やニワトリを使った一風変わった筆も。毛の材料によって書き味は大きく異なりますし、筆職人によって毛の組み合わせや配合比率も変わります。「この書体にはこの材質の筆を使わねばならない」という決まりは一切ありませんので、自由に楽しく筆を変えながらお稽古することも推奨します。自分の字がマンネリ化してきたときに、筆の材質を変えてみることで自分の字の新たな一面を見られる可能性が広がります。


2.おすすめの筆五選

筆に関する基本的な知識をおさえても、数多くある中でどのような筆を選べばよいのかは迷いどころだと思います。私自身も書く文字の種類によって何本もの筆を使い分けるため、いまだに用途に応じて様々な筆を試しています。実際に色々試すことで、自分の中に筆の硬さや墨の含み具合、線の伸びやかさ・太さ・かすれ具合などの「筆づかいの感覚」がきめ細かく蓄積されていきます。自分になじむ筆に出会う道のりを歩むことも、書道の醍醐味と言えるでしょう。究極は個々人の「好み」ということになるのかもしれませんが、現在私がよく使用し、皆さまにもおすすめしたい筆を五本選びました。ご参考にしていただければ幸いです。

1)研精《けんせい》

・穂の直径:1cm

・穂の長さ:4.2cm

・素材  :馬

・購入先 :名古屋ホウコドウ(愛知)


【特徴】

初心者の方には特におすすめの一本です。毛がほどよく硬く弾力があり、主に楷書のようなかっちりした字の基礎練習をしたいという方に推奨します。私も日ごろ半紙に楷書のお稽古をするときには、ほぼこの「研精」を使っています。


▼この筆を使った参考作品


2)雄飛《ゆうひ》

・穂の直径:1.2cm

・穂の長さ:4.9cm

・素材  :山羊

・購入先 : 松林堂(奈良)


【特徴】

こちらは山羊の毛がふんだんに使われているため柔らかく、行書や草書をお稽古したいときに重宝します。山羊の毛が多く使われている筆の中では比較的弾力があり、自分の思った通りの線が表現しやすいことも特徴なため、初心者の方にもおすすめできます。

▼この筆を使った参考作品


3)山城《やましろ》

・穂の直径:1.4cm

・穂の長さ:5.8cm                      

・素材  :芯にたぬき、外に羊毛

・購入先 :龍枝堂(京都)


【特徴】

芯はたぬきの毛を使っているためやや硬めの書き味。外側の羊毛とのバランスが非常によく、楷書のような硬めの書にも、近代詩文書のような柔らかさが求められる書にも、柔軟に対応できます。私はこのサイズの筆をつかって半切(35cm×136cm)の作品をよく書きます。

▼この筆を使った参考作品


4)羊毛の長筆(固有の名前は無し)

・穂の直径:1.2cm

・穂の長さ:8cm

・素材  :山羊

・購入先 :魁盛堂(愛知)


【特徴】

穂全体がとても柔らかいため、コントロールが難しい筆。正直なところ初心者向けではありませんが、コントロールがききにくい分自分でも予想しなかったような意外性のある線が出てくる可能性が高くなり、「予定調和」を回避したい方には推奨します。私は、とりわけ面白い線・表現が求められる近代詩文書の作品をつくる際に、もっぱらこの筆を使っています(この穂の長さだと、半切以上のサイズの紙に書く場合に使用することをおすすめします)。


▼この筆を使った参考作品


5)加茂川《かもがわ》

・穂の直径:0.6cm

・穂の長さ:2.9cm

・素材  :芯にイタチと白狸、外に山羊

・購入先 :龍枝堂(京都)


【特徴】

穂先が非常に鋭く極細の線が表現しやすいため、かなを書く際に線質の幅が広がります。芯がコシのあるイタチ毛ということもあり、安定した線がひきやすいことも特徴。かなのような流れるような文字にも使いやすいほか、手紙や宛名書きをする際にかっちしりた字を書かねばならないときにも重宝しています。


▼この筆を使った参考作品


3.弘法大師からの学び

筆に関する有名な言葉に「弘法筆を選ばず」ということわざがあります。弘法大師、すなわち真言宗の開祖である空海《くうかい》は書の達人としても知られます。「書に精通した弘法大師は、どんな筆を使っても素晴らしい字が書くことができた」という逸話から、「熟練の技術を持つ人は道具や材料にとやかく言うことなく見事に使いこなす」という意味のことわざとして使われるようになりました。


書道の本などで話題が筆に及ぶと、このことわざに関して必ずと言っていいほど引き合いに出されるのが「このことわざは誤りで、実は弘法大師は筆に並々ならぬこだわりをもっていたのだ」という言説です。確かに弘法大師作の漢詩文集『性霊集《しょうりょうしゅう》』を覗くと、次のような言葉が見られます。


良工は先ずその刀を利《と》くし、能筆は必ず好筆を用ふ。刻鏤《こくろう》は用に随ひて刀を改め、臨池《りんち》は字を逐《お》ひて筆を変ふ。


【私訳】

優れた工芸家は彫刻刀を巧く使い、優れた書家は必ず良い筆を使う。名工は彫刻するものに応じて彫刻刀を変え、優れた書家はどのような文字を書くのか、その用途によって筆を変えるものである。


これを読むと、「弘法筆を選ばず」というのは誤りのようにも思われます。しかし、「弘法大師が筆を選んだか、選ばなかったか」ということを議論すること自体にそれほど意味はないように思います。 弘法大師の遺した作品をみていると、私には非常に生き生きと楽しんで筆をとっているお大師さまの姿が目に浮かびます。

有名な作「灌頂記《かんじょうき》」などは、元々書作として書かれたものではありません。仏縁を結ぶ真言密教の儀式「結縁灌頂《けちえんかんじょう》」を受けた人たちの名前を記した単なる「名簿」であり、弘法大師が儀式の最中に手控え(メモ)として書いたもの、という説も。ですが、どこか儀式中に忙しなく働きながらも仏縁を結ぶ人たちを祝福する弘法大師の微笑みが伝わってくる感じを受けます。

「 灌頂記 」の一部

きっと弘法大師の日常には筆をとって書をかくということが当たり前にあり、「書を楽しむ心」を常に持っておられたからこそ、書かれた作が現代にも残り今なお私たちの心をくすぐるのでしょう。その楽しみの一つに「筆を吟味して選ぶ」ということもあったかもしれませんが、私たちが先ず学ぶべきは筆の選択以前の「書を満喫する気持ち」ではないでしょうか。

今回私がこの記事を書いていて改めて強く思ったことは、「いかに筆に関する情報や知識を身につけても、楽しむ気持ちがなければ書道は始まらないし続かない」ということです。種々述べてきましたが、あまり気負わずに筆をとり、一緒に楽しく日々の暮らしの一部として書を満喫できればと願っています。

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