正続院境内より舎利殿を望む

鈴木大拙が出会った人々(7)ビアトリス・レーン

蓮沼 直應
2023/7/23

ニューヨークでの出会い

明治38年、釈宗演老師は仏教を伝えるべく、アメリカ各地へ講演の旅に出ます。通訳を勤めたのはアメリカ滞在中の鈴木大拙居士です。この講演旅行は鈴木大拙居士にとって、師の考えを学ぶチャンスとなっただけでなく、人生を左右する重要な出会いの機会ともなりました。それがビアトリス・レーンとの出会いでした。
 
講演旅行の終盤、明治39年4月になると、宗演老師と大拙居士はアメリカ大陸を横断してニューヨークの地にあり、4月8日にはヴェーダンタ協会(1)の釈尊降誕会でも講演をします。
 
その講演の聴衆の中に一人の女子学生がいました。それがのちに大拙居士の妻となるビアトリス・レーン女史です。老師の語る大乗仏教に強い興味を持った彼女は、その10日後に宗演老師を個人的に訪ねてきます。そのときの対談を通訳したのも大拙居士でした。


 

ビアトリス・レーン女史の出自

ビアトリスの母エマは英国貴族アースキン家の出身で、アメリカ人のレーン氏に嫁ぎ、1878年にボストンでビアトリスを生みました。娘はビアトリス・アースキン・レーンと名乗り、ラドクリフ・カレッジ(2)にて宗教哲学や東洋思想を学び、そののちコロンビア大学にて社会学を修めてM.A.(Master of Arts)の学位を取得します。
 
ラドクリフ・カレッジとはマサチューセッツ州ケンブリッジ市に存在した女子大学で、ハーバード大学と提携関係にあり、同大学の教授がラドクリフ・カレッジでも教鞭を振るっていたといいます。ビアトリスが卒業した2年後にはヘレン・ケラーが入学しています。
 
当時のラドクリフ・カレッジでは、大拙居士がその著作から大きな影響を受けたウィリアム・ジェイムズの他、ロイス(3)やサンタヤナ(4)といった著名な哲学者たちの講義も直接聞くことができました。
 
彼女は伝統的なキリスト教の信仰では納得することができず、東洋の思想に関心を持っていました。彼女の生まれたボストン周辺は、アメリカの中でも古くから東洋思想に理解のある風土であったといいます。
 
ボストンにゆかりのある人物として、『自然』の作者ラルフ・ワルド・エマーソン(5)や、『ウォールデン 森の生活』で知られるデイビッド・ヘンリー・ソロー(6)といった文学者がいます。彼らによって1830年代 から60年代にかけて超絶主義と呼ばれる考え方が現れました。これは客観的で日常的な経験を超え出て(超絶して)、直観による主観的な善、人間に内在する自然を強調する考え方です。
 
エマーソンに始まるこうした考え方の背景に東洋の思想があります。エマーソンは当時アメリカの雑誌で翻訳され始めたヴェーダ(7)などのインド哲学の古典から影響を受けていました。彼の弟子であり友でもあったソローもまたインド、ペルシャ、中国の思想に魅了されました。
 
ビアトリス女史があるとき『バガヴァッド・ギータ―』(8)を読んで、ヴェーダや南方仏教に対して強い関心を抱くにいたったのも、そうしたボストンの知的雰囲気と無縁ではなかったように思います。


 

大拙居士との結婚

そうした関心を胸にニューヨークで宗演老師の講演を聞いたビアトリス女史は、老師の語る大乗仏教に強く惹かれることになります。そして通訳である大拙居士とも親密になっていきました。夫婦間の人格的交流という繊細な点を、限られた文献や記録から語るということは慎みますが、少なくとも二人が志向する思想は合致していたと言ってよいでしょう。
 
大拙居士は渡米前から「エマーソンの禅学論」と題した論説を発表していました。さらに、渡米後はオープン・コート社で働きながら、ウィリアム・ジェイムズの著作にもいち早く目を通していました。そうした大拙居士の宗教思想と合致する思想背景を持つ女性が現れたということは、大拙居士にとってこれ以上ない出会いだったように思います。
 
明治42年に大拙居士が帰国すると、その2年後にはビアトリスも来日、その年の12月に二人は結婚します。彼らは結婚生活の目標として、「東洋思想又は東洋感情とでも云ふべきものを、欧米各国民の間に宣布する」ということに定めました。彼女は私生活の伴侶であると同時に、自らの著述活動を実務的に支えてくれるパートナーともなりました。
 
大拙居士は日本語だけでなく、英文でも多くの著作を残されましたが、そうした英文著作の元となる個別の論文を執筆する際には、ビアトリス夫人がネイティブ・チェックで助力していたことは想像に難くありません。


 

ビアトリス女史の宗教研究

しかし、ビアトリス夫人は自分自身、一人の研究者でもありました。大正10年(1921年)、大拙居士が真宗大谷大学(9)の教授に任じられるのと同時に、ビアトリス夫人も同大学予科の嘱託教授に任じられ、共に京都に移り教師としての生活を始めました。
 
ビアトリス夫人の宗教研究の主な関心は、大乗仏教の中でも真言密教に向けられていました。また単に仏教を研究するだけでなく、神智学というより別の枠組みから仏教を捉えようとする視野ももっていました。
 
1875年、ブラヴァツキー夫人(10)とオルコット大佐(11)という二人の人物によってニューヨークに神智学協会が組織されます。ここで言う「神智学」とは、時代や地域を超えて、あらゆる宗教に「神の叡智」があり、そこに宗教の本質を見出して、そうした神聖な知を探求していこうとする営みを指します。この神智学協会の運動は英米の思想界にも影響を与え、20世紀のスピリチュアリズムやオカルティズムの源流の一つとみなされています。
 
ビアトリス夫人もこの神智学協会と関わりがあり、神智学協会によって設立されたクリシュナムルティ(12)の「東方星教団」(The Order of the Star in the East)の日本支部が1930年頃まで、鈴木家に置かれており、鈴木家ではこの耳慣れない名前の結社の会合が開かれていました。


 

大乗仏教の慈悲

ビアトリス夫人はやがてそうした神智学から、仏教へと関心を移していったようです。ビアトリス夫人の思想は、彼女の死後、大拙居士によって『青蓮仏教小観』という本にまとめられました。そこでは大乗仏教の考えが中心に語られています。
 

大乗仏教に於て最も多く私の心を惹くものは菩提心の教へであります。人間や動物を含めて、凡て此の世に生を享けたいものが、悉く仏性を具し、やがて成仏すると云ふ教へは、世界のあらゆる教への中で最も優れた輝しいものであると、私には考へられます。

(『青蓮仏教小観』)

人間だけでなく、動物にも仏性があるという大乗仏教の教えは、ビアトリス夫人にとっては、ただの観念ではありませんでした。夫人は当時の日本ではまだ希薄であった動物愛護の想いが強く、捨てられた犬や猫、酷使されている家畜を救うための運動をしていました。そうして保護した動物のために「慈悲園」と呼ばれる施設を円覚寺の境内に作り、みずから熱心に動物の世話をしました。
 
また自身は徹底した菜食主義を採っただけでなく、その植物に対しても憐憫の念が強く、大拙居士は夫人の不在時を狙って、庭木の刈り込みをしていたという程です。文字通り一切衆生に対する慈悲心を実践しようとした生涯を送ったのです。
 
その夫人も昭和14年に亡くなります。大拙居士にとって、夫人の存在は非常に大きいもので、彼女の没後には「自分が半分なくなった」と述懐しています。大拙居士とビアトリス夫人と共に仏教を欧米に紹介するという目標をかかげ、まさしく一体となって人生を捧げて来たのです。
 
次回「佐々木月樵」では、そうした二人の具体的な仕事についても併せてご紹介していきたいと思います。

『禅からZENへ〜鈴木大拙が出会った人々』は隔月(奇数月)連載でお送りします。第8回「佐々木月樵」は、2023年9月20日頃に掲載予定です


  1. ヴェーダンタ協会:インド出身のヒンドゥー教徒、ヴィヴェーカナンダによって設立された協会。ヴィヴェーカナンダはラーマクリシュナに学んだヴェーダンタ思想家で、万国宗教会議にも出席した。
     
  2. ラドクリフ・カレッジ:マサチューセッツ州ケンブリッジに存在していた女子大学。1879年に設立され、現在ではラドクリフ高等研究所としてハーバード大学に合併されている。
     
  3. ジョサイア・ロイス(1855~1916年):カリフォルニア生まれの哲学者。ドイツに留学し、ドイツ観念論を学び、のちジェームズの同僚としてハーバード大学で教えた。著作として、個人の共同体への「忠誠」を説いた『忠誠の哲学』(1908年)があり、日本の哲学界にも影響を与えた。
     
  4. ジョージ・サンタヤナ(1863~1952年):スペイン生まれの哲学者。幼少期にアメリカに渡り、ハーバード大学でジェイムズやロイスに学び、自身も同大学で教えた。
     
  5. ラルフ・ワルド・エマーソン(1803~1882年):アメリカの詩人・思想家。1821年ハーバード大学を卒業し、ボストン第2教会の牧師となる。その後、伝統的儀式の形式に疑義を抱き、辞職する。1834年からコンコードに住み、伝統的なキリスト教思想を否定した思索を展開する。人間は人間自身の内に神性を具え、それを直観することによって、世界を統一する理性・神・大霊と一体化することができる、と説いた。
     
  6. ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817~1862年):アメリカの詩人・思想家。ハーバード大学を卒業後、生涯を通じて定職に就かなかった。エマーソンと親交を結ぶ。ウォールデン池畔に丸太小屋を建てて、2年2カ月の自給自足生活を送り、その記録を『ウォールデン 森の生活』として発表した。
     
  7. ヴェーダ:古代インドのバラモン教の聖典。『リグ・ヴェーダ』、『アタルヴァ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』の4つから成り、祭祀において唱えられるテキストをまとめたものであると同時に、以後のインド学芸の始原と見なされている。
     
  8. 『バガヴァッド・ギータ―』:1世紀頃成立した、古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』のうちの小詩篇。ヒンドゥー教各派で親しまれ、独立した聖典として扱われる。
     
  9. 真宗大谷大学:京都市北区にある大学。1665年に設立された東本願寺の学寮に起源をもち、明治期には近代的な大学を目指し、1911年に真宗大谷大学と改称。1913年に京都市北区小山上総町にキャンパスを構えた。1922年には大谷大学として大学令の認可を受ける。
    →大谷大学(公式ウェブサイト)
     
  10. ヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831~1891年):ロシア出身の神智学者。17歳でブラヴァツキー氏と結婚するも数か月で離婚。その後、世界各地を旅行したのち、ロシアで霊媒師として知られるようになる。1870年頃よりアメリカに滞在し、1875年にオルコット大佐とともにニューヨークに神智学協会を設立するも、やがて同地では活動困難となり自身と協会をインドに移した。
     
  11. ヘンリー・スティール・オルコット(1832~1907年):アメリカ生まれの神智学者。神智学協会の創始者にして初代会長。欧米人としてはじめて仏教と公式に対話をしたことで知られている。日本にも訪れ仏教に関する演説を行っている。
     
  12. クリシュナムルティ(1895~1996年):インド生まれの宗教家。子供のころ、インドのマドラスにあった神智学協会のそばで暮らしていたところ、協会のリーダーたちによってその霊的な力を見出され、「世界の教師」となるべくヨーロッパでの教育を受けることとなった。神智学協会は彼の活動を助けるべく、「東方星教団」を設立したが、この教団はクリシュナムルティ自身の判断によって1929年に解散され、彼は協会と断絶した。その後彼は、独立した宗教指導者となって、インド、イギリス、アメリカに学校を作る事業に携わった。

写真提供:臨済宗円覚寺派 大本山 円覚寺
https://www.engakuji.or.jp
 

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