漢詩徒然草(13)「送春」

平兮 明鏡
2022/5/8

詩道花還人不還 詩に道う 花は還って人は還らずと
可看香盡槁枝閒 看るべし 香は尽く 槁枝の間
追懷舊夢色何若 旧夢を追懐すれば 色 何若
復待春風吹我顏 復た待つ 春風の我が顔を吹くを

槁枝 … 枯れた枝
旧夢 … むかし見た夢。過ぎ去った過去の出来事


五月に入りました。まもなく春が終わり夏になりますが、季節の移り変わり、特に春の終わりは、なんとなくもの憂い気持ちになってしまうものです。

ということで、今回の詩は「送春」――春を送る、というものですが、これは思うところがあって、大昔の名詩を題材にしています。その詩とは、唐の詩人、劉希夷《りゅうきい》「代悲白頭翁(白頭《はくとう》を悲しむ翁《おきな》に代わる)」です。
 

年年歲歲花相似 年々歳々 花 相《あい》似たり
歲歲年年人不同 歳々年々 人 同じからず

大変有名な詩ですが、特にこの二句が人口に膾炙しています。辞書にも載っているほどで「毎年毎年、花は変わることなく咲く。人の世の変わりやすいのに比べ、自然は変わらないことのたとえ。(小学館・デジタル大辞泉)」とあります。

辞書にもこのように載っているのですが、実はこの二句があまりにも有名なため、間違った受け取られ方をされてしまっていることが多いのです。詩に限らず、すべての文章には文脈というものがあるので、一部だけを切り取って見てしまうと、その本義を見失ってしまうこともあります。この句の直前の二句を見てみましょう。
 

古人無復洛城東 古人 洛城の東に復《かえ》る無く
今人還對落花風 今人 還《ま》た対す 落花の風

昔、この洛陽の東で花を見て遊んだ人は、もう二度と帰ってこないというのに、
今の人もまた、同じように花びらを吹き散らす風に向かって遊んでいる。

つまり、ここで言っている花とは落花、散ってしまっている花のことです。行楽を楽しんでいる人は、昔と今で同じではありませんが、花とて決して同じではないでしょう。

詩道花還人不還 詩に道う 花は還って人は還らずと
可看香盡槁枝閒 看るべし 香は尽く 槁枝の間

 

 
季節は繰り返すもの、それはもちろんそうなのですが、しかし、まったく同じ春が巡ってくるわけではありません。春は毎年やってきますが、同じ花は一つとしてないはずです。「花、相似たり」の「似」の字に注目してください。「相似たり」とは、あくまで似ているだけで同じではないのです。

さらにその前の二句にはこうあります。
 

已見松柏摧爲薪 已に見る 松柏《しょうはく》の摧《くだ》かれて薪《たきぎ》と為《な》るを
更聞桑田變成海 更に聞く 桑田《そうでん》の変じて海と成るを

長寿の松や柏(カシワ:ヒノキ科の常緑樹)も切り倒されて薪にされてしまうのをすでに見たし、
さらには桑畑もいつしか海に変わってしまうとも聞く。

松や柏は、季節で色を変えることがない常緑樹で長寿の象徴です。その松や柏が、摧かれて薪にされてしまう。また「桑田の変じて海と成る」というのは「昔、桑畑だったところが没して、今は海となってしまった」という、世の中の激しい移り変わりをいった喩《たと》えです。つまり、この句は「人の世は変わりやすいが、同じように自然も変わりやすい」と言っているのです。


しかし、「代悲白頭翁」が本当に言いたいことはそのことではありません。「代悲白頭翁」の全文を下に載せていますので、是非読んでもらいたいのですが、この詩を読んでどのような感想を持つでしょうか?

この詩は全編を通して、若いころには二度と戻れないという老いの悲しみを、翁の立場を借りて延々と問いかけてきます。本当に、始めから終わりまで延々と、です。しかし、最後までその答を教えてはくれません。

あえて答を出す必要はありませんし、別に答が欲しかったわけではありませんが、ここで終わってよいのか?という何か釈然としないものが、私の中には残りました。ですので、私はこの詩を作りました。

追懷舊夢色何若 旧夢を追懐すれば 色 何若

すべてのものは移り変わります。春は毎年やってきますが、同じ花は一つとしてありません。ということは、同じように過去と同じ自分も一つとしてないはずです。

「代悲白頭翁」が訴えるように、二度と若いころには戻れませんし、時間の流れには逆らえません。しかし、老いを避けることはできませんが、どう老いるかは自分で決めることができるはずです。ということは、人生をどのように生きるのかは、結局は自分次第なのではないでしょうか?

老いるということは停滞や逆行を意味しているのではありません。春を待つまでもなく、一秒先があればそれはもう未来です。そう考えると、どんな年齢の人でも生きている限り、必ず未来はあるのですから、何を始めるにしても遅すぎるということは決してありません。今を嘆くより、今のこの一歩を進めていきたいのです。そうすると、そこにはもう憐れむべき翁はいないのではないでしょうか?

復待春風吹我顏 復た待つ 春風の我が顔を吹くを

絶えず変化し続けるということは、逆に言えば、私たちの人生もいかようにも変わっていける、変えていける、ということです。それは、春を生き、夏を生き……そして再びやってきた春に「また、会ったね」と言えるような、そんな生き方なのではないでしょうか。


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詩道花還人不還 詩に道う 花は還って人は還らずと
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可看香盡槁枝閒 看るべし 香は尽く 槁枝の間
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追懷舊夢色何若 旧夢を追懐すれば 色 何若
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復待春風吹我顏 復た待つ 春風の我が顔を吹くを

仄起式、「還」「閒」「顏」上平声・十五刪の押韻です。
 

代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)

以下に「代悲白頭翁」の全文を記します。この詩は、華やかなりし過去と、哀れな現在の対比により、終始徹底して痛烈に老いの悲しみを訴えかけてきます。少々長いですが、鬼気迫るものがありますので是非読んでみてください。あなたは、この詩を読んで何を感じるでしょうか?
 

洛陽城東桃李花 洛陽城東 桃李の花
飛來飛去落誰家 飛び来たり 飛び去って 誰《た》が家にか落つ
洛陽女兒惜顏色 洛陽の女児 顔色《がんしょく》を惜しみ
行逢落花長歎息 行くゆく落花に逢いて 長歎息《ちょうたんそく》す
今年花落顏色改 今年 花落ちて 顔色改まり
明年花開復誰在 明年 花開いて 復《ま》た誰か在る
已見松柏摧爲薪 已に見る 松柏の摧《くだ》かれて薪《たきぎ》と為るを
更聞桑田變成海 更に聞く 桑田の変じて海と成るを
古人無復洛城東 古人 洛城の東に復《かえ》る無く
今人還對落花風 今人 還《ま》た対す 落花の風
年年歳歳花相似 年々歳々 花 相似たり
歳歳年年人不同 歳々年々 人 同じからず
寄言全盛紅顏子 言《げん》を寄す 全盛の紅顔子《こうがんし》
應憐半死白頭翁 応《まさ》に憐れむべし 半死の白頭翁《はくとうおう》
此翁白頭眞可憐 此の翁 白頭 真《しん》に憐れむべし
伊昔紅顏美少年 伊《こ》れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下 公子王孫 芳樹の下《もと》
清歌妙舞落花前 清歌 妙舞 落花の前
光祿池臺開錦繍 光禄《こうろく》の池台 錦繍を開き
將軍樓閣畫神仙 将軍の楼閣 神仙を画《えが》く
一朝臥病無人識 一朝 病に臥して 相識《そうしき》無く
三春行樂在誰邊 三春の行楽 誰《た》が辺《ほと》りにか在る
宛轉蛾眉能幾時 宛転たる蛾眉 能《よ》く幾時《いくとき》ぞ
須臾鶴髮亂如絲 須臾《しゅゆ》にして鶴髪 乱れて糸の如し
但看古來歌舞地 但《た》だ看る 古来 歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲 惟《た》だ 黄昏 鳥雀《ちょうじゃく》の悲しむ有るのみ

洛陽 … 河南省北西部の都市。唐の時代の東都
城 … 市街。古来、中国は城郭都市だった
顔色 … 顔つき、容貌
柏 … ヒノキ科の常緑樹。日本でいうブナ科の落葉樹のことではない
公子王孫 … 貴族の若者
光祿 … 前漢の光禄大夫・王根。光禄大夫は古代中国の官職名
將軍 … 後漢の大将軍・梁冀《りょうき》
池臺 … 池のほとりの楼《たかどの》や水亭
相識 … 友人知人
三春 … 春の三ヶ月間
宛轉 … 眉が美しく曲がっているさま。美人の形容
蛾眉 … 美しい女性の眉。ここでは美人のこと
鶴髪 … 白髪
須臾 … わずかな時間

洛陽の都の東に咲く桃や李《すもも》の花は、
飛び来たってまた飛び去って、誰の家に落ちてゆくのか。
洛陽の娘たちは、自分の容貌が衰えゆくのを嘆き、
ゆくゆく落花を見ては深いため息をつく。
今年も花が散るとともに、人の容貌も老い衰え、
来年、花が開く頃には、また一体誰が残っているだろうか。
長寿の松や柏も切り倒されて薪にされてしまうのをすでに見たし、
さらには桑畑もいつしか海に変わってしまうとも聞く。
昔、この洛陽の東で花を見て遊んだ人は、もう二度と帰ってこないというのに、
今の人もまた、同じように花びらを吹き散らす風に向かって遊んでいる。
毎年、毎年、花は同じように咲いているが、
毎年、毎年、その花を見る人は同じではない。
今を盛りの紅顔の若者たちに言わせてもらおう。
どうかこの半死の白髪の翁を憐れんでおくれ。
この翁の白髪は本当に憐れむべきものだが、
しかし、昔は紅顔の美少年だったのだ。
貴族の若者たちと香《かぐわ》しい花樹のもとに集い、
舞い散る花の前で、見事に歌ったり舞ったりして遊んだものだ。
それは、前漢の光禄大夫・王根の錦繍を広げた水亭や、
後漢の大将軍・梁冀の神仙を画いた楼閣の宴にも劣らないものだった。
しかし、一たび病に臥してからは、一人の友人もなく、
あの春の行楽の日々はどこへ行ってしまったのか。
眉目美しい若さが一体いつまで続くというのか。
あっという間に乱れた糸のような白髪になってしまうというのに。
かつて歌い舞ったかの地を見てみても、
今はただ夕暮れに小鳥が悲しげに囀《さえず》っているだけではないか。

七言古詩、押韻は「花」「家」下平声・六麻
        「色」「息」入声・十三職
        「改」「在」「海」上声・十賄
        「東」「風」「同」「翁」上平声・一東
        「憐」「年」「前」「仙」「邊」下平声・一先
        「時」「絲」「悲」上平声・四支

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