セイロンを言うシンハラ人:PN-2

亀山 博一
2022/6/1

“PHOTON NOTES(フォトンノート)へようこそ“Photon”とは「光の粒子」。写真撮影とは、一瞬にして消え去る「光」をイメージセンサーやフィルムで感受・記録する、とても神秘的な儀式なのです。旅先で、日常の中で、カメラと写真が大好きな筆者の心に写ったさまざまな情景を綴ります。
 


「インドとスリランカは同じような国だと思いますか?」

バンダラナイケ国際空港で出迎えてくれた現地ガイド兼通訳の男性は、流暢な日本語で自己紹介を終えると、唐突に聞いてきた。質問の意図がよくわからないまま「まあすぐ近くだし似たようなものだろう」と思って適当に「イエス」と答えると、彼は勝ち誇った表情でニヤリと笑った。

「では次の質問です。日本と中国は同じですか?日本と韓国は同じですか?」

・・・なるほど、そういうことでしたか。

「インドとスリランカは歴史も文化も言葉も違います。人の考え方も違います。となり同士でも、全然違う国です。日本と中国が違うのと同じです。」

ごもっとも。おっしゃる通り。失礼しました。

巨大なインド亜大陸の南東に浮かぶスリランカ。旧国名をセイロンといい、「インド洋に浮かぶ宝石」とも呼ばれる小さな島国である。ポーク海峡を挟んですぐお隣に存在する、かの人口ベースで世界第2位の超大国と比較されたり、「属国」とか「同じような国」と思われるのは、我慢ならないのだろう。それぞれの国に、固有の歴史と独自の民族性がある。当たり前のことだ。私はいい加減に答えたことを恥じた。

「スリランカ料理は、インド料理からパンチをなくして食べやすくした感じです」

渡航する前にベテラン添乗員からそう聞いていたが、実際その通りだった。スリランカの食べ物はちょっと辛いけれど、どれも繊細でやさしい味だ。民族性も同様なのかもしれない。

食べ物に例えると、インドという国は「激辛スパイシー闇鍋」のようだ。油断禁物。何が入っているかわからない。独特の臭気を放ち、極端にエネルギッシュで、底知れぬ魅力とパワーを秘めた謎の国。

訪れるたびに下痢や発熱で体力を奪われ、強引な物売りにあちこちでさんざんカモられ、行く先々で騙されたりしているのに、何度でも行きたくなる不思議な場所。インド滞在日数は累計2週間にも満たないが、いろいろな意味でノックアウトされた。「インド沼」にハマって長期放浪する旅人が多いのもわかる。理不尽&理解不能な部分も含めて、驚異的に面白い国であることは間違いない。

ただ、生まれつき小心者の私は、ヒンドゥー社会(*1)に横溢する独特な暗さや、そこで生き抜くために培われた人々の強靭なメンタリティなどに、どうしても胃もたれしてしまう。学生時代にダン・シモンズの『カーリーの歌』を読んだせいで、どす黒いトラウマを植え付けられたせいかもしれない(*2)。

それに比べてスリランカは、「南国風ピリ辛野菜炒め」のような感じ。実際に、カレーはインドのものよりマイルド。南の島国だけにカラッとして明るく、とても居心地がいい。

国民の7割が仏教徒(*3)ということも影響しているのか、人々は一般的に穏やかで親切。街の雰囲気は活気に溢れながらも清潔で、落ち着いた風情が感じられる。特に、深い緑に囲まれた古都キャンディの湖周辺の美しさや、朴訥で親切な人々との出会いは忘れ難い。滞在中に不愉快なトラブルは一切なかった。

とは言うものの、十数年前まで続いていたスリランカ内戦では政府軍によるタミル人のジェノサイドが行われ、その全容は未だに明らかにされていない(*4)。一見穏やかな「光輝く島(Sri Lankaの語源)」にも、深刻な民族対立という暗い側面が存在するのだ。

 

さて、アヌラーダプラ郊外の森林修行者の僧院を訪れた時のこと(*5)。

境内の入り口近くに白く塗られた可愛らしい小屋があった。受付事務所みたいなものだろうか。鮮やかなグリーンで塗られた部屋に、痩せたマイケル・ケイン(*6)みたいな白シャツのおじさんがぽつねんと立っていた(上座部仏教では基本的に僧侶はお金に触れることはできないので、お金を扱う業務は寺の信者である在家の人々が担当する)。

おじさんの立ち姿と色彩のコントラストがあまりにも美しかったので、カメラを指差しながら「Can I take a picture?」と尋ねると、おじさんは小さく微笑んで頷いた。


 

 

撮影のあと、おじさんはシンハラ語を交えたラフな英語で話しかけてきた。シンハラ語は全くわからないが、英単語の意味はだいたい理解できた。

「お寺にはお金がない。だから壊れた建物の修理ができない。日本人はスリランカより裕福な国だ。だからあなたもお金を持っている。日本は仏教が盛んな国だ。だからあなたも仏教徒だ。あなたはお寺に寄付をしたいはずだ。だから寄付してください」

・・・まさに正論である。ぐうの音も出ない。もう逃げ場はない。瞳を潤ませたマイケル・ケインからこんなことを言われたら、寄付しないわけにはいかないだろう。

修行者や幼い少年僧たちのために少しでもお役に立てればと思い(ツアーの現地ガイドを通じて拝観料を渡してあったはずだが)、私はお土産の正論、じゃなくてセイロン紅茶を買うためにとっておいたスリランカ・ルピーをお納めすることにした。

予想より少なかったのか、おじさんは少し残念そうだった。
日本人だからといって、お金持ちとは限らないのだ。

理不尽に押し切るインド。
正論で主張するスリランカ。

決めつけるのはイケナイとわかっていても、「似ているようだけど、やっぱりぜんぜん違うなあ」と、あらためて感じた次第である。
 



  • *1 ヒンドゥー教:紀元前2000〜1500年頃にヨーロッパから流入したアーリア人の信仰と、古代インドの土着的な信仰が結び付いて発生したインドの民族的宗教がバラモン教。支配階級による祭祀中心の宗教であったが、紀元前500年頃のインド宗教の大変革期(反バラモン教的宗教として仏教ジャイナ教などが誕生した)に各地の民間信仰を取り込んで変容し、ヒンドゥー教となる。
    ちなみに、悪名高いカースト制は、「現世は前世によってすべて決められており、努力しても変えることができない」というバラモン教的思想が生んだ厳格な身分制度。現在も根強く残るダリット(不可触民)の人々への苛烈な社会的差別は、インドの近代化や社会の改革を妨げる元凶として暗い影を落としている。
     
  • *2 『カーリーの歌(Song of Kali)』(1985):『カーリーの歌』(ダン・シモンズ/ハヤカワ文庫NV)は、1986年の世界幻想文学大賞を受賞したダン・シモンズの長編デビュー作。「死んだはずの詩人が書いた新作」を手に入れるため、妻子と共にカルカッタ(コルカタ)を訪れた編集者ルーザックに襲いかかる、底無しの悪夢。アメリカ人の主人公を通して「存在することすら呪わしい場所」として描かれる圧倒的に恐ろしいインド。大好きな本なので4回も読み返していますが、読んでいるといつも変な汗が出て身体がヌルヌルに・・・。あまりにもショッキングな結末と、最悪の読後感。人生で最も不快な読書体験になること間違いなしの怪作。実はあの佐々木閑先生もオススメなのです!
     
  • *3スリランカの宗教:「総人口の約70%が仏教徒、15%がヒンドゥー教徒、8%がキリスト教徒、7%がイスラム教徒である。キリスト教徒は西部に集中する傾向にあり、東部はイスラム教徒が多くを占め、北部はほぼヒンズー教徒で占められている。」(スリランカ国務省 民主主義・人権・労働局発行「信仰の自由に関する2007年国際報告書」より)
     
  • *4 スリランカ内戦:1983年から2009年にかけて展開されたスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)による内戦。スリランカ政府軍がLTTE支配地域を制圧して26年にわたる内戦は終結(Wikipedia→)。植民地統治が生み出した悲惨な民族対立。知れば知るほど暗澹たる気持ちになりますが、スリランカに行く前に必ず知っておくべき。
     
  • *5 森林修行者の僧院:スリランカには森の中で修行する僧院が数多く存在し、私が訪問したMihindu Aranya Senasanayaもそのひとつ。静かなジャングルの中に講堂や修行僧の住む小屋が点在し、中央に巨大な菩提樹があります。古都アヌラーダプラの近郊にありますので、スリランカ観光の際には是非。
     


今回のカメラ

SIGMA DP2・DP1 Merrill

中学生の頃から写真を撮影してきましたが、50代に近付いた頃に、ようやく自分の撮影スタイルというものが少しずつわかってきました。「明るい単焦点レンズと大きめのセンサーを搭載した、機動性の高いコンパクトカメラで撮影する」というのが私の性分に合っているようです。

そんなスタイルを決定づけたのが、今回ご紹介するSIGMAのDPシリーズとの出会いです。「変態」「異端」「革命」そして「無骨」という言葉がこれ程に合うカメラは他に存在しません。ちょっと未完成で使い勝手が悪い部分も含めて、あらゆる意味で唯一無二、唯我独尊なカメラであります。

弁当箱のような四角いカメラで撮影した画像を、専用ソフトSIGMA PhotoProで初めて現像した時の衝撃は、それはもう相当なものでした。手のひらサイズの小さな写真機で撮影したとは思えぬ解像感、濃厚で深みのある発色。13年前のあの日、私はFoveon X3センサーが紡ぎ出す光のマジックの虜になりました。

スリランカに連れて行ったのは、10年前に発売されたDP2 Merrill(45mm)とDP1 Merrill(28mm)。RAW現像しないと十分な画質が得られない、暗所撮影が苦手、心に余裕がない時には使えない(書き込みが非常に遅い)・・・などの短所もありますが、個人的には最高のコンパクトカメラです。

ちなみに機種名の「Merrill」は、従来のベイヤー型とは全く異なる革新的なFoveon X3イメージングセンサーを創造した、故リチャード・ディック・メリル氏の名前から。

メリル氏は惜しくも2008年に逝去されました。このネーミングに、Foveon X3を搭載した世界唯一の高性能コンパクトカメラを世に送り出したSIGMAというメーカーの熱い思いが表れているような気がします。

SIGMA DP2 Merrill 製品ページ(SIGMA)
https://www.sigma-global.com/jp/cameras/dp2-merrill/
 
「多くの写真家を魅了するSIGMA FOVEONセンサーの特徴と魅力」(公益社団法人 日本写真家協会)
https://www.jps.gr.jp/foveon/
 
Foveon X3(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Foveon_X3
 

DP2 Merrill

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