漢詩徒然草(8)「歲暮」

平兮 明鏡
2021/12/1

甘苦歲華如箭遷 甘苦の歳華 箭の如く遷る
別難邂逅儘因緣 別離 邂逅 儘因縁
人生行路往難往 人生行路 往き難きを往く
一意一年當萬年 一意の一年 万年に当たる

歲暮 … 年の暮れ
歲華 … 年月
甘苦 … 楽しみと苦しみ
一意 … 一心になること


今年もあと一ヶ月となりました。年が明けると、また新たな一年が始まります。ということで、今回も前回に引き続き「時間」についてお話したいと思います。

みなさん、年末になると焦燥感、寂寥感、期待感が入り混じった何か特別な気持ちになりませんか?この時期は、ひときわ時間の流れを実感して、「ああ、今年ももうあと○○日で終わりか、あっという間だったな……」などとついつい思ってしまいます。

年の節目であり、また、いろんな年末年始の行事やイベントがあるので、そう感じるのでしょう。しかし、当然のことですが、時間の流れそのものはいつであっても変わるはずはありません。
 

時間の流れを決めているものは何?

「大人になると一年が短く思えるのはなぜ?」

という質問に対して、

「子供のときほど、ものごとに新しさや驚きを感じられなくなるから」

と答えている人がいました。子供のころは、見るもの、聴くもの、すべてが新鮮で一日一日が充実しているから長く感じる、というわけです。もしそうなら、時間の流れは私たちの「心」が決めている、ということになります。

「なるほどな」とも思いますが、ということは、大人は毎日同じことの繰り返しで充実していない、となってしまいます。しかし、そんなことがあり得るでしょうか?人生は、それほど単純でも簡単でもありません。

甘苦歳華如箭遷 甘苦の歳華 箭の如く遷る
別離邂逅儘因緣 別離 邂逅 儘因縁

人間、生きていると出会いも別れもあります。いろんな出来事、楽しいことやつらいこと、思いもかけないこと、ままならないこと、それらすべてをひっくるめて、人生はあっという間に過ぎ去って行きます。

大人になると一年が短く思えるのは、子供のときほど、ものごとに新しさや驚きを感じられなくなるから、とお話ししましたが、逆に言えば、大人は身の周りにある新しさや驚きに気付いていないだけ、とも言えます。であれば……あとはそれに気付けばいいだけの話です。

人生行路往難往 人生行路 往き難きを往く

いつまでも変わらずにいられること……「永遠」は存在しませんが、しかし、もし時間の流れを「心」が決めているのであれば、私たちはその生き方によって、その一瞬一瞬を「永遠」として生きることできるはずです。

本当の「永遠」とは、ものごとが変わらない、ということではありません。本当の「永遠」とは、変わりゆく世界の中で「永遠」に生きる「心」のあり方のことです。見るもの、聴くもの、すべてに「新しさや驚き」を見出すことができたのなら、今日も明日も、春夏秋冬、来年も再来年も「永遠」に生きることができます。

松下電器(現パナソニック)の創始者、松下幸之助さんが座右の銘としていた言葉です。
 

青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気にみちて
日々新たな活動を続けるかぎり
青春は永遠にその人のものである

青春とは過ぎ去った過去のことではありません。「永遠」と「一瞬」は対極にあるものですが、私たちの「心」には、その区別はありません。移りゆく世界にその輝きを見るからこそ、その「一瞬」が「永遠」となります。

一意一年當萬年 一意の一年 万年に当たる

みなさんの毎日が「新しさと驚き」に満ち溢れた日々となりますように。
それでは、よいお年を!


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甘苦歲華如箭遷 甘苦の歳華 箭の如く遷る
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別離邂逅儘因緣 別離 邂逅 儘因縁
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人生行路往難往 人生行路 往き難きを往く
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一意一年當萬年 一意の一年 万年に当たる

仄起式、「遷」「緣」「年」下平声・一先の押韻です。

転句は、李白の雑言古詩「行路難《こうろなん》其の一」を参考にしています。長いので最後の部分のみを抜萃します。
 

行路難 行路難 行路難《かた》し 行路難し  
多岐路 今安在 岐路多し 今 安《いづく》にか在る 
長風破浪會有時 長風 浪を破る 会《かなら》ず時有り
直挂雲帆濟滄海 直ちに雲帆《うんぱん》を挂《か》けて 滄海を濟《わた》らん

人生行路は困難だ。本当に困難だ。
分かれ道ばかりで、今、一体どこにいるのか。
しかし、大風に乗じて万里の浪をのりこえるときが必ず来る!
そのときには直ちに帆をかけて、この人生の大海原を渡ってゆこう!

古《いにしえ》の大詩人も、現代に生きる私たちも、人生が困難なものであることに何ら違いはありません。この詩は終始、いかに人生の道のりが困難であるかが綴られていきます。しかし、最後の最後の二句で、それでもなお奮い立ち一歩を進めようとする、そんな詩仙の気高い心意気が詠い上げられます。

都を夢見つつも放浪の身のまま倒れた李白の人生は、決して平坦なものではありませんでした。詩人は出港ままならぬ荒海の前で、希望の輝きを見たのでしょうか?

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