漢詩徒然草(1)「榮華」

平兮 明鏡
2021/5/1

探尋筑紫百年夢 探尋す 筑紫百年の夢
耀耀榮華炭鑛鄕 耀耀たる栄華 炭鉱の郷
花散猶芳萬花跡 花散って猶芳し 万花の跡
春風復返踏靑岡 春風 復た返る 踏青の岡

探尋 … 探し求める
耀耀 … 光かがやくさま
踏靑 … 若草を踏んで散策すること


コラムのページで掲載した「筑豊炭田」歴史探訪記にちなんで作った詩です。「榮華」と旧字で書いていますが、新字で書くと「栄華」になります。

「榮華」――華やかに栄えることを花に例えていった言葉ですが、含みのあるよくできた言葉だと思います。というのも、花は咲いたあとは必ず散るからです。言葉が作られる過程で繁栄を咲き誇る花に例えるのは、ごく自然なことだったのかもしれませんが、実にその時点で将来に散ってしまうことが約束されていたのです。

しかし、たとえ散ってしまったとしても、その花が当時、見た人に感動を与え、心を和ませていたという事実は変わることはありません。人の世に咲き誇った一時代の栄華も同じではないでしょうか?

花散猶芳萬花跡 花散って猶芳し 万花の跡

これは何についても言えることで、私たち一人ひとりの人生においても同じです。過ぎ去った過去は二度と返ってきません。よい思い出というものには、ついついすがってしまいたくなるものですが、しかし、その思い出を足枷ではなく、今の歩みを進める力にできたら、それはとても素敵なことだと思います。実は思い出そのものには、善し悪しはありません。すべてはそれを受け止める側の心の問題なのです。

この「榮華」という言葉は本当によくできた言葉で、そのあとのことも示唆しているようにも思えます。
つまり……花は散ったあと、また翌年も花を咲かせるのです。

その花は、昨年咲いた花と同じかどうかはわかりません。違った場所に、まったく違ったふうに咲くのかもしれません。過去のように華やかでないかもしれません。しかし、その花を咲かせていくのは間違いなく、その花自身……自分自身なのです。

春風復返踏青岡 春風 復た返る 踏青の岡

めぐる季節の中、新しい世界で若草を踏み分けて進んでいく。それは過去、現在、未来をまっすぐに受けてとめて、今を生きる力としていくことです。そう考えると、過去の思い出も、未来の予想図も自ずと素晴らしいものになっていくのではないでしょうか。だとしたら、過去の花も未来の花も、そして現在の花も、自分の中に咲き誇る「榮華」なのだと思います。

たとえ小さくてつつましいものだったとしても、素敵な花を咲かせていきたいものですね。


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探尋筑紫百年夢 探尋す 筑紫百年の夢
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耀耀榮華炭鑛鄕 耀耀たる栄華 炭鉱の郷
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花散猶芳萬花跡 花散って猶芳し 万花の跡
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春風復返踏靑岡 春風 復た返る 踏青の岡

平起式、起句踏み落とし「鄕」「岡」下平声・七陽の押韻。転句下三字は挟み平です。

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