宇多田ヒカル”Automatic”に禅を感じる

山田 真隆
2021/4/8

仏直祖曲:(仏は直《なお》く、祖は曲《ま》ぐ)。仏法を説くにも、ブッダは真っ直ぐに説かれたが、禅の祖師は変化球のように説かれたことを示す禅語から、日々の生活の中にある禅的現象を、時には真っ直ぐに、時には変化球で迫っていくコラムです。
 


 
若い人は分からないかもしれないが、40代の中年世代にとって、衝撃だった宇多田ヒカルさんの「Automatic」。

当時大学院生だった私はその音楽性もさることながら、この曲を弱冠15歳の少女が歌っていることにさらに衝撃を受けた。 
20年以上たった今も度々聴いているが、数年前から気になっているのが、歌詞である。自ずと恋愛に発展していく心の揺れを自動的(Automatic)と表現している。

この自動という言葉、ここから禅的な響きを私は感じてしまうのである。

禅では自を重んじる。自の中に救いを発見することが禅の目的である。
例えばこんな話が禅にある。

ある僧が師匠の元に行って、「仏法とは何でしょうか?」と尋ねた。沢山の経典に書かれている仏法、一言で言ったらどうなるのか、ということ。
すると師は椅子から飛び下りて僧の襟首を捕まえると、横面を殴って、向こうへ突き倒しまった。

僧は何が何だかわからなくなり、起き上がったが、何もせずボーッと佇んでいた。そこへ近くにいた修行僧が「なぜあなたは ありがとうございました と感謝の礼拝をしないの“”ですか」と言われ、そこでとたんに悟ったという。(註)

禅問答と言われるだけあって、普通に見たらなんのこっちゃという話。
しかし自動という視点で見ると、よくわかってくるのではないだろうか。

ある僧が仏法を求めて質問したことは、明らかに自ではなく他に求めていることになる。その返答として師は突き飛ばした。突き飛ばされた僧は意味が分からないながらも起き上がった。転倒したなら起き上がる、起き上がるのは自分であり、自動である。それは自分の救いは自分にあるということ。

「Automatic」にもこんな詞が出てくる。
 

It’s automatic
アクセスしてみると映る computer screen の中
チカチカしてる文字
手をあててみるとI feel so warm

この歌の中では冷たい機械であるパソコンの画面さえ人の温かみを伝える、しかも自動的に。
人は誰でもこの自動のはたらきを持っている。新幹線に乗ればさえ、自動で名古屋でも新大阪でも博多でも行けるように、本来この自動ということに救われているのが人なのである。

6枚目のアルバム『ファントーメ』の冒頭を飾る「道」には、その救いを見失った時、どうするかが歌われている。
 

転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたなら
こんな時どうする

先ほどの禅問答を踏まえているかのような歌詞なので、この曲を聞いた時はまたもや驚かされたが、と同時に最先端の音楽に携わる宇多田さんがこんな考え方を持って下さっていることを勝手に喜んでいる。

転んだら起き上がったらいい、迷ったら立ち止まったらいい、それが自動でできることが人の持つ何よりの救いである。

時には自分で自分にどうするか問うてみる、それが出来るのも救いである。
人の心は変なこだわりを持たなければ、Automaticに自分に救いをもたらしてくれるのである。

(註・『碧巌録』第32則「定上座問臨済」)
 


Hikaru Utada Official Website
https://www.utadahikaru.jp

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