漢詩徒然草(33)「出滄海」

平兮 明鏡
2024/1/15

無限水天靑色盈 限り無き水天 青色盈ち
忽焉來去百千情 忽焉として来去す 百千の情
此心赴處開航路 此の心 赴く処 航路を開く
直往曈曈大海瀛 直ちに往かん ??たる大海瀛

滄海 … 大海原
水天 … 海と空の境界
忽焉 … たちまち
來去 … 来ることと去ること。また、来ては去っていくこと
曈曈 … 夜が明けわたるさま
大海瀛 … 大海


明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えると、心機一転、新たな出発をイメージする人も多いかもしれません。今回は、そんな大海原へと漕ぎ出す旅立ちの詩を詠んでみました。

無限水天靑色盈 限り無き水天 青色盈ち

出港の朝です。遥かに海を見やると、無限とも思える水と空との境界線が広がっていています。それはまるで、これからの航海の行く末を暗示しているかのように澄みきった青色に満ち満ちています。

忽焉來去百千情 忽焉として来去す 百千の情

そのとき突如として、いろんな映像がとめどもなく脳裏に浮かんできます。この旅立ちに臨んで、これまで歩んで来た過去や、これからたどり着くであろう未来のことを思わずにはいられません。

此心赴處開航路 此の心 赴く処 航路を開く
直往曈曈大海瀛 直ちに往かん 曈曈たる大海瀛

しかし、臆する必要はありません。この確固たる信念が赴くところには、必ずや航路が開けるでしょう。さあ、この果てしなき大海を、直ちに帆を掲げて出発しましょう!


この詩は一見すると航海のことを詠《よ》んだ詩に思えますが、実は航海に喩《たと》えて、私たちの人生について詠《うた》ったものです。そのことを踏まえた上で、もう一度、この詩を読んでみましょう。

無限水天靑色盈 限り無き水天 青色盈ち

何か新しいことを始める門出には、前途洋洋であって欲しいものですが、必ずしもそうであるとは限りません。果てしない未来は決して見通すことはできないのです。

忽焉來去百千情 忽焉として来去す 百千の情

希望や不安の入り混じった複雑な感情が、自ずと湧き起ってきます。人生が決して見通しのよいものだけではないことは、誰もが知っていることでしょう。

此心赴處開航路 此の心 赴く処 航路開く
直往曈曈大海瀛 直ちに往かん 曈曈たる大海瀛

しかし、それでもなお、その人生の旅路の行く末を決めているのは、私たちの心以外にはあり得ません。私たちの心が赴いた先が、私たちの人生行路です。そうとわかれば、躊躇する必要はありません。今こそ、果てしなき未来に向かって旅立つ時です。

新年は一年の区切りではありますが、本当の未来への門出とは、いつ何時《なんどき》といった決まった時期があるのではありません。人生の門出を決めるのは、他でもない私たち自身です。旅立ちを決意したのなら、私たちはいつだって旅立ってゆけるのですから。


薄皮饅頭《うすかわまんじゅう》を販売する創業170年以上の老舗、柏屋《かしわや》の代表取締役会長の本名善兵衛《ほんなぜんべえ》さんは、常務時代の昭和61年、水害で工場が天井近くまで水没するという、大変な被害に遭いました。機械も設備も何もかも浸水して、代々受け継いできた歴史ある稼業が、一夜にして廃業の危機に追い込まれます。

「もうすべてを失ってしまった……」という絶望の中、翌朝、工場に出向く本名さんですが、工場では社員たちがすでに出社していて、涙を流しながら作業をしているのを目撃します。それを見て「すべてを失った」と思った自分が急に恥ずかしくなったそうです。

「自分には、まだ社員という財産があるじゃないか、彼らを幸せにしなきゃ」そのような思いが湧き起こり、工場再建に奮起したそうです。物質的な面では、文字どおりすべてを失ってしまった本名さんですが、その後、復興責任者として再建に尽力して、一ヶ月後には商品を出荷できるようになりました。

本名さんは語ります。
 

「(当社の家訓に)『代々初代』という言葉があります。これは、暖簾《のれん》は守るものではなく、塗り替えていくものだという考え方。そして、代々の当主が初代のつもりで仕事に当たりなさいという教えです。暖簾があるから安泰なのではなく、その時代時代に新しい提案を続けるから次の時代までつながっていく。革新の連続をしているから暖簾が残っていくという考え方です」
 

『ほうじん』2023新年号(全国法人会総連合)

「代々初代」という家訓。これは、今いる場所に安住するのではなく、常に新たな挑戦を始められる出発点に立つ、ということでしょう。そうであるならば、工場の再建もお店の復興も、いつでも何だって“始める”ことができるのです。


人は自分が乗る人生の船の大きさ「大きな客船か?小さな帆船か?」を自分で選ぶことはできません。また、海の天候「晴天か?荒天か?」を自分で選ぶこともできません。生まれついて持ったものや、今まで生きてきた境遇というものは、そのほとんどが自分の力ではどうすることもできないものです。

それらが人生に於いて、とても大きな要素を占めるのは、疑いようはありません。しかし、出港するか?しないのか?どこへ向かうのか?は、自分で決めることができます。

船の舵を取るその手は、自身ではどうすることもできないことに比べたら、とても小さく思えるかもしれませんが、しかしそれこそが、この航海の結末をまさに決定づけているのです。

どんなに大きな客船でも、遭難しては目的地にたどり着くことはできませんし、反対にどんなに小さな帆船でも、しっかりと舵を取ってゆけば、航路を開くことができるでしょう。

今回は、未来へ旅立ちを出港に喩《たと》えて詩を詠んでみました。

「出港の時はいつなのか?」――それは自らの心に聞いてみてください。もしかすると、その時とは“今”なのかもしれません。すべてはその思いの赴く先にあるのですから。


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無限水天靑色盈 限り無き水天 青色盈ち
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忽焉來去百千情 忽焉として来去す 百千の情
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此心赴處開航路 此の心 赴く処 航路を開く
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直往曈曈大海瀛 直ちに往かん 曈曈たる大海瀛

仄起式、「盈」「情」「瀛」下平声・八庚の押韻です。

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