漢詩徒然草(28)「颱風」
雷鳴乍動雨如飛 雷鳴 乍ち動いて 雨飛ぶが如し
風起波濤濫溢池 風は波濤を起こす 濫溢の池
歸舶朝衡呑海事 帰舶の朝衡 海に呑まるるの事
窗前翦燭把唐詩 窓前 燭を翦り 唐詩を把る
濫溢 … 溢れ出る
歸舶 … 帰国の船
朝衡(晁衡) … 阿倍仲麻呂の唐名
唐詩 … 唐時代の詩(近体詩)
詩題の「颱風」とは台風のことで、これは明治期の気象学者・岡田武松によって名付けられた用語だそうです。現在では、それに常用漢字を当てて「台風」となったそうですが、そもそもの「颱風」の語源については諸説あるようです。
昔の中国から「颱風」のもとの語があっという説、ヨーロッパ言語の「typhoon」から輸入されたという説、あるいは「typhoon」そのものが中国由来の語で逆輸入されたという説……。
台風の語源はさておき、その影響は現代と変わらず、昔の人々の生活にも多大なる被害を与えてきました。近代科学や気象予報がなかった昔は、今以上に深刻だったに違いありません。今回は、そんな昔の時代に思いを馳せた台風の日の詩になります。
雷鳴乍動雨如飛 雷鳴 乍ち動いて 雨飛ぶが如し
突然、電光が薄ぐらい空を照らし、数秒後にゴロゴロと大地を揺らすかのように雷鳴が響きわたります。いよいよ予報どおりに台風がやってきたようです。身構えるように雨空を確認すると、横殴りの強風に煽られた雨粒がまるで飛んでいるかのように降ってきます。
風起波濤濫溢池 風は波濤を起こす 濫溢の池
庭の池を見やると、雨は波紋を起こし、風は波濤を起こし、その水は溢れんばかりです。そのようすは荒れ狂う嵐の海を連想させ、ふと私にある詩を思い起こさせました。
哭晁卿衡(晁卿衡《ちょうけいこう》を哭す)李白
日本晁卿辞帝都 日本の晁卿《ちょうけい》 帝都を辞し
征帆一片繞蓬壷 征帆《せいはん》 一片 蓬壷《ほうこ》を繞《めぐ》る
明月不歸沈碧海 明月帰らず 碧海に沈み
白雲愁色滿蒼梧 白雲 愁色 蒼梧《そうご》に満つ
晁卿 … 晁衡、阿倍仲麻呂の唐名
帝都 … 唐の都、長安
征帆 … 去りゆく帆船
蓬壷 … 蓬莱山。東方にあるという伝説上の島
蒼梧 … 湖南省寧遠県にある山。中国伝説上の聖帝・舜の墓所
日本の晁衡どのは長安を出発し、
一隻の帆船で遥か東方の地へと旅立って行った。
しかし、明月(のような晁衡どの)はもう二度と帰らず碧海に沈んでしまった!
たなびく白雲は愁いの色を帯び、蒼梧山に満ちている。
阿倍仲麻呂は、奈良時代の遣唐使の留学生で、長く唐王朝に仕え、その間、李白や王維ら文人たちとも親交を持ちます。玄宗皇帝に重く用いられ、帰国を望みますが、なかなか許されませんでした。そして渡唐後36年にして、ついに帰国を認められますが、その船は暴風雨にのまれてしまいます。
この詩は、友人だった李白がその死を悼んで詠んだものです。しかし、実は仲麻呂が乗った船は沈んではおらず、安南(ベトナム)に漂着していました。再び唐に戻った仲麻呂ですが、李白は結局そのことを知ることはなかったようです。仲麻呂は、その後もついに日本に帰ることは叶わず、在唐54年、かの地で最期を迎えます。
歸舶朝衡呑海事 帰舶の朝衡 海に呑まるるの事
窗前翦燭把唐詩 窓前 燭を翦り 唐詩を把る
望郷の念を抱《いだ》きながら、人生のほどんどを唐で過ごすことになった仲麻呂の最期は幸せなものだったのでしょうか。大昔の文人の生涯に思いを寄せ、書斎の詩書を手に取ります。
「燭を翦る」とは蝋燭《ろうそく》の芯を翦《き》って明るくすることです。もちろん、今の時代のことですので、実際にそのようにしたわけでありませんが、暗い部屋を明るくした、という意味になります。
時代によって、変わるものと変わらないものがそれぞれあります。人々の生活様式は変わっても、故郷への思いや台風の脅威が変わることはありません。故郷に帰るのにも命がけだった唐の時代に比べると、自然現象の予測や防災の技術は格段に進歩しましたが、人類が気象をコントロールするには、まだしばらく時間がかかるでしょう。
とはいえ、嵐の日には嵐の日の詩情があるものです。翌朝の後始末のことはしばらく忘れて、台風が去るまでの間、唐の詩人たちの詩を読みながら、その時代に思いを馳せてみることにしましょう。
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雷鳴乍動雨如飛 雷鳴 乍ち動いて 雨飛ぶが如し
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風起波濤濫溢池 風は波濤を起こす 濫溢の池
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歸舶朝衡呑海事 帰舶の朝衡 海に呑まるるの事
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窗前翦燭把唐詩 窓前 燭を翦り 唐詩を把る
平起式、「飛」「池」「詩」上平声・四支、五微の通韻です。
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