Photo By H.Kameyama

急須こちょこちょと苦いお茶

野田 峰照
2023/7/15

商店街を歩いていると、和食器の店にたくさんの急須が陳列されているのを見かけました。
 
店内に入ってみると、モダンなデザインのものから昔ながらの見慣れたものまで、さまざまな急須が並んでいました。その中に、私が子どもの頃に家にあった急須に似ているものを見つけました。その急須を見ていると、ふいに、なつかしい思い出が心に浮かんで来ました。

急須を持った父の手。
幼い私に、父が初めて淹れてくれたお茶。

そんな記憶の映像を再生するにつれ、30年以上前のセピア色の思い出が、色彩を取り戻しました。


それは、私がまだ小学校低学年の頃の話です。住職である父は、普段から自分で煎茶を淹れて、よく飲んでいました。ある時、私は美味しそうにお茶を味わう父を、近くでじーっと見ていました。
 
私の視線に気付いた父は、何かを思いついたようでした。父は私に向かって「よし、今日はお前にもお茶を淹れてやろう」と言い、ニヤリと笑いました。初めてのことでしたので、私は嬉しくてドキドキしました。私の前に湯飲みが置かれ、何だか一人前になったような気がしました。

父はもったいぶった仕草でお茶を注ぎ始めました。ところがその時、不思議なことが起きました。少しだけ注いだところで、突然お茶が出なくなったのです。
 
私は「なぜ出ないのかな?」と不思議に思いました。父は「うーん」と、困ったような顔をしています。「お茶が恥ずかしがって出てこうへん。こそばしたら、出てくるかもしれん」そう言うと父は、指先で急須の底を、こちょこちょとくすぐり始めました。
 
「どうなるのだろう……」と、私は息を飲んでその様子を見つめました。父がもう一度急須を傾けます。すると再びお茶が出始め、コポコポと笑い声のような音を立てながら、湯飲みいっぱいに注がれました。目を丸くしている私を見て、父は大きな声で笑いました。
 
あれから時が経ち私も40代となりましたが、急須を持つ父の手や愉快そうな笑い声を、今でもはっきり思い出すことができます。父は15年前に他界しました。私が何気ないお茶の時間に心安らぐ雰囲気を感じるのは、急須から注がれるお茶の音や煎茶の味わいの中に、父の面影を感じるからかもしれません。


さて、お茶の思い出には、まだ続きがあります。
 
父は眠気覚ましに苦いお茶をよく飲みました。あのときに淹れてくれたのも苦味が強く、渋い後味が残るお茶でした。そしてそれは、幼い私には想像すらできなかった「大人の味」でした。
 
予期せぬ衝撃に戸惑った私は、口の中のお茶を「ぺっ」と湯飲みに戻し、「こんなニガいののまれへん、もうイラン!」と言いました。顔をしかめた私に、父も苦笑いしていたような気がします。
 
あの苦くて、可笑しくて、不思議なひとときは、お茶の後味とともに深く心に残っています。


ところで、お茶の効能について日本で初めて書かれた書物は、建暦元年(1211)に栄西禅師が記した『喫茶養生記《きっさようじょうき》』です。当時のお茶の飲み方は、茶葉を粉末にしてお湯などと一緒に飲むというものであり、病気を治す薬としての効能が期待されていました。

喫茶養生記には「お茶は心臓に効く」と書かれています。そこで大事なのが、実は「苦み」なのです。お茶の苦みが心臓を健康に保ち、五臓の調和をとることで、身体全体の調子を良くするらしいのです。

……なるほど、健康にええもんは、苦みがあるものなんや。そうすると、オヤジはそれを教えようと、苦いお茶を淹れてくれたんやろうか?いや、それは考えすぎか。でも、あの急須を使った小ワザは使えそうやな。よし、こんど「急須こちょこちょ」を我が子に披露してやろう。びっくりするやろうな。うん、めっちゃいいやん!……
 
食器店で急須を眺めつつ、そんなことを企んで、こっそりほくそ笑む私でありました。
 

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