漢詩徒然草(25)「田原坂」

平兮 明鏡
2023/5/1

紅紫丘陵躑躅佳 紅紫の丘陵 躑躅佳し
薰風繞處鳥聲偕 薫風 繞る処 鳥声を偕にす
總惟鬼哭血流跡 総て惟 鬼哭 血流の跡
花下綠陰枯骨埋 花下 緑陰 枯骨埋む

躑躅 … ツツジ
鬼哭 … 死者の泣き声


「田原坂」をご存知でしょうか?田原坂は、熊本県熊本市にある丘陵地帯で、その斜面に沿ってツツジの花が咲き乱れる美しい公園として整備されています。そして、この田原坂公園の敷地内には、慰霊塔や資料館が建てられているのですが、その資料館の名は「田原坂西南戦争資料館」といいます。

――そうです。旧薩摩藩の士族を率いた西郷隆盛の軍と新政府軍が戦った西南戦争、その最大の激戦地となったのがこの田原坂なのです。

館内には、歴史資料や貴重な遺品などが展示してあり、当時の凄惨な戦場のようすを窺い知ることができます。17日間に及ぶ激しい戦闘の死傷者は、夥《おびただ》しい数にのぼり、現在の長閑《のどか》な風景からは想像もできない地獄がそこに現出していました。


紅紫丘陵躑躅佳 紅紫の丘陵 躑躅佳し

春も過ぎ、しかしまだ陽射しも心地よく感じるそんな初夏の昼下がり、その丘の上に立つと赤と紫のツツジが一面に広がっています。

薰風繞處鳥聲偕 薫風 繞る処 鳥声を偕にす

晴れわたる空には、緑薫《かお》る風が吹き抜け、そこにはどこからともなく聞こえてくる鳥たちの声が伴います。穏やかで麗《うら》らか、そのようにしか表現しようのない情景に自然とのんびりとした気持ちになっていきます。しかし……、

たちまち場面は暗転します。資料館で見た光景がフラッシュバックして蘇ってきます。駆け抜ける軍馬、飛び交う銃声、倒れ伏す薩軍官軍の両兵士たち。にわかに血と硝煙の匂いが立ち籠め、世界は一転します。

總惟鬼哭血流跡 総て惟 鬼哭 血流の跡

ここにあるものはすべて、死者の泣き声であり、血の流れた跡なのです。風の音や鳥たちの囀りは霊魂の慟哭となり、ツツジの花の色は鮮血の紅《くれない》となるのです。

花下綠陰枯骨埋 花下 緑陰 枯骨埋む

やがて、そんな想像の世界から現実の世界に戻ってきます。過去から現在へ。リアルタイムの戦場から「兵どもが夢の跡」へ。夏の日の長閑な山野の風景が、再び目の前に広がります。しかし、その花のもとや緑の陰には、朽ち果てた骨が間違いなく埋まっているのです。

私は今回、旅の途中で田原坂公園に立ち寄ったわけですが、普段、私たちが生活している空間が、150年前には凄惨な戦場となっていたことを知ると、何ともいえない不思議な感情が湧き起こります。そしてそれは知識としてではなく、体験としてその丘に立ってはじめて肌で感じ取ることができるのです。

詩の世界では、かつての戦場に思いを馳せて詩を詠むことも少なくありません。実際にその時代を生きていなかったとしても、その空気を肌で感じることはできるはずです。そう考えると、やはり詩とは自らの体験と感動を詠むものなのです。


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紅紫丘陵躑躅佳 紅紫の丘陵 躑躅佳し
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薰風繞處鳥聲偕 薫風 繞る処 鳥声を偕にす
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總惟鬼哭血流跡 総て惟 鬼哭 血流の跡
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花下綠陰枯骨埋 花下 緑陰 枯骨埋む

仄起式「佳」「偕」「埋」上平声・九佳の押韻です。
 

ギャップと対比

この詩を作ろうとしたきっかけは、やはりこの長閑な公園の風景と西南戦争の戦場との、そのあまりにものギャップに心を打たれたからです。そのギャップこそがそのまま私の詩情であり、構成や表現もその対比をそのまま用いています。

この詩は、あらゆるものが対比になっています。「花の色と血の色」「風や鳥の声と亡者の声」「長閑さと凄惨さ」「現実と空想」「現在と過去」……。そして、文字どおり転句を転換点として、読み手をすべてが反転した世界へと誘います。最後は、結句で再び現実への回帰を果たして、それらの対比をすべてをまとめ上げる「枯骨埋」の3字でフェードアウトします。

ギャップは極端な方が鮮烈であり、対比もそれが際立つようにすると効果的です。漢詩では対の表現を多く用いるので定番のレトリックですが、漢詩に限らず詩文や文学ではよく用いられるのが、この「ギャップと対比」です。

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