漢詩徒然草(23)「天滿宮(2)」

平兮 明鏡
2023/3/15

庭梅悲歎越蒼穹 庭梅の悲歎 蒼穹を越え
其色其聲啼血中 其の色 其の声 啼血の中
試問忘不千載恨 試みに問う 忘るるや不や 千載の恨
今春神苑萬枝紅 今春の神苑 万枝紅なり

天滿宮 … 菅原道真〈845~903年)を祀った神社
    ここでは太宰府《だざいふ》天満宮(福岡県太宰府市)のこと
蒼穹 … 青空
啼血 … 血に啼《な》く。ホトトギスの口の中が赤いことから、
   その悲痛なさまを喩《たと》えて言う
千載 … 千年
神苑 … 神の苑《その》。ここでは太宰府天満宮の境内をいう


前回と同じく菅原道真(以下、道真公)を祀った太宰府天満宮にちなんだ詩ですが、今回はその境内のある梅の木を題材にしています。しかし、その梅はあまりにも常軌を逸した梅です。その名を「飛梅《とびうめ》」といいます。

前回からの続きで、まずは道真公の生涯についてお話しましょう。

道真公は、幼少のころより類まれなる才知を発揮して、朝廷内でも順調に出世を重ね、55歳で左大臣に次ぐ最高の地位、右大臣に任ぜらます。しかし、それは激しい権力闘争の思惑が渦巻く宮中でのこと、その時すでに道真公は陰謀のただ中にありました。

そして、右大臣となってわずか二年後には、左大臣・藤原時平《ふじわらのときひら》の讒言によって、突如として大宰権帥《だざいのごんのそち》に左遷され、九州に流されてしまいます。大宰権帥とは九州統括の長官ですが、この左遷が意味するところは事実上の流罪でした。

ときに道真公、57歳。わずかな従者を連れて、都からはるばる150里(600km)に及ぶ旅路に就きます。その出発の折には、庭の梅の木に対して詠んだ有名な歌を遺しています。

「東風《こち》吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

(春風が吹いたのならば、その香りを私のもとへ届けておくれ。
 主《あるじ》がいないからといって春を忘れることなきように……)

東風とは、東から吹く風、春風のことですが、その都との距離の遥けさに「東」の一字の重さが染みわたります。道真公が、とりわけ梅の花を愛したことは間違いないでしょうが、これはやはり都の人々や家族との惜別の情を仮託しているように思えてなりません。

配流《はいる》 の地、太宰府での生活の中で、昨年、宮中で御衣《ぎょい》を賜った詩会の日、九月十日を迎えます。道真公は、その御衣を捧げて、赤心を訴える詩「九月十日」を詠み上げます。
 

去年今夜侍清涼 去年の今夜 清涼に侍《じ》す
秋思詩篇獨斷腸 秋思の詩篇 独り断腸
恩賜御衣今在此 恩賜《おんし》の御衣 今此《ここ》に在り
捧持每日拜餘香 捧持《ほうじ》して毎日 余香を拝す

去年の今夜、清涼殿(宮中の御殿)でお側にお仕えし、
「秋思」の詩を作ったことを思い起こすと、一人胸を裂かれる思いです。
そのとき褒美として賜った御衣は今なおここにあり、
毎日、捧げ持ってはその残り香を拝しているのです。

都から遠く離れた地で身の潔白を訴える道真公ですが、この詩を詠んだ一年と半年後、再び都の土を踏むことなく59歳で亡くなります。配所での生活三年目のことでした。

葬送の途上、その亡骸《なきがら》を乗せた牛車がなぜか一歩も動かなくなったので、人々は道真公がそこを墓所におぼし召したのであろうと考え、その場所に葬られました。その後、そこには一つの祠廟が建てられます。これがのちに太宰府天満宮となったということです。


道真公の物語はこれで終わりですが、ここにはもう一つの物語があります。冒頭でお話した「飛梅」の物語です。

道真公が九州へと旅立ったあと、主《あるじ》を慕うお屋敷の庭の木が、悲歎に暮れるあまり、なんと大空を飛んで道真公のあとを追いかけていったのです。そうです……「東風吹かば~」の和歌で道真公が語りかけたあの庭の梅の木です。

庭梅悲歎越蒼穹 庭梅の悲歎 蒼穹を越え
其色其聲啼血中 其の色 其の声 啼血の中

思いが空を越えるという表現はありますが、ここでは本当に大地に根付いているはずの梅が空を飛んでいるのです。文字通り、耐えられない別れだったということが窺い知れます。

「東風吹かば~」の和歌で道真公が都に対する思いを梅にあずけたとするならば、この飛梅伝説も後世の人々が道真公に対する思いを梅の木にあずけたのかもしれません。不遇の最期を遂げた道真公ですが、人々の思いによって物語の中では飛梅と再会することができたのです。

時は移って現代、太宰府天満宮の本殿前の飛梅は、今もその花を咲かせています。

試問忘不千載恨 試みに問う 忘るるや不や 千載の恨
今春神苑萬枝紅 今春の神苑 万枝紅なり

この春も、太宰府天満宮の境内は梅の花が満開です。千年の時が過ぎて、その恨みは果たして晴れたのでしょうか?その色は、啼血の紅《くれない》か?それとも春来のよろこびの紅か?それは見るものに委ねられています。千年前と現代は依然、この花の色で繋がっているのです。
 

 
さて、実は道真公には、もう一つ、遥かな距離を一瞬で越えた物語があります。

それは、日本に禅宗が伝来したとき、そのことを太宰府で聞いた道真公が、たちまち中国・杭州の径山《きんざん》の無準師範《ぶじゅんしばん》という禅師のもとに飛び去って参禅し、その教えを授かったという伝説です。

日本に初めて禅が伝わったのは鎌倉時代。平安初期の時代を生きた道真公とは、もちろん何の関わりもありません。荒唐無稽なお話ですが、先に述べたとおり、物語があるところには思いありです。どうしてこのような物語が誕生したのか、思いを馳せてみてはどうでしょうか?気になる方は「渡唐天神《ととうてんじん》」で調べてみて下さい。


○○○●●○◎
庭梅悲歎越蒼穹 庭梅の悲歎 蒼穹を越え
○●○○○●◎
其色其聲啼血中 其の色 其の声 啼血の中
●●○○○●●
試問忘不千載恨 試みに問う 忘るるや不や 千載の恨
○○○●●○◎
今春神苑萬枝紅 今春の神苑 万枝紅なり

平起式、「穹」「中」「紅」上平声・一東の押韻です。

漢詩徒然草(19)「飛行機」でも述べましたが、転句の「不」は平声です。「不」は「~せず」の意味では仄声、「~やいなや」の意味では平声になり、意味で平仄が違うので注意が必要です。

←漢詩徒然草(22)「天滿宮(1)」へ | 漢詩徒然草(24)「自動車」へ→

page up