漢詩徒然草(22)「天滿宮(1)」

平兮 明鏡
2023/2/15

學子賽來天滿宮 学子 賽し来る 天満宮
春風香雪落肩紅 春風の香雪 肩に落ちて紅なり
神童神韻傳神苑 神童の神韻 神苑に伝え
秀句梅花此色同 秀句の梅花 此の色に同じ

天滿宮 … 菅原道真(845~903年)を祀った神社
    ここでは太宰府《だざいふ》天満宮(福岡県太宰府市)のこと
學子 … 学生
香雪 … 香る雪。ここでは舞い落ちる梅の花
神韻 … 詩文が優れていて高尚なさま
神苑 … 神社の庭園、境内
秀句 … 優れた詩歌。ここでは後述の菅原道真幼少の歌のこと


「天滿宮」にお参りしたことがありますか?菅原道真(以下、敬意を込めて道真公と表記します)を祀った天満宮は日本各地にありますが、今回の漢詩は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮にちなんだものです。

この詩は、実は和歌の中に登場する梅を詠んでいるのですが、内容を理解するには、その物語を知る必要があります。まずは道真公の詩歌を引用しながら、その生涯を繙《ひもと》いていきましょう。


道真公の生きた時代は平安初期。道真公は、幼少より学問の才を発揮し、人々に神童と褒め称えられていました。5歳のときには、すでに次のような和歌を詠んでいます。

「美しや 紅《べに》の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」

「あこ(阿呼)」は 道真公の幼名です。梅花の色の艶やかさを化粧に喩えているのは巧みでもありますが、子供らしい素朴な純真さも感じさせる歌です。そして、11歳のときは「月夜見梅花(月夜《げつや》に梅花を見る)」という漢詩も作っています。
 

月耀如晴雪 月の耀《かがや》きは晴雪の如く
梅花似照星 梅の花は照星に似たり
可憐金鏡轉 憐れむべし 金鏡転じ
庭上玉房馨 庭上に玉房の馨《かお》れるを

金鏡 … 月
玉房 … 玉のような美しい花房、はなぶさ

月の輝きは晴れた日の雪のようで、
梅の花は照りはえる星のようだ。
まことにいつくしむべきである。月が移る中、
庭に梅の花が香るさまは。

梅の花が月の光を受けて輝くさまはまさに幽玄そのものです。起承句の「月と星」と「梅と雪」という本来の組み合わせが互いに入れ替わっているところにも妙があります。

道真公は、その才知を遺憾なく発揮して、33歳で文章博士《もんじょうはかせ》という中央の官僚学校の教官となり、学者として国を代表する立場になりました。

その後も朝廷内で官僚として活躍し、55歳で左大臣に次ぐ朝廷最高の地位、右大臣にまで上りつめます。翌年の九月十日(重陽の一日後)の宮中の詩会では、「秋思《しゅうし》」という七言律詩を作り、醍醐天皇より褒め称えられ褒美として御衣《ぎょい》を賜われました。
 

丞相度年幾樂思 丞相 年を度《わた》って 幾ばくか楽思《らくし》せる
今宵觸物自然悲 今宵《こんしょう》 物に触れて 自然に悲し
聲寒絡緯風吹処 声寒き絡緯《らくい》 風の吹く処
落葉梧桐雨打時 落葉の梧桐《ごとう》 雨の打つ時
君富春秋臣漸老 君は春秋に富み 臣は漸《ようや》く老いたり
恩無涯岸報猶遲 恩は涯岸《がいがん》無くして 報ゆること猶遅し
不知此意何安慰 知らず 此の意 何をか安慰せん
飮酒聽琴又詠詩 酒を飲み 琴を聴き 又詩を詠ず

丞相《じょうしょう》 … 天子(ここでは天皇)を補佐する最高の官位
樂思 … 楽しい思い
絡緯 … コオロギ
梧桐 … アオギリ
漸 … 少しづつ、次第に(やっとの意ではない)
涯岸 … かぎり、果て
安慰 … 心を慰める

右大臣となって年を経て、幾度の楽しい思いがあったでしょうか。
しかし、今夜は何かと風物に接するたびに自然と悲しくなってきます。
もの寂しい声のコオロギは、秋風の吹くところにあり、
葉を落とすアオギリは、雨に打たれるこの時にあります。
わが君はまだお若く壮健であられますが、私は次第に衰えてゆきます。
ご恩は果てしないのに、未だそのご恩に報いられてはいません。
この心をどうやって慰めればいいのか私にはわかりませんが、
せめて今は酒を飲んで、琴を聴いて、詩を詠むことにいたましょう。

(最後の「酒・琴・詩」は白居易の詩「寄殷協律(殷協律に寄す)」にある三つの風雅の楽しみのこと。もとの詩では「雪・月・花」の対となっている)

まさに人生の絶頂にあった道真公ですが、しかし、そのわずか2年後に運命の時が訪れます。この続きは次回にお話しましょう。この「秋思」の詩も、図らずも悲しい結末を迎えることになります。


さて、時は移って1100年後の現代。道真公は学問の神様として祀られ、受験シーズンの太宰府天満宮には、多くの受験生が合格祈願のお参りに訪れています。折は梅の花が咲き乱れる初春。春風に吹かれた花びらが、参詣者の肩にひらひらと舞い落ちます。

學子賽來天滿宮 学子 賽し来《きた》る 天満宮
春風香雪落肩紅 春風の香雪 肩に落ちて紅《くれない》なり

平安の時代に神童と称えられた道真公幼少の詩歌はこの地にも伝わり、今なお崇敬を集めているのです。平安時代、道真公が頬に付けようとした花の色と、今まさに受験生の肩に落ちたその花の色は、はたして同じ色だったのでしょうか?

神童神韻傳神苑 神童の神韻 神苑に伝え
秀句梅花此色同 秀句の梅花 此の色に同じ

今まで取り上げた詩歌に見られるように、道真公は大変、梅を好んだらしく、現在の太宰府天満宮に梅の木が多く植えられているのも、それと無関係ではありません。語り継がれてきた思いが、1100年の時を経て、その紅なる花の色で今と繋がっているのです。

その思いを象徴する「何か」を見出すことができれば、詩を詠むのにこれ以上の題材はありません。それに詩情を乗せることができたとき、その詩には命が吹き込まれることでしょう。心から心へ、詩から詩へ、思いは紡がれていくのです。
 


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學子賽來天滿宮 学子 賽し来る 天満宮
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春風香雪落肩紅 春風の香雪 肩に落ちて紅なり
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神童神韻傳神苑 神童の神韻 神苑に伝え
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秀句梅花此色同 秀句の梅花 此の色に同じ

仄起式、「宮」「紅」「同」上平声・一東の押韻です。
 

冒韻

七字目の押韻で使った韻の字を、七字目以外で使うことを「冒韻」といいます。この詩では、承句の「風」と転句の「童」が、ともに一東の韻なので冒韻となります。

冒韻は、禁則であるとやかましくいう人もいれば、許容する人もいます(下三字では特に許容されます)。ここでは許容しますが、漢詩徒然草(11)「櫻花」の「同意重出の禁」で述べたように、禁を破るときは、それが何を意図していて、そうと知った上で使うことが何より大切です。

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