いつでも此処《ここ》が目的地

木下 紹胤
2023/2/1

「是《これ》がまあ つひの栖《すみか》か 雪五尺」

江戸時代後期の俳人・小林一茶の一句です。

漂泊の俳人と呼ばれ、家庭内の事情により、15歳から親元を離れ、流浪の旅を続けた小林一茶。この句は一茶50歳の時、華やかな江戸の町から、長野県の柏原という雪深い故郷に戻ってきたときに詠まれたものです。実に35年間放浪の旅を続けた一茶が、この句を詠んだ時の思いは一体どのようなものだったのでしょうか?


まず、この句を理解するために、一茶の生涯を簡単に紹介したいと思います。

一茶は1763年、長野県柏原という山間《やまあい》の宿場町で、比較的裕福な農家の長男として生まれました。名を弥太郎といいます。しかし、3歳で母を亡くし、8歳のとき継母がやってきます。10歳のとき、継母と父の間に義理の弟が生まれますが、このあたりから継母との関係が悪化し、15歳で少年弥太郎は江戸へ奉公に出されます。

それから25歳までの10年間の消息は、記録に残ってないのですが、おそらくこの間に俳句と出会い、その道を志すことになったと考えられます。そして、25歳のときに初めて一茶と名乗った作品が世に出ます。

俳句の世界は、その一番のトップを宗匠といいます。松尾芭蕉などがそうなのですが、俳句の世界でやっていこうとするなら、やはり何をおいても宗匠を目指すわけです。そして、その次が執筆という二番目のポストになるのですが、一茶は実に25歳の時点で執筆のポストに立っていました。本人もこれはいける、と思っていたと想像しますが、その後、結局一茶は、宗匠にはなれなかった、という悲しみをずっと抱えたまま生きていくことになります。

そうして、江戸に仮住まいを置きながら放浪の旅を続けるのですが、一茶が50歳の時に、亡くなった父の遺産相続問題を解決するために、故郷の柏原に帰ってきます。そんな人生のターニングポイントの時に詠ったのが、冒頭の一句です。


「是がまあ つひの栖か 雪五尺」

実はこの一句は一度書き直されていて、もとの句は、

「是がまあ 死所《しにどころ》かよ 雪五尺」

となっていました。「つひの栖」に比べて「死所かよ」は、かなりきつい表現だと思います。

「雪五尺」――目の前には五尺にもなる深い雪。五尺とは、1尺=約30cmですから、およそ150cmになります。小柄な人なら全身がすっぽりと収まってしまうほどの高さです。この深雪の地が自分の最後のすみかとなるのかと思うと、「是がまあ」と、深いため息がわいてくるのも無理のないことかもしれません。

少年のころ、独り江戸に出た一茶が35年間の放浪生活に終止符を打って、故郷で骨をうずめようと決意をして、深雪の柏原に帰ってきた……この「死所かよ」には、当時のそんな複雑な感情が入り混じっていたことが窺い知れます。


臨済禅師の言行録『臨済録』に、「途中に在って家舎《かしゃ》を離れず」という言葉があります。

この言葉は、本来は悟りや修行のことを言っているのですが、ここでは単純に「道中(=途中)にあっても、本来いるべき場所(=家舎)を離れない」と考えてみてください。旅の途中は自分の家にはいない、と考えるのが当然ですが、自分が本来いるべきところとは、たとえどこにいたとしても、一時《ひととき》も離れることはないのです。

それでは、この「自分が本来いるべきところ」とは一体どこでしょうか?

人生においてどこかに到達する目的地がある、と考えると、自然とそこへはまだ到っていないという状態が生まれてきます。これがすなわち、迷いの原因となります。反対に、どこへゆこうとも、ここが自分のいるべき場所だと知っていれば、道に迷うことはありません。自分の家にいるのだから当然です。これが「家舎」ということです。

今の自分にできることは何なのか?ただ、今のこと、与えられていること、一つ一つにしっかりと向き合う、そうすることで「自分を生かせる場所がここにすでにあるんだ!」と知ることができます。いつでもどこでも、今いるここを目的地として、本来の自分から離れることはない。それでいて、常に人生という旅路についているのです。


この心は、この時の一茶の心にも通じるものがないでしょうか?

継母との確執から一人、15歳で江戸へ奉公に行き、俳句でも宗匠になれず、この年までは天涯孤独の身でした。そうして実家に帰ってきて、そこは文字の上では「途中」ではなく「家舎」であったわけですが、ここにおいて「死所かよ」を「つひの栖」に改めたところに、人生という「途中」にも、「家舎」を見出したのだと知ることができます。

ここが私のあるべき場所……「雪五尺」という人生の困難や悩みや苦しみのまま、あそこでもなく、そこでもなく、ここをそのままわが家とする、そんな前向きな覚悟の一句とは見えないでしょうか。

「是がまあ つひの栖か 雪五尺」

この句は私たちに、いつでもどこでも何をしていても、本来の場所に身を置いているということ、場所や環境を選ばずに目の前の一つ一つにしっかり向き合っていくことの大切さを教えてくれています。

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