「丸い月夜も一夜だけ」
ここ数年、スーパームーンや皆既月食など、月に関する話題をよく見聞きします。普段は天体観測には興味がない方も、空に浮かぶお月様を眺めて楽しまれたのではないでしょうか。今回はそんな「月」にまつわるお話をご紹介したいと思います。
シドニーオリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した、高橋尚子さんは、高校時代の陸上部監督だった中澤先生から教えていただいた言葉を座右の銘としてきました。そのなかの一つが「丸い月夜も一夜だけ」というものでした。
シドニーオリンピックの一年半前に、バンコクで開かれたアジア大会。ここでは様々なアクシデントがあったそうです。朝6時半の競技スタートだったため、夜中の3時ころには朝食をとるはずだったのに、それが宿舎に届かなかったり、12月にも関わらず気温が35度以上、湿度が90%もあったりと、次々と想定外のことが起こります。そんな過酷な状況を乗り越えて、高橋さんは当時のアジア新記録で優勝することができました。
過酷な状況下で新記録を樹立した、ともなれば「自分はこんな状況でも、これだけのことを成し遂げたんだ!」という思いが出て当然です。しかし、高橋さんは先ほどの「丸い月夜も一夜だけ」という言葉を忘れることはありませんでした。「良いときがあっても浮かれていてはいけない。優勝して喜んでいても、それはその時だけ」と。
高橋さんは、あるインタビューで、
「新記録が出た日はもちろん喜びましたが、この言葉があったおかげで、その翌日からは、いつも通りの練習をはじめることができました。それも強くなれた一因だと思います」
とおっしゃっていました。良い結果が出たとしても、それはその日のうちに忘れて、翌日からはまた新たなスタートを踏み出す。それが一年半後のシドニーオリンピックでの金メダルにつながったのだ、と自己分析をされていました。
高橋さんが中澤先生から教えてもらった座右の銘は、先生自身が大学時代の恩師から教わった言葉だそうですが、実は江戸時代の禅僧、仙厓義梵禅師にもよく似た言葉が伝わっています。それは、
「おごるなよ 月の丸さも ただ一夜」
という句です。諸行無常という言葉のとおり、良いときというのは永遠には続かない。それを忘れていると、月が欠けたとき、すなわち思い通り物事が進まなくなった瞬間、苦しみが生じるぞ、ということになりますでしょうか。物事がうまく進んでいるように見えているときこそ、大切にしなくてはいけない言葉だと思います。
一方、方広寺派管長・安永祖堂老師は、先ほどの高橋尚子さんの座右の銘を引いて、以前にこんなことをおっしゃっていました。
「丸い月夜も一夜だけ、ということは、『真っ暗な 新月の夜も 一夜だけ』じゃないでしょうか」
と。満月が永遠に続かないのと同じように、暗闇の新月の夜も永遠には続かない。まさにその通りであります。我々の日常に置き換えてみると、良い事だけではなく、悪い事も永遠には続かない、ということになるでしょう。
良いも悪いも一夜だけのこと。もっと言えば、一時だけのこと。こう考えると気持ちも楽になってきます。人間ですから、様々な結果に一喜一憂してしまうことは仕方がないのかもしれません。しかし、それは一時だけのこと。そこにいつまでもとらわれていると、「あの時は良かったのに」とか「いつまでも良い結果が出ない」などと言って、自らの心を苦しめることになります。
もっと突っ込んでいえば、良いとか悪いとかいうものは、私たちが自分の都合で勝手に決めたもの、と言えます。私たちは、自分の理想通りになることを「良い」とし、そうならないことを「悪い」ととらえ、分別《ふんべつ》(物事を善悪、損得ではかってしまうこと)を起こし、その分別に振り回されているのです。
すべての物事は現象として目の前に起きているだけで、本来良いも悪いもありません。例えばお月様の満ち欠けもあくまでも現象であり、そこに良いとか悪いといったものはありません。
大切なのは「良いも悪いも忘れて、今なすべきことを一心に取り組む」ことです。自分にとって理想の結果が出たとしても、それはその時で終わり。次の日からは、また自分が今なすべきことにしっかりと取り組んでいく。反対に理想通りの結果が出なかった時にも、それをいつまでも引きずることなく、やはり自分が今なすべきことに一心に取り組んでいく。そこにこそ、迷いのない、充実した日々が生まれてくるのではないでしょうか。
ニュースなどでお月様が話題になるたび、そんなことを思いながら空を見上げています。自分自身の日常への反省も込めて。