人と人とがわかり合える秘訣とは?

岡本 忠裕
2023/3/1

年度末が近づいてくると、会社では次年度の人事考査が始まります。人事考査とは、これまでの職務に対して様々な観点から評価し、次年度の職責等を決定するものです。昇格する人にとっては希望に溢れる一年となりますが、降格する人にとっては自分自身が否定されたような陰鬱な一年になります。

それは、その決断をする経営者側も同じです。降格人事は会社にとって必要な事とわかっているものの、ややもすると、その人の人生を狂わせてしまう可能性もあります。なので綿密な評価基準で数値化したり人事委員会を構成したり、なるべく決断する負担が経営者一人に集中しない様な仕組みづくりをします。

過去に私も自分の経営する保育園で同じような決断を迫られた時がありました。園にとって非常に重要な決断だったので、当時の保育会(地域の保育園の集まり)の会長へ相談しました。私の代わりに園内人事を告げて欲しいと持ちかけたのです。すると会長からは「あなた自身が彼女に伝えることが、彼女のためでもあり、あなたのためでもあります」と言われました。

確かに園長の責任として、積み上げてきた評価基準や人事考査を経て出した結論をもって、きちんと自分自身で伝えることこそが誠意ある対応だ、と思い、その時はそのようにして彼女に人事を告げました。

ところが最近、今度は私自身が他の方から同じような内容の相談を受けることがありました。そこで私は当時の会長に言われたのと同じように、その方にお話ししました。しかし、話していくうちに、当時私が捉えていた相手に対する誠意と、会長の言う誠意には、乖離があることに気づいたのです。

当時の私は、長の責任として、積み上げた様々な事実を元に話すことこそがその方への誠意だと考えていました。しかし、結局彼女は辞めてしまい、私は自分の思いを伝えられたか、ずっと引き摺っていました。


臨済禅師の語録『臨済録』「病は不自信の処にあり」という言葉があります。

ここでいう「病」とは、本当の自分に目覚めることができない原因や理由のこと、「不自信」とは、自分を信じられないことです。臨済禅師は、自身を信じられないから周りのことにも動揺し振り回される、と言っています。

人は自分に自信がないと、何か「確かなもの」に頼ろうとしてしまいます。しかし、この「確かなもの」とは、実はそのように思えるだけで、絶対的な「確かなもの」などはもとから存在しないのです。

正確なデータに基づいた公平さ、公正さというものは、誰もが正しいと思ってしまいます。しかし、それを過信するあまり、そのことに振り回されてしまって、もっと大切なものが見えなくなってしまうのです。


あの時の自分には何が足りなかったのか?それは、自分の負うべき責任を合理性に基づいた公正な評価に委ねてしまい、心を曝け出して相手に寄り添うことをおろそかにしてしまっていたことです。

自信がない時ほど自分以外のものを頼り、「責任」という言葉や「人事考査」というデータに自分自身を隠してしまいます。これは責任や人事考査を軽視している訳ではありません。それらががあったとしても、自身が迷ったり畏れたりしてしまったなら、それらはあまり役に立たない、ということです。

本当に大切なことは、自分自身を信じて、本心から相手に接することです。積み重ねた経験や実績を大事にしたい、逆にそれがあるからこそ自信を持てる、という気持ちは痛いほどわかります。しかし、それだけに頼っては、人とわかり合えることは決してありません。

積み重ねたものよりも、自分の迷いや畏れも含めてありのままを伝えられるかどうか。そんな時に出てくる本当の自分自身は、格好悪くてみっともないかもしれません。しかし、勇気を出して自分の心と向き合うことで、自身のありのままの姿が見えてくれば、結果は自ずと納得できるものになるでしょう。

今までの自分を支え、決断してきたのも自分自身です。そして、それはこれからも変わりません。そんな自分を曝け出すことが、人と人とがわかり合えることに繋がっていくと思います。

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