『延命十句観音経』を読む

蘆田 太玄
2023/11/15

現在臨済宗で盛んに読まれている『延命十句観音経』は、元々『十句観音経』という中国で成立したお経で、日本では江戸時代に日本臨済宗中興の祖である白隠禅師がこれに「延命」と付け加えて再評価したと言われています。

この「延命」という表現ですが、寿命が延びるという意味を超えて、私たち一人一人に与えられた仏のいのちをそれぞれが一心に生き切ることができるように、という白隠禅師の願いが込められているのでは、と思います。

今回は、『延命十句観音経』の冒頭「観世音」と、結びの「念念従心起 念念不離心」を取り上げて延命十句観音経の説いている「観音さまのこころ」について考えていきたいと思います。
 

『延命十句観音経』全文

観世音 南無仏《かんぜおん なむぶつ》
与仏有因 与仏有縁《よぶつういん よぶつうえん》
仏法僧縁 常楽我浄《ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう》
朝念観世音 暮念観世音《ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん》
念念従心起 念念不離心《ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん》

(筆者意訳)
観音さま、私たちは仏とともにあります。
私たちはいつ、どんな時でも仏と因縁でつながっています。
仏法僧という三宝の有り難い縁によって、常楽我浄という真の安楽を悟ります。
朝にも夕べにも観音さまを念じ、私たちはいつでも観音さまとともにあります。
私たちの想いはいつでも観音さまのこころより起こり、いかなるときも観音さまのこころを離れることはありません。
 

こころの目で「世の音」を見る

『延命十句観音経』の冒頭は「観世音」で始まります。一般的には観音さまと呼ばれて親しまれていますが、正式には観世音菩薩といい、これは「世の音を観ずる菩薩」という意味になります。

「世の音」というのは、我々生きとし生けるものが発している音や声のことです。観音さまはこの「世の音」を「観じて」いる菩薩なのです。「観ずる」という言葉の意味は見る、ということですが、ただの見る、目を向けるというところから一歩踏み込んで、対象にこころを向けて一生懸命に観察する、という意味合いも含みます。ただの「目を向けて見る」から、こころも向けて初めて「観ずる」となるのです。

観世音菩薩は「世の音」、つまり私たち衆生のありとあらゆる声を観じていて、苦しんでいるときには必ず救いの手を差し伸べてくださる存在なのです。悩みや苦しみを抱えた存在を見て何かせずにはいられない。このように思うこころが「観音さまのこころ」です。
 

子供のころに読んだお経の思い出

私はお寺で生まれ、「お寺の玄くん」と地域の中で育てていただきました。地方の子供が少ないところでしたから皆私がお寺の息子だということは知っていて、例えば飼育小屋の鶏が死んでしまっただとか、水槽の亀が死んでしまったなどというときは必ず私が呼ばれていました。校庭の隅に小さなお墓を作り、覚えたてのお経を一生懸命に読んで、死んでしまった動物の供養をしていたのです。

小さいころのことですから正式な供養の作法などは当然知りません。しかし、死んでしまった動物とその別れを寂しがっている同級生を見て、何か自分にできることをしなければならないという思いで、お経を一生懸命に読んでいたことはよく覚えています。

お経を読み終わると皆からありがとう、と感謝の言葉をかけてもらい、うれしいやら少し恥ずかしいやらの複雑な気分でしたが、不思議な充足感がありました。思い返してみるとあのご供養の経験に私の僧侶としての原点があるような気がするのです。

目の前の存在に対して何かせずにおれないのは、私自身がそれを「観じて」いたからであり、観ずることによって自分自身の行いがおのずから定まっていました。あのときの小学生が感じていた「観音さまのこころ」を私は今でもよく思い出すのです。
 

いつでもどこでも観音さまのこころを

『延命十句観音経』では、冒頭に「観世音」と呼びかけることで、私たちが本来持っていた観音さまのこころを呼び起こそうとしています。

そして、この呼び起こした観音さまのこころを忘れないでおくということが、もう一つ大事なことです。その願いが、『延命十句観音経』の結びである「念念従心起 念念不離心」に込められています。

この言葉は「一念一念、私たちは何をするにつけてもこの観音さまの心から行い、一念一念、私たちは何をするにつけてもこの観音さまのこころから離れることはありません。」と訳せます。この「何をするにつけても」というところが特に重要で、一時だけの気づきにとどまってはならない、という教えを感じることができます。

「観世音」の一言で呼び起こした観音さまのこころ、つまり、悩みや苦しみを抱えた存在を観じて何かせずにはいられないこころを「念念従心起、念念不離心」と、いつ、どんなときであっても忘れることがないよう精進していく。そういった思いを忘れないようにしているだけで、自分だけでなくまわりのこころも自然と安らいでいく。これこそが観音さまの功徳ではないかと思うのです。
 

観音さまのこころを見失わないために

目の前の存在に一生懸命こころを傾けることで、何かせずにはおれないという思いが自然と湧き上がってくる。これが観音さまのこころの正体であり、これは決して特別なものではありません。

「観世音」と、悩みや苦しみを抱えた存在を見て何かせずにはいられないこころを呼び起こす。そして、「念念従心起 念念不離心」と忘れずにこころに刻んでいく。当たり前のようで難しいことです。だからこそ何度でも何度でも繰り返し念ずることが大切なのです。

『延命十句観音経』の利点は短いことです。短いからこそ毎日手軽に読むことができます。是非、何度も何度も読み返してもらって、観音さまのこころが私たち一人一人の中で生き続け、少しでも私たちがよりよく生きられる助けになればと思います。

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