寺院は訪れる人にどう向き合うべきか?
皆様、ごきげんよう。仏教学者の佐々木閑です。この連載では、皆様からの質問に私がお答えします。仏教やお釈迦様に関する質問だけでなく、思いついたこと、なんでもいろいろ聞いて下さい。全部お答えすることはできませんが、面白い質問や大切な質問を取り上げて、できるだけ分かりやすくお答えします。
ただし、禅については禅宗のお坊さんに聞いて下さいね。
Question :
お寺の山門は、訪れる人を受け入れているのか、それとも拒むものなのか、どちらなのですか?
(ペンネーム「M.N.」さんからの質問)
Answer :
どんな人であれ、仏教の教えを求めてやって来る人には等しく門を開いているというのが、お釈迦さまが定められたお寺の在り方です。大きな山門は「お寺を立派な姿で後世に残したい」という信者さんの願いの表れであって、威厳によって人々を威圧するものではありません。
質問の意図が少し分かりづらいのですが、これを「仏教の寺院というものは、訪れる人に対してどのような姿勢で向き合うものなのか」という意味の質問だろうと想定してお答えします。
仏教という宗教は、お釈迦様の教えに従って修行生活を送りたいと願う人たちが集まり、一定の規則に従って暮らす組織宗教として始まりました。その組織が仏教サンガです。
サンガのメンバー、つまりお坊さんたちは、一切の生産活動を禁じられ、食べるものはすべて一般社会からのお布施(托鉢やおよばれのご飯など)に頼って暮らします。修行に打ち込むためには、生産に関わっている余裕などないからです。
そして衣類に関しては、道ばたで拾ったぼろ布をつなぎ合わせて着る、住まいに関しては、洞窟や木の下で野宿するというのが基本的な生活方法として定められました。ぼろ切れを身に纏い、野宿しながら、托鉢のご飯で命をつなぐ、というのが僧侶の本来の生き方なのです。
しかし、熱心な信者さんから見たら、信奉するお坊さんがそんなつらい暮らしをしているのを見過ごすわけにはいきません。
「ちゃんとした着物を着てほしい」「安らかな寝所で寝てほしい」と願うのは人の情です。そうして、そういう有り難い好意で、きれいな新品の布や、お寺の土地・建物を寄付してくれます。お坊さんたちは感謝して、それを受け取るのです。
このことからお分かりの通り、お寺というものは、その土地も建物も、すべてを信者さんたちからの布施としていただくものであって、僧侶はそこに「住まわせてもらっている」のです。決して僧侶がお寺を「所有している」のではありません。
お寺の山門というものも、「自分たちの寄進したお寺を立派な姿で世に示したい」と願う信者さんたちの気持ちの表れなのであって、決してお寺の威厳で人々を威圧しようとして建てられているのではありません。
お寺は24時間誰にでもオープンで、どんな人であれ、仏教の教えを求めてやって来る人には等しく門を開いている、というのが、お釈迦さまが定められたお寺の在り方です。
もちろん、泥棒が入ると困るので夜間に戸締まりすることはありますが、それでも夜中に助けをもとめてやってくる人には、直ちに扉を開けて中に入れる、というのが原則です。
自分が建てたのでもないお寺を、あたかも自分の所有物であるかのようにみなして、一般の人たちを見下す態度を取る僧侶も時々見かけますが、大いに反省し、お釈迦様の本来の教えに立ち帰ってもらいたいものです。