宗教が争いの原因になるのはなぜ?

佐々木 閑
2021/6/8

皆様、ごきげんよう。仏教学者の佐々木閑です。この連載では、皆様からの質問に私がお答えします。仏教やお釈迦様に関する質問だけでなく、思いついたこと、なんでもいろいろ聞いて下さい。全部お答えすることはできませんが、面白い質問や大切な質問を取り上げて、できるだけ分かりやすくお答えします。
ただし、禅については禅宗のお坊さんに聞いて下さいね。
 

Question :

宗教とは本来「人間を救うためのもの」だと思いますが、なぜその宗教を原因とした戦争が起こるのでしょうか?

(J.Yさんの質問)


Answer :

宗教が人を不幸にする一番の原因は、「正しい自分たちが勝つことを喜び、正しくない他の連中が負けることを喜ぶ」という気持ち、つまり征服欲なのです。

 
宗教は人を救うためのものですが、宗教団体は必ずしも人を救うためのものではありません。たとえ教祖が立派でも、それが団体になると、たちまちエゴが現れてきて、恐ろしい暴力組織になることはよくあります。

本来、宗教は一人ひとりの生きる苦しみを取り除くはずのものですが、信者がふえて組織化が進むと、その組織を守り、広げ、勢力を伸ばすことが第一目標になってきます。なぜなら、一人ひとりの気持ちと、組織全体の在り方が連結されて、組織が拡大することがそのまま自分の幸福感に繋がってくるからです。

この状態は、たとえばご贔屓の球団が勝つと自分のことのように喜んで幸せを感じるプロ野球ファンとか、オリンピックで日本人が金メダルをとると、その人が縁もゆかりもない人でも、自分のことにようにうれしくなる気持ちと一緒です。自分とつながっている者が勝つと嬉しいというわけですから、逆に言えば、自分とつながっていない者(相手の球団とか、他国のスポーツ選手)が負けると嬉しいということになります。

こうしてみてくると、人間を救うはずの宗教が人を不幸にする一番の原因は、「正しい自分たちが勝つことを喜び、正しくない他の連中が負けることを喜ぶ」気持ち、つまり征服欲だということになります。

このような視点で世の中の様々な宗教団体を見てみると、ほぼすべてが、多かれ少なかれ、そういった征服欲で運営されていることが分かります。当然ですが、征服欲の強い団体ほど、攻撃的で暴力的で悪知恵を弄するようになります。他の言い方をすれば、そういった征服欲の強い団体でないと、生き残ってこれなかったとも言えるでしょう。
 



お釈迦様のおつくりになった仏教も例外ではありません。お釈迦様自身はそのようなことを思っておられなかったはずですが、いつの間にか「仏教を世に広めて、仏教信者を増やすことが仏教の使命である」といった気風が強くなってきて、南方仏教国の中にさえも教団拡大のために政治的活動をする僧侶が出てきています。

もし宗教が「人間を救い、しかも征服欲を持たない」組織としてあり得るとするなら、それは間違いなく、病院のように「苦しみを抱えて訪れる人をひたすら待ち受けるだけの謙虚な組織」として運営される場合だけです。「敵をやっつけてスカッとする」という気持ちが、宗教を暴力化する一番の原因なのです。

本当にやれるのかどうかまだ分かりませんが、もうすぐオリンピックです。もちろん楽しい祭典ですし、多くの人の心が浮き立つのは当然ですが、少なくとも仏教界に身を置く者としては、自国選手が勝った時のあの高揚感こそが、世の多くの争いの根本原因だということも重々理解しておく必要があるでしょう。

「人はなぜ平和に暮らせないのか。なぜ争うのか。愚かなことだ」と言いながらオリンピックを楽しんでいる姿が実は矛盾しているということを(ちょっとだけでもいいので)考えてみて下さい。
 


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