仏教を学ぶ上で「注意すべきこと」とは?
皆様、ごきげんよう。仏教学者の佐々木閑です。この連載では、皆様からの質問に私がお答えします。仏教やお釈迦様に関する質問だけでなく、思いついたこと、なんでもいろいろ聞いて下さい。全部お答えすることはできませんが、面白い質問や大切な質問を取り上げて、できるだけ分かりやすくお答えします。
ただし、禅については禅宗のお坊さんに聞いて下さいね。
Question :
私は仏教徒ではなく、仏教徒になる予定も今のところありません。しかし仏教に興味があり、学びたいと思っています。「仏教のつまみぐい」のような形になると思いますが、注意すべきことがあればお教え下さい。
(ペンネーム「ふたば」さんの質問)
Answer :
仏教は2500年の間に分岐・変容・融合を続け、めまいがするほどに多様化してきました。仏教を学ぶには、そのような時間的変化や歴史的背景を正しく理解する必要があります。たまたま興味を惹かれた情報だけを勝手につなぎ合わせても、頭が混乱するだけです。つまみ食いは結構ですが、「有害で無益な勉強」にならぬような心構えが必要です。
仏教を学んだから仏教徒にならなければならないということはありませんから、どうぞ気楽に仏教世界を楽しんでください。
今回私がこのご質問を取り上げた理由は、「仏教をつまみぐいする時に注意しなければならない点はなにか」を是非皆さんに知っていただきたいからです。
仏教は2500年ほど前、釈迦牟尼によってこの世に誕生しました。もしその仏教がなにも変化することなく、お釈迦様当時のままで伝えられてきたのなら、私たちはなんの苦労もなく「仏教とはなにか」を理解することができます。目の前にあるお経をそのまま現代日本語に翻訳して、「はい、これが仏教の教えです」と言えばそれで済むからです。
しかし実際は、そんな簡単にはいきません。2500年の間に仏教はどんどん枝分かれし、変容し、新たなアイデアを付け足し、時には違った流派が融合し合って、めまいがするほどに多様化してきました。
世界の宗教の中でも仏教ほど多様化した宗教は他にないと思います。「仏教を理解する」というのは、そういった網の目のように複雑化した歴史的な流れを、間違うことなく正しく観察するということなのです。
正しい観察方法とは、「仏教は長い時間の間に大きく変容し、様々に多様化してきた宗教だ」と分かって観察することです。これによって、同じ仏教と言いながらも、そこには違った考えが共存しているということが納得できます。時間的変容を理解することで、多様化した仏教をそのままで全体として「仏教」として受け入れることができるのです。
これに対して、時間的変化を考えず、「今ある仏教の教えは全部、お釈迦様が説いたものだ」などと考えると、互いに矛盾する多くの教えを無理矢理一つにまとめねばならなくなり、無茶苦茶な仏教像が現れてしまいます。仏教を理解するどころか、どこにも存在したことのない虚構の仏教を勝手に作り上げてしまうことになるのです。仏教をつまみぐいする時に注意しなければならないのはここです。
仏教の、たまたま興味を惹かれた特徴や、たまたま本で読んだ知識や、あるいは特定の宗派の信者さんが言う言葉だけを鵜呑みにして、そういった情報をあれこれつなぎ合わせて仏教を理解しようとすれば、このような誤った理解にとらわれてしまって抜け出せなくなります。歴史的な背景を知らずに勝手に情報をつなぎ合わせても、頭は混乱するばかりです。
つまみ食いは構いませんが、つまみ食いするにも心構えがいります。それは「仏教を理解するには、その歴史の流れを正しく知らなければならない」という思いです。
歴史観のない勉強は「有害で無益な勉強」です。この点に留意して、素敵な仏教世界を存分に探検してみてください。仏教信者にはならなくても、学ぶことの喜びを一生持ち続けることができるようになるでしょう。