漢詩徒然草(15)「地下街」

平兮 明鏡
2022/7/1

穿地碎岩街路開 地を穿ち 岩を砕き 街路開く
四通八達客頻來 四通八達 客 頻りに来る
盤肴樽酒市門賑 盤肴 樽酒 市門の賑い
菜圃何之田鼠猜 菜圃 何にか之くと 田鼠猜む

四通八達 … 道路が四方八方に通じていること
盤肴 … 大皿に盛られたごちそう
樽酒 … 樽の酒
市門 … 市場の門、賑わっている街なか
菜圃 … 野菜ばたけ
田鼠 … モグラ


ふと、駅の地下街を歩いていて思いました。

「地下に街がある……」

そのまんまなんですが、これってすごいことだと思いませんか?だって地下に街があるんですよ?

現代では大きな都市には、大抵、地下街があります。地底深くを進んだ先に、古代の街があったというようなファンタジーの物語がありますが、それはもうすでに現実になっているのです。

とはいえ、地下都市というものは本当に古代からありました。トルコ、カッパドキア地方の地下都市郡は紀元前から存在していたそうです。ワイン醸造所や礼拝堂、通気口や水路を備え、地下数十mに及ぶ空間に数千人の人々が生活していたと言われています。興味のある方は「カッパドキア」「カイマクル地下都市」をインターネットで検索してみてください。悠久のロマンが広がりますよ?

一方、日本で最初の地下街は、昭和5年、東京の地下鉄開通後に開業した上野駅の地下街だそうです。日本の都市部には、土地があまり余っていませんので、地下空間の有効活用が推進され、以降、地下街が発展しました。実は日本は世界有数の地下街大国です。現在、全国には80ヵ所もの地下街があります。

穿地碎岩街路開 地を穿ち 岩を砕き 街路開く
四通八達客頻來 四通八達 客 頻りに来る

近代の科学技術の発展は凄まじく、文字どおり私たちの生活は一変しました。重機は地下を難なく掘り進み、街を作り出しました。まばゆい照明が昼間のように通路を照らし、多くの人が行き交います。レストランやカフェでは美味しい食事を提供し、いろんなお店でショッピングを楽しむことができます。

カッパドキアの地下都市郡は、階層数や延べ面積こそ信じられない規模ですが、当然これほどの贅沢や便利さは享受できなかったことでしょう。

盤肴樽酒市門賑 盤肴 樽酒 市門の賑い

しかし、地下街ができる以前には、地下には当然、土と石があるだけでした。そこに穴を掘って暮らしていたのはモグラたちぐらいでしょう。私たちがモグラに取って代わったと言えるかもしれません。


「滄海、変じて桑田となる」ということわざがあります。広い海が桑畑に変わる、という意味で、世の中の移り変わりの激しいことを言っている例えです(漢詩徒然草「送春」で取り扱った「代悲白頭翁」でも登場します)。地下街で言うと「地中、変じて街となる」といったところでしょうか。

ことわざ自体も移り変わるもので、逆のパターンの「桑田、変じて滄海となる」と言うバリエーションもあります。そもそも出典とされる『神仙伝』の仙女のセリフが、

「已に東海の三たび桑田と為るを見る
(東の海が桑畑に変わってしまったのを、もう三回も見ました)」

というものです。また、地下街で例えると「街、変じて地中となる」といったところでしょう。

地中に街ができても、私たちの生きている時間の尺度では、それはすぐに当たり前のことになってしまいます。昔のことを気にしているのは、今に満足できないモグラだけかもしれません。

菜圃何之田鼠猜 菜圃 何にか之くと 田鼠猜む

当然のことですが、老朽化や採算が取れなくなって廃止されてしまった地下街もあります。いつか「街、変じて地中となる」とき、今度は私たちが気にする番になるのかも……。地下街を歩きながら、そんなことを思いました。


○●●○○●◎
穿地碎岩街路開 地を穿ち 岩を砕き 街路開く
●○●●●○◎
四通八達客頻來 四通八達 客 頻りに来る
○○○●●○●
盤肴樽酒市門賑 盤肴 樽酒 市門の賑い
●●○○○●◎
菜圃何之田鼠猜 菜圃 何にか之くと 田鼠猜む

仄起式、「開」「來」「猜」上平声・十灰の押韻です。
 

句中対

今回の詩は対の表現を多く用いています。「穿地碎岩」「四通八達」「盤肴樽酒」の部分が、それに当たります。漢詩講座で、すでに「対句」を紹介しました。対句は句と句を対にするレトリックですが、今回のそれは句の中で対の構造を作り出す「句中対」というものです。

句中対は一句全体が「4字・3字」の組み合わせで対の構造になっているものもありますが、今回の例は、上の4字の中で「2字・2字」の対を作る構造です。

「穿地碎岩」

「地を穿ち、岩を砕く」と「述語・目的語」の構造を二回繰り返しています。「穿つ」と「砕く」、「地」と「岩」という類語を用いていることに注目してください。

「四通八達」

「四」と「八」は数詞、「通」と「達」はともに道が通じていることを意味しています。これは四字熟語をそのまま用いただけですが、四字熟語は大昔から伝わる洗練された成語ですので、対の構造になっていものも珍しくありません。四字熟語を見たときには、このような技法が用いられていないか確認してみてください。

「盤肴樽酒」

こちらも「修飾語・被修飾語」という関係です。ここでは「盤(大皿)」と「樽」、「肴(さかな)」と「酒」という、食器類と食べ物に関する語で対の構造になっています。

このように句中対を用いると、詩文中にリズムと格調を生み出すことができます。漢詩は韻律を整えた雅《みやび》を旨とする文学です。そのテクニックの一つとして「対」を意識しみるのもよいでしょう。

←漢詩徒然草(14)「梅雨」へ | 漢詩徒然草(16)「霹靂」へ→

page up