「戦争」や「戦争に関わる人」は悪ですか?

佐々木 閑
2022/6/8

皆様、ごきげんよう。仏教学者の佐々木閑です。この連載では、皆様からの質問に私がお答えします。仏教やお釈迦様に関する質問だけでなく、思いついたこと、なんでもいろいろ聞いて下さい。全部お答えすることはできませんが、面白い質問や大切な質問を取り上げて、できるだけ分かりやすくお答えします。
ただし、禅については禅宗のお坊さんに聞いて下さいね。
 

Question :

仏教的に戦争は悪だと思いますが、軍隊の存在自体も悪ですか?兵士も悪ですか?武器を作る人も、戦争を決行する政治家も、政治家を支援する企業も、悪ということになりますか?

(ペンネーム「STOP THE WAR」さんの質問)


Answer :

涅槃を目指す仏教修行者の立場から言えば、戦争は間違いなく悪です。しかし、家族への情愛を大切にする一般社会の価値観から見た場合、愛する家族が殺されそうになった時に武器を持って立ち上がることは、悪とは言えないでしょう。その人がどのような価値観で生きているかによって、同じ行為でもその是非は異なります。



「仏教的に戦争が悪である」という言葉の意味を考えてみます。

仏教というのは、利得の獲得を人生の目的とする一般社会の通念では生きられないと自覚した人が、世俗の価値観を離れて、まったく別の目的で生きるために生み出された宗教です。

その仏教が目指す人生の目的とは、「いつまでも生き続けたい」「よりよい暮らしを手に入れたい」といった欲求の充足、つまり自分の望みを叶えたいという思いを捨て、我欲に縛られない心を獲得するということです。

このように仏教は、俗世で生きるのがつらいと感じる、一部の人たちのために釈迦が創設した宗教ですから、その教えを万人に説き広めようとは考えませんし、世の全員が仏教の教えを信奉して、我欲を捨てねばならないとも考えません。

仏教はあくまで、広い世界の中にポツンと存在する「救済のための島」であり、その周囲には、仏教とは異なる世界観で生きる一般社会が取り巻いているのであって、それが社会の構造だということを、仏教自身が了解しているのです。
 



そこで「戦争」というものを考えてみますと、戦争とは人の命を奪う行為ですから、仏教的に言えば間違いなく悪です。殺生は人が涅槃を目指す際の大きな障害であり、涅槃の障害となるものを仏教では悪と呼ぶからです。

しかし、仏教という島社会から出て周囲の一般社会の価値観に立ってみると、戦争は必ずしも悪だとは考えられていません。

外部からの侵略者によって愛する家族が殺されそうになった時に、武器を持って立ち上がることは善か悪か。それが一種の殺生である以上は、涅槃を目指す仏教修行者の立場から言えばそれは間違いなく悪です。

しかし、家族への情愛を大切にする一般社会の価値観から言えば、それを悪とは言えず、むしろ愛する者を守る勇気ある行動として正当化されることも多いでしょう。

そして、「ではどちらの考えが正しいのか」という質問に対しては、「その人がどのような価値観で生きているのかによって、同じ行為でもその是非は違ってくる」というのが、唯一の答となるでしょう。つまり、どちらの生き方を正しいとするかは、人によって違っているということです。

その時くれぐれも気をつけねばならないのは、自分の視点だけを絶対の基準だと考えて、それを別の立場の人にまで押しつけることがないようにするということです。そんなことをすれば、ますます人同士の対立は深まり、争いが増幅していくでしょう。
 


  

では、はじめの質問に戻りましょう。

「仏教的に戦争は悪だと思いますが、軍隊の存在自体も悪ですか?兵士も悪ですか?武器を作る人も、戦争を決行する政治家も、政治家を支援する企業も、悪ということになりますか?」

もし、その人が仏道を歩み、涅槃を目指しているのなら、答えはイエス。戦争は悪であり、戦争に関わるすべての行為、すべての立場は悪ということになります。

しかしその場合も、「それを悪と定めているのは、仏道を歩み、涅槃を目指している私なのであって、万人がそう考えているわけではない」ということを自覚する必要があります。

ですからその人は、「自分自身は何があっても、それらに関わらないようにしよう」と覚悟して生きることになりますが、だからといって、他の人にまで自分の判断を押しつけるべきではありません。あくまで「自分は関わらない」という姿勢に留めておくべきです。

一方、その人が、家族や仲間への情愛を最も大切にする生き方を良しとしているのなら、その情愛を守るための戦争を「悪だ」と言うことはできません(できるはずがありません)。決して善ではないけれど、悪でもない。どうにも仕方のない必然的行為ということになるでしょう。

そして、そんな人を見て、仏道修行者は「この人の考えは、仏教が目指す目標からははずれているが、しかしそれは、人が生まれ持って具えている自然な生き方なのだ」という姿勢で見守るのです。

仏教という宗教は、確固とした一つの生き方を皆に示しますが、だからといって、その生き方が唯一の善であって、それ以外の生き方を悪と考えるような宗教ではないということを理解することが大切です。
 


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