文房四宝の詳細~その3 硯編

野田 芳樹
2022/4/22

1.硯の各部名称

硯の語源は「墨磨り」で、「すみずり」→「すんずり」→「すずり」と変化していったという説があります。

その名の通り、硯はただの墨入れではなく、墨を磨るために欠かせない道具です。代表的な形をした硯の各部の名称は以下の通りです。


■海
磨った墨をためておくところ。墨池《ぼくち》、池と呼ばれることも。

■丘
墨を磨るところ。陸《りく》、墨堂《ぼくどう》と呼ばれることも。

■縁
硯の周囲の盛り上がった部分。ここに彫刻が施された鑑賞用の硯もある。


初心者におすすめの硯は?

硯の形や大きさ、装飾の有無などは千差万別。見た目の美しさや惹かれる色合いなど、ご自身の好みに合わせて選ぶのも硯の楽しみ方の一つです。

「初心者におすすめの硯は?」と聞かれれば、私は羅紋硯《らもんけん》を勧めます。理由は、比較的安い値段で手に入りやすく、墨のおりもよいからです。そして形は平たい直方体で、大きさは7吋《インチ》(約17.5㎝)程度を目安に選ぶと、墨は磨りやすいと思います。(硯の種類についての詳細は、文末の「補足:唐硯と和硯の種類について」をご参照下さい)


2.墨の磨り方

硯の丘の表面には「鋒鋩《ほうぼう》」と呼ばれる目には見えないほどの小さく細かな突起があり、そこに固形墨が磨り合わさることで、上質な墨が出来上がります。大根おろしをすりがねでおろしている様子をイメージしていただければ分かりやすいと思います。(大根が墨、すりがねのギザギザが鋒鋩)

私が小さい頃、習字道具セットに入っていたプラスチック製の硯で固形墨を磨ろうとしたところ、一向に磨れる気配がないことを不思議に思ったものでしたが、それはプラスチック製の硯には鋒鋩がないため墨が磨れないのだと後になって知りました…。


では、実際に墨はどのように磨ればよいのでしょうか?私の私淑するかな作家・野瀬まり先生の以下の動画が大変参考になりますので引用させていただきます。


この動画で挙げられている、硯を使って墨を磨る際のポイントは以下の5点です。


(1)乾燥した硯を使わない

(2)墨は少しずつ作っていく

(3)硯全体をつかって、ゆったり磨る

(4)磨るのに力はいりません

(5)磨り終わった墨は、必ず拭く


日ごろ私自身も上記の点を心掛けて墨を磨るようにしています。これに加えて私が大切にしていることは、「墨が硯の上で動くリズムに合わせて深く呼吸し、息を調える」ということです。

硯で墨を磨る行為には、文房四宝の詳細~その2 墨編」の3にも書いたように瞑想的な要素も多分に含まれていると考えています。

もちろん私も書写用に墨をつくるために墨を磨ることが大半ですが、時にできるだけ静かな場所で墨を磨り、硯と墨がこすれる音に耳を傾けてそれに合わせるようにゆったり呼吸を調えていくと、何とも心地よく心が落ち着きます。

ちょっと疲れた時には、目的を離れて「ただ墨を磨る時間」を満喫してみるのもいいかもしれません。


3.硯はなぜ「田んぼ」?

少し違った視点で硯について考えてみます。皆さまは「筆耕硯田《ひっこうけんでん》」という言葉をご存知でしょうか?文字や文章を書いて生計を立てることを表現した四字熟語で、文筆家の硯を農家の田んぼになぞらえて「筆で硯の田を耕す」というちょっとおしゃれな比喩表現です。

現在でも、賞状や招待状の宛名、看板、表札などの文字を書くことを仕事にしている方のことを「筆耕士《ひっこうし》」と呼びますが、これも「筆耕硯田」からきています。

私は昔から「なぜ田んぼでたとえるようになったのだろう?」と疑問でした。諸説あるようですが、私はその理由を考える糸口として仏教の「福田《ふくでん》」という言葉をいつも想起します。


「福田」とは仏教の言葉で「福徳を生む田んぼ」という意味。これは、田んぼに種をまくと作物が実って収穫があるように、例えば仏さまやお父さん・お母さん、困っている方々などにお布施をすると未来に功徳が得られる、という思想に基づいた喩《たと》えです。

中でも「恩田《おんでん》」といって、お父さん・お母さんや先生・年長者など、ご恩をいただいている方々からの恩義に気づき、折りに触れて返していくことが理想であるという考え方があります。

私にとっての硯は、この「恩田」を自覚する触媒であると思っています。と言いますのも、私が日ごろ使う硯は私の師匠(小さい頃からお世話になっている母の叔母です)から譲ってもらったものなのです。

私が日ごろ使う羅紋硯《らもんけん》です

ある日お稽古場に行くと、机にこの硯が置いてありました。「これは?」と師匠に尋ねるとこんな返事が。

これ、プレゼント。ずっと前に、いつかあげようと思って買っておいたの。この前展覧会で良い賞とったから、ご褒美ね。これからも頑張って!


後から先輩の書家さんに「これ、相当高いよ。高級な硯は一生ものだから、これをくださったということは『あなたはこれに相応しい力を備えているから、これから先も書を楽しんで続けていってほしい』っていう先生のお気持ちが込められているんじゃないかな?」と言われました。硯を贈られるということは一端の書家として認められたことにもなるのかと、嬉しくもこそばゆい気持ちがしました。

けれど、私が培ってきた書の技術や心もちはほとんど全て師匠から教わったものです。激励とともに貰った硯は、実際の質量以上に重みを感じました。この重みは、これまで私が頂いてきた師匠からの恩義の分なのだと思っています。

ですから書に取り組む時にはこの「恩義の田んぼ」に向きあって、自分の心を耕すつもりで墨を磨ります。そして「自分は独りで書に取り組んでいるわけではなく、師匠をはじめとする多くの方の支えで書を続けさせてもらっているのだ」と、いつも省みています。これこそが「福田」に向き合うことで得られる功徳であり、硯が田んぼとして喩えられる一つの由縁なのかもしれません。


硯で墨を磨ることは、心を耕すことにつながります。お気に入りの硯を選んで、ぜひ一度試してみてください。


補足:唐硯と和硯の種類について

硯には大きく分けて「唐硯《とうけん》」と「和硯《わけん》」の2種類に分類されます。唐硯・和硯はそれぞれ、中国産・日本産の石を加工したものです。

唐硯と和硯は産地によってさらに細かく分類されます。以下、代表的な硯の種類を挙げてみますので、参考にして下さい。

【唐硯】

端渓硯《たんけいけん》

主な産地:中国広東省

墨のおりがよく磨る性能も衰えにくいなど、機能性に優れた硯。端渓硯にも多くの種類があり、「宋坑端渓硯《そうこうたんけいけん》」「麻子坑端渓硯《ましこうたんけいけん》」「老坑端渓《ろうこうたんけいけん》」などが有名。高級品。

歙州硯《きゅうじゅうけん》

主な産地:中国江西省

端渓硯が流行する前に最もポピュラーだったと言われる硯。墨を磨ると、黒色の強い色味がでやすいことが特徴。端渓硯と並ぶほど、希少で高価。

澄泥硯《ちょうでいけん》

主な産地:中国山西省

比較的表面の目が粗く、墨が非常に磨りやすい硯。中国製の墨(唐墨)を磨るときに最も相性の良い硯の一つと言われる。黄色、紅色などの色味のものが多いが、他にも、緑、紫、青、白など様々な色があるのも特徴。

羅紋硯《らもんけん》

主な産地:中国江西省

「羅」は「うすぎぬ」という意味。文字通り、硯の面にうすぎぬのような横目の細かい文様がみられ、見た目に美しい硯。値段が比較的安く、墨のおりもよいため、初心者に向いていると言われる。


【和硯】

雄勝硯《おがつすずり》
主な産地:福島県

室町時代(14世紀ごろ)から、既に福島県石巻市(雄勝地区)で産出されていたと伝えられる、伝統ある硯。耐久性に優れ劣化しにくいことや、光沢のある美しい黒色を湛えていることなどが主な特徴。

雨畑硯《あまはたすずり》
主な産地:山梨県

元禄年間(17世紀ごろ/江戸時代)に身延山《みのぶさん》へ参詣しに行った先達が河原で黒一色の石を見つけ、それを加工したのが始まりと伝えられる歴史ある硯。適度な硬度があり、墨のおりが良い。

那智黒硯《なちぐろすずり》
主な産地:三重県

黒色で光沢のある那智黒石からつくられる硯。原石は主に、和歌山県の那智勝浦町(県南部)で採取される。明治初頭には、熊野那智大社《くまのなちたいしゃ》と那智山青岸渡寺《なちさんせいがんとじ》へと通じる参道沿いに、硯の店が立ち並んだと言われる。ぬれたような光沢をもっており、緻密な石質と適度な硬度があることが特徴。

赤間硯《あかますずり》
主な産地:山口県

主に山口県下関市や宇部市周辺でつくられる硯。鎌倉時代には製造が始まっていたとされ、800年以上の歴史をもつ。鎌倉の鶴岡八幡宮《つるがおかはちまんぐう》には源頼朝公が奉納したとされる赤間硯が残っている。原料の赤間石は加工がしやすいため、彫刻を施したものも多い。


【参考文献】

■サンエイムック『書を知る』(株式会社 三栄/2014年発行)
https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=7616

■サンエイムック『書を知る2』(株式会社 三栄/2014年発行)
https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=7617

【参考サイト】

■「硯の選び方」(書遊)
https://syoyu-e.com/article/column/tools_article/suzurinoerabikata

■「『和硯』『唐硯』代表的な硯の種類」(栄匠堂)
https://eishodo.net/chadogu/suzurikind/


■「雄勝硯」(KOGEI JAPAN)
https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ogatsusuzuri/


■「赤間硯」(KOGEI JAPAN)
https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/akamasuzuri/

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