お布施のこころ

野田 芳樹
2021/7/15

「物をあげたら、お返しがないと気が済まない」
「人に親切にしたのに、お礼を言われなかったことに腹が立つ」
「お金を払ったんだから、相応のサービスを受けないと癪にさわる」

皆様は日々の生活の中で、こんな思いを抱いたことはありませんか?

恥ずかしながら私はこのように思うことがよくあります。「何かしたら、その見返りを求めずにはいられない」――この思考は、お返しがなければ不満が募るし、対価が得られないなら何もしないでおこう、と自分の世界を狭めてしまうことになるとても窮屈な考えだなぁ…と、分かっていても止められない。

自分がそんな思考に陥るたび、亡き祖父の「お布施のこころが大事だよ」という言葉が頭をよぎります。

ここで言う「布施」とは、「法事などでお坊さんに渡す謝礼」のことではありません。元の意味はもっと深く、その本来の意味を知ることが私たちの「見返りを求めずにはいられない窮屈さ」から抜けだすヒントになると思うのです。では、具体的にはどんな意味なのか――私の体験をもとにご紹介したいと思います。


皆さまは「おてらおやつクラブ」という活動をご存知でしょうか?これは、国内の子どもの貧困問題の解決を目指すNPO法人です。お寺にお預かりしたお供えものを仏さまからの「おさがり」として頂き、経済的に困っている子どもを支える各地の支援団体へ「おすそわけ」する活動です。

私の居るお寺もこの活動の参加寺院の一つで、何度かおすそわけを送ったことがあります。送る際の送料はお寺持ちです。
「お寺は損しかしてなくない?」と思われるかもしれませんが、私はこの活動を通じ、自分自身が大切なものを頂いていると感じることがあります。

ある時期、仕事が沢山たまって寝不足が続き、体調が優れず心身ともに辛い期間がありました。そんな中、とある児童養護施設におすそわけをお送りしたときのこと。配送を終えてから数日して、お礼のお手紙が届きました。その中に、子どもの可愛らしい字で書かれたこんなメッセージが。

送ってくれてありがとう。
みんなで仲良く食べたよ。
おぼうさん、あんまりがんばりすぎず、
からだに気をつけてね。

それを目にしたとたん、今までのしんどい気分が一気に晴れました。この子の、何のはからいもない思いやりが、自分の活力になっていった不思議な感覚を、今でも覚えています。


この子どものような、見返りを度外視した思いやりの気持ちこそが、本当の「お布施のこころ」ではないかと思うのです。

思いやりは目には見えませんが、確かに人の心をフワリと和らげ、自分と他者の世界を広げるきっかけになり得ます。事実、私はこの子の言葉に救われる思いがしましたし、自分もこの子のような気遣いを忘れず日々を過ごそうと思いを新たにさせてもらいました。

はからいのない思いやりをお互いにかけあうことで、この世の中がいっそう広々とした温もりあふれるものになっていくと信じています。

page up