お釈迦様の時代に「献金問題」はあった?

佐々木 閑
2023/3/9

皆様、ごきげんよう。仏教学者の佐々木閑です。この連載では、皆様からの質問に私がお答えします。仏教やお釈迦様に関する質問だけでなく、思いついたこと、なんでもいろいろ聞いて下さい。全部お答えすることはできませんが、面白い質問や大切な質問を取り上げて、できるだけ分かりやすくお答えします。
ただし、禅については禅宗のお坊さんに聞いて下さいね。
 

Question :

高額な献金で生活や人生を破壊されたり、信仰が原因で家族が対立する悲しい事件が絶えません。お釈迦様の教えの中で、信者による献金や信仰はどのように決められていたのでしょうか?

(ペンネーム「せんべい嫌い」さんの質問)
 


Answer :

お釈迦様の時代の仏教教団の理念は「拡大」ではなく「維持」でした。苦しむ人を救うためでなく、信者獲得や勢力拡大を目的にするようになると、教団は腐敗し堕落します。これは、どんな宗教でも同じように起こることです。しかし、個人的に立派に生きておられる僧侶は沢山おられます。これからは教団ではなく、一人ひとりの僧侶の生き方を見ていく時代になるでしょう。



まさに現代的な問題ですね。宗教団体が様々な理屈をつけて信者の恐怖心をあおり、布施を要求するという事件は、今も昔も、いたるところで起こっています。「私たちの仲間になりなさい。仲間にならない者は地獄に堕ちますよ」といった悪質な脅迫は、現代だけでなく、古代インドで作られた大乗仏教の経典の中にさえ見られます。

本来、一人ひとりの心の平安を目的として生み出されたはずの宗教も、それがやがて大きな団体になり、利得や権威を求める人がトップに立つようになると、本来の目的は忘れられて、信者の獲得、勢力の拡大が目的になってきます。

そうなると布教の意味も変わってきて、「苦しんでいる人を救うため」であった布教が、いつの間にか「組織拡大と布施獲得のための活動」になってしまいます。相手を脅迫してでも信者にしよう、という姿勢はそこから生まれてくるのです。一人ひとりのためであった宗教が、「教団のため」と言い出した時、宗教の堕落が始まるのです。

こういった宗教の堕落は、仏教だけの現象ではなく、他の大宗教でも同じように起こっています。

旧来の宗教が組織として大きくなればなるほど内部は腐敗し、信者から布施、献金を集めることに夢中になり、それに反発して改革派が新しい宗教を創設するのですが、その改革派宗教もまた時代とともに堕落し、布施、献金に夢中になる、といった愚かしいサイクルが続いていくのです。ですから、現在の我々が目にしているいろいろな悪しき宗教団体の欲深い活動は、今現在だけの特殊な現象なのではなく、人類の宗教史の中、いたるところに現れた普通の現象の一つにすぎないのです。
 


 
このように考えてくると、私たちはいつでも、「組織のために信者を獲得し、その信者からの布施、献金を利用して組織を維持・拡大していこう」という利己的な思いを持った宗教団体に囲まれて暮らしているということになります。

そんな団体に、いくら自分の苦しみを打ち明け、救いを求めても意味はありません。生きる苦しみに耐えきれず、なんらかの教えにすがりたいと願うならば、「組織の繁栄を目標としない宗教」を選択しなければなりません。

質問者がおっしゃる、「高額な献金で生活や人生を破壊されたり、信仰が原因で家族が対立する悲しい事件」から身を守る一番の手段は、「組織の繁栄を目標としない宗教」を頼りとすることなのです(ただし、そのような良い宗教も時間とともに堕落する可能性があるということをいつも念頭に置いておく必要があります)。

お釈迦さまはどうだったか、というご質問ですが、お釈迦様が目指した仏教教団の理念は「拡大」ではなく「維持」でした。

組織を拡大するためには、常に信者の数を増やし、収益を伸ばしていかねばなりませんが、維持するだけでしたら、信者の数も収益も一定のままでよいのですから、無理をする必要がありません。だからこそ釈迦は、「毎日村々をまわって頂戴する托鉢のご飯だけで生きていけ。余計な物、贅沢な物は受け取るな」という規則をお作りになったのです。維持を目的とするからこそ、僧侶は質素で謙虚な姿で生きていくことができるのです。

今も、このお釈迦様の思いをそのまま実現している仏教教団は実際にはほとんど存在しません。どの仏教世界も組織が大きくなりすぎたのです。しかし、組織が堕落しても、個人的に立派に生きておられるお坊様は大勢おられます。

組織のことを優先するのではなく、一人ひとりの安穏な生き方をまっ先に考えておられる方の教えならば、それは間違いなく「組織の繁栄を目標としない宗教」の教えということになります。これからの時代、良い宗教と出会うためには、宗派や教団を見るのではなく、一人ひとりの僧侶の生き方を見ていくことが大切になっていくでしょう。
 



 
 

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