禅画は面白い – 月が見えないのはなぜ?
はじめに:
まずはゆったりとした気分で、この絵をじっくりとご堪能いただきたい。
ヒゲの生えたお方は布袋さん(註1)である。にこやかなお顔を見ていると、こちらまで頬が緩んでしまう。
そのそばで両手を上げているのは、子どもだろう。お尻をフリフリさせて、なにやらとても楽しそう。顔には両目と開いたお口が簡単に描かれているだけなのだが、それがまたいい味を出している。
あまりにもユルすぎる描き方に思わず脱力してしまうが、この絵を描いたのは、仙崖《せんがい》さん。(註2)江戸時代臨済宗の高僧であるが、親しみを込めて「さん」付けで呼ばれている。
さて、禅僧が描いた絵を「禅画」という。禅画には、さまざまな禅の教えが込められている。では、この仙涯さんの絵は、私たちにどんな教えを伝えようとしているのだろうか。
見えない「月」:
布袋さんが指をさしている先にあるのは、空に浮かぶ月である。
「月なんて描かれてないじゃないか」と思われるかもしれないが、そもそもこの絵は『指月布袋画賛』と題されている。
また、この絵の賛(註3)には、
「を月様幾ツ、十三、七ツ」
という子守歌の一節が書かれており、ここでも月の存在が示されている。つまりこの絵は、「月を指さす布袋さんの絵」であり、それを見ている幼い子供が描かれていて、この中で「月」こそが、きわめて重要な意味合いを持っているのである。
なぜ月が描かれていないのか:
にもかかわらず、月が描かれていないのはなぜだろう。
ヒントは、布袋さんと子どもの会話を推測してみると見えてくる
「これ、坊や、あのお月さまを見てごらん」
「おつきさま、どこ?どこ?」
この時、子どもはどこを見ているのだろうか。描かれている子どもの目線に注目したい。
あまりにもユル過ぎて判別しにくいが、どうやら子供は「月をさしている布袋さんの指」を見ているように見える。「指を見ても月の姿は分からないよ」と言いたくもなるが、実は、この絵のキモはそこなのである。
私たちは誰しも、この子どものように「月」そのものを見ることをせず、「指」ばかりに眼が向いているのではないか。物事のあるがままの姿を、正しく見ていないのではないか。
この絵によって仙崖さんが伝えようとしているのは、そんなメッセージなのである。描かれた子供は私たち自身に他ならない。
指月のたとえ:
これは「指月のたとえ」(註4)とされる仏教の教えであり、月や指は暗喩として使われている。
禅において月に喩えるのは「自己本来の姿」である。「自己とは何か」を、自らの内に向かって究明するのが禅なのである。指として喩えられるのは「言葉」であり、仏教で言えば「経典」である。それはさしずめ「道しるべ」と言えよう。
道しるべはその先になにがあるかを示しているだけであり、ゴールではない。私たちは言葉を駆使することで真理を示そうと試みるが、それは真理そのものではない。
こうして考えると、やはり私たちは「言葉」に答えを求め、「言葉」に左右されて、物事の本質を見誤ることが多いのではないか。
指月のたとえは、掴むべき本質を見失っている私たちへの警告であり、仙涯さんの人間味溢れユーモラスな絵にも、痛烈な批判が込められているように感じられるのである。
月を見るには:
さて、ここまで読まれた方は、この禅画自体も「月」をさしている「指」でしかないことに、お気付きかもしれない。
そこに気付かせるために、仙崖さんは月を描かなかったのではないかと、筆者は考える。
この禅画を血眼になって見る私たちに、仙崖さんのお声が聞こえてきそうだ。
この絵も道しるべにすぎない。
その道しるべが指す方向に眼を向けてみなさい。
月は必ずそこに見えるはずだ
やさしく教えてくれるが、「月」を見るには、やはり達観した眼が必要だろう。
筆者もまだまだ修行中。この禅画コラムの連載を通じて、筆者自身も皆さまと一緒に、そんな「眼」を養っていきたい。
註1 布袋《ほてい》
中国唐末五代の僧侶。日用品を入れた大きな袋を持ち歩いていたことから、いつしか布袋と呼ばれるようになった実在の人物。身なりは半裸で風変わりであったが、人々の暮らしの中に分け入り仏法を説いた。日本では七福神の一人として知られる。
註2 仙崖《せんがい》
仙崖義梵《せんがいぎぼん》(1750~1837)
岐阜県美濃の農家に生まれ11歳で出家。諸国行脚の後、40歳で日本最初の禅寺である博多の聖福寺の住職として迎えられる。仙崖は生涯の内、禅画を二千点近く残している。
註3 賛《さん》
画中に書き入れた文言
註4 指月のたとえ
人の指を以て月を示すに、惑者は指を視て月を視ざるが如し(大智度論)
現代語訳:人が指で月をさし示しても、愚かな人は、月を見ずに指を見る。
引用
「指月布袋画讃」 公益財団法人 出光美術館『仙厓と禅の世界』(平成25年発行)48頁より