漢詩徒然草(51)「路上翅」

平兮 明鏡
2025/9/1

敗頽蟬翅見城中 敗頽す蝉翅 城中に見る
初識聲殫樹已空 初めて識る 声殫きて 樹已に空しきを
過日喧囂炎夏路 過日 喧囂 炎夏の路
欲收殘夢散秋風 残夢を収めんと欲せど 秋風に散ず

蟬翅 … 蝉のはね
敗頽 … やぶれてくずれる
城中 … 市中、街の中。「城」は街の意
喧囂 … やかまやしく騒ぐさま
殘夢 … 見残した夢、見果てぬ夢


漢詩徒然草(46)「春日降雪」では、差錯した季節の移り変わりを詠みましたが、今回は別段変わったことのない、いつもどおりの季節の節目を詠んだ詩です。とはいえ季節の節目は、それがどんなものであれ、特別な感傷を与えてくれるものです。

冬から春へ、そして夏から秋へ……春夏秋冬とはいいますが、実際には季節は徐々に移り変わっていきます。今日、夏が終わって、急に明日から秋になるわけではありません。ということは、もしかすると季節とは、人の意識が創り出しているものなのかもしれません。

ただ、季節の変わり目など実際にはないのかもしれませんが、そのサインは見つけることができます。連続性の中にある変化のサイン、それを見い出すことが季節を知るということなのではないでしょうか。

今回、見つけ出した、そのサインが「路上の翅《はね》」です。

全身で変化を感じることができたとき、自ずとそこには詩情が生まれます。過去を知ることで現在を知る――私たちが心で過去を認識する以上、過去と現在は本来、同時にあるものなのです。


敗頽蟬翅見城中 敗頽す蝉翅 城中に見る

街中を歩いているとき、路上に一片の蝉の翅が落ちているのを見つけました。ただでさえ、それは生物の残骸ということで強い印象を与えたのですが、その翅は敗《やぶ》れかけてひどく傷んでいて、ことさらに哀愁を誘いました。

初識聲殫樹已空 初めて識る 声殫きて 樹已に空しきを

そこで初めて、辺りの街路樹に蝉たちの声が消えていることに気が付きます。樹々は静まり返っていて、そこにはもう住人がいないことを物語っています。

過日喧囂炎夏路 過日 喧囂 炎夏の路

かつてこの路には、炎天下の中、喧喧囂囂と煩《わずら》わしいほどの声が響きわたっていました。しかし、その声はもうここにはありません。

秋には秋ならではの風物がありますが、その移り変わりの瞬間は、すでにない夏の風物を思い出して秋を知ることできるのでしょう。夏は過ぎ去り、秋がやって来たのです。

欲收殘夢散秋風 残夢を収めんと欲せど 秋風に散ず

過ぎ去って戻らない夏の日々。声も姿も尽きてしまったあとの一片の翅……そんな夏の残滓を愛おしく思い、それを拾おうとしますが、急に吹き込んで来た秋風に攫《さら》われてしまいます。それはまるで、過ぎ去った時は二度と戻らないのだと言っているかのようでした。


蝉の声には、どことなくノスタルジーを感じないでしょうか?

私の通っていた小学校は、私が卒業して間もなく廃校となってしまいました。その場所は、今では何もない空き地のようなところになっているのですが、そこを通り過ぎるたびに思い出すのは、在りし日の校舎の姿と学校生活の体験です。

授業中であれ、夏休みであれ、夏の日には校庭に響きわたる蝉の声。そんな蝉たちの声も、小学生時代の思い出の一つでした。

大人になると、野外の木々や草むらの虫たちのことなど気にしなくなります。気にするといったら、それを邪魔に感じているときぐらいでしょうか。それこそ、蝉の声など毎年聞いていて、ときには煩わしく思えるものです。だからこそ、子供時代の蝉の声の方をより鮮明に記憶しているのでしょう。

おそらく、蝉たちは昔も今も変わらない毎日を送っているだけなのでしょうが、人は大人になると、日常に追われる中で過去がどんどん遠のいていってしまいます。しかし、その一片の翅は、ふとそんな子供時代のことを思い出させてくれました。

子供たちが授業を受けていた校舎も、蝉たちが鳴いていた木々も、今ではなくなってしまいましたが、それはきっと今でも私の心の中に残っていたのでしょう。それは単にノスタルジーというわけではなく、手放したくない思いそのものだったのだと思います。


過ぎ去って戻らない過去は、誰にとっても失われてゆくことが避けられない、その最たるものです。だからこそ、人はそれを思い出したとき、思いを馳せ、また忘れまいともするのでしょう。

そんな夏の日々を思い出させてくれた「路上の翅」。

過去が戻るはずもないのですが、それが大切なものであるなら、今もともにあり続けることができる、そう信じたいのです。

季節の移り変わりは、いつだって現在進行形です。淡々と続いていく日常の中で、そのサインを見逃さないのは簡単ではありません。夏の思い出であれ何であれ、それがかけがえのない思い出ならば、しっかりと今、繋ぎ止めるのがよいでしょう。その思い出が、秋風に攫われてしまう前に。


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敗頽蟬翅見城中 敗頽す蝉翅 城中に見る
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初識聲殫樹已空 初めて識る 声殫きて 樹已に空しきを
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過日喧囂炎夏路 過日 喧囂 炎夏の路
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欲收殘夢散秋風 残夢を収めんと欲せど 秋風に散ず

平起式、「中」「空」「風」上平声・一東の押韻です。

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