漢詩徒然草(46)「春日降雪」

平兮 明鏡
2025/4/1

三月櫻花爛漫然 三月の桜花 爛漫として然ゆれど
陽春差錯盛冬遷 陽春 差錯して 盛冬を遷す
碎銀飄蕩紅飄蕩 砕銀 飄蕩 紅 飄蕩
活火堅氷收一天 活火 堅氷 一天に収む

三月 … 旧暦三月、晩春
爛漫 … 咲き乱れるさま
然 … 燃える。花が咲く
陽春 … 暖かな春の日
差錯 … 間違える
碎銀 … 細かく砕いた銀。ここでは雪の形容
飄蕩 … ゆらゆらと漂うさま


令和7年の春のお彼岸(3月17~23日)は、全国的に大変冷え込み、九州でも吹雪いた地域もあったほどでした。しかし、春分の日を過ぎたころには、急に暖かくなり、お彼岸の終わりには、一斉に桜が開花し始めました。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もありますが、今年は、少し極端だったような気がします。

しかし、一方で「花冷え」という言葉もあります。花冷えとは、一旦暖かくなって桜が咲いたころに寒気が流れ込み、また急激に気温が下がる現象で、手紙の締めの言葉などにも用いられます。「暑さ寒さも彼岸まで」と言っておきながらも、何事も一通りというわけにはいかないということでしょう。春先には「三寒四温」という言葉もあります(もともとは冬の時期に用いる言葉)。

令和7年は、4月1日の現在、まさに花冷えという気候ですが、平成最後の月、2019年の4月は、大変珍しいことが起きました。それは、桜が満開となったころの花冷えにより、なんと雪が降ったのです。その雪化粧を施した桜の姿は、当時のニュースにもなりました。

今回の詩は、そのときに作ったものです。花盛りの桜と天を舞う雪との夢のコラボレーションには、詩人であれば詩を作らないわけにはいかないでしょう。

四季にはそれぞれ、見どころとなる情景がありますが、こんなイベントが起きる歳はめったにありません。「春日降雪」――春の日に降りしきる雪の情景です。


三月櫻花爛漫然 三月の桜花 爛漫として然ゆれど

春も半ばが過ぎましたが、春は何と言ってもここからが本番です。なぜなら、いよいよ桜の花が咲き乱れ、そこかしこに燃えるような姿を私たちの前に見せてくれるからです。

陽春差錯盛冬遷 陽春 差錯して 盛冬を遷す

しかし、今年の天候は何を勘違いしたのでしょうか? 暖かな春を、寒い盛りの冬に移し替えてしまいました。花冷えどころではありません。街は身を刺すような寒気に覆われます。

碎銀飄蕩紅飄蕩 砕銀 飄蕩 紅 飄蕩

ここに、一つの奇跡が生まれました。春の空に揺蕩《たゆた》う「銀」と「紅」。ゆらゆらと漂い、また、一面に融け出すかのように、雪の色と桜の色が合わさります。

桜の花ほど、私たちの心を惹きつける春の景色はないでしょう。
銀世界ほど、私たちの心を惹きつける冬の景色はないでしょう。
その春の美しさの極致と冬の美しさの極致が、今、目の前に同時に存在しているのです。

活火堅氷收一天 活火 堅氷 一天に収む

それは喩えるなら、まるで活きた火と堅き氷が、一つの空間にすっぽりと収まったかのようです。本来、合わさるはずのない、燃えるような紅色と凍てつくような銀色のパノラマ。その日は、そんな夢想の空が広がっていました。


一つのところに相《あい》反するものを内包することはあるかもしれませんが、それらが同時に表面に表れ出ることはまずありません。「春」と「冬」、「暖かさ」と「寒さ」は、一年の中に含まれますが、同時には存在出来ません。「火」と「氷」も同様です。

しかし「桜」と「雪」という、それぞれを象徴するものが介在することにより、ここでは、相反するもの二つの融合がなされたのです。

暖かさと寒さが交互に移りゆく「花冷え」でも「三寒四温」でもない。まさに、それらが同時に存在することは、稀覯《きこう》の中の稀覯と言えるでしょう。

四季の移り変わりの中でも、こんな情景が見られるのは、この花冷えの時期だけではないでしょうか? それは暖かさと寒さを象徴する「花」と「雪」という対極にあるものが、同時に存在できるかもしれない稀有な時期だからです。

その希少性と異常性は、詩情を湧き立たせるのに十分でした。出会うはずのないものが出会うとき、それは詩を詠む絶好の機会でもあります。めったに生じることのない詩情が、そこにはあることでしょう。

それでは、花冷えの候、風邪など召されませぬようご自愛下さい。


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三月櫻花爛漫然 三月の桜花 爛漫として然ゆれど
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陽春差錯盛冬遷 陽春 差錯して 盛冬を遷す
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碎銀飄蕩紅飄蕩 砕銀 飄蕩 紅 飄蕩
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活火堅氷收一天 活火 堅氷 一天に収む

仄起式、「然」「遷」「天」下平声・一先の押韻です。



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