「ハーリングの鏡」に禅を見る

和尚さんだってゲームをする。
私の好きなゲームは「グランツーリスモ(*1)」と「エースコンバット(*2)」。どちらも90年代後半に初代が出て、現在までシリーズが続いている。ちなみに私はどちらも初代からやっている。
コンスタントに間を置いて発売されるグランツーリスモに対し、『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン(以下AC7)』は、実に11年ぶりの待ちに待ったナンバリングタイトル(*3)である。
年齢の衰えのせいか、長い時間プレイするのは辛くなってきているけれど、やり込まないと気が済まない性格のせいで、家内の冷たい視線をよそに結局トロフィーコンプリート(*4)を目指している。
『グランツーリスモSPORTS』は運の要素も大きく、いまだにトロコンできていないが、AC7は発売から約3週間でトロコンできた。腕前は中の上といったところだろう。

AC7は「空の革新」の名のもと、気象表現など新規の導入が多く、そのことで評価が分かれている。
私は全面的に肯定だ。美しい画面、厳しい気象条件、やり応えがある。
特に気に入っているのが、シナリオである。「神作」といわれるAC04や5でシナリオを担当した、片渕須直氏の再参加がなった。片渕氏だけあって、主人公トリガー(プレーヤー)を取り巻くキャラクターは、どれも魅力的で、描写や設定も奥深い。
中でも、ストーリーのキーパーソン、コゼット王女が発する「ハーリングの鏡」という言葉がエモーショナルである。
ハ―リングは、ゲーム中の架空世界にあるオーシア連邦の元大統領。
物語序盤で自らが提唱し作った軌道エレベーターをめぐって戦闘が起こり、そこから退避している最中に、謎の反転でエレベーターに戻ろうとしたところを、乗機を撃墜され死亡する。主人公トリガーはその撃墜の濡れ衣をべったり着せられて懲罰部隊に配属され、物語は進む。
ハーリングの謎の反転。それはエレベーターを破壊しようとしたのか、それとも守るために盾になろうとしたのか。解釈する人の心が、そこに鏡のように映される。それが「ハーリングの鏡」である。
見る側の心次第で、見方が変わる、世界も変わる。
これは真理である。
だから禅では「人の根本は心だ」(註1)と説くのである。
昔、中国の雲門《うんもん》という和尚に僧が問うた。「仏とは何でしょうか」。
雲門は答えて「トイレにある植え込みだ」。(註2)
ロバートの秋山が『便所のタンクの上に咲く専門の花』という自作の歌を歌っていたのをテレビで見て家内と爆笑したが、トイレにある植え込みとは、今でいう便所専門の造花のような意味合いの、トイレを見えなくするための植え込みである。
トイレは不浄なもの。その場所にある植え込みも、まあ不浄とみるのが普通だろう。その植え込みに花が咲いていたとしても、花瓶に挿したいとは誰も思わないはずだ。
雲門の答えは、逆に僧への問いである。「君にはあの植え込みが仏に見えるかな」。
どう見えているかが心を反映しているのならば、不浄な物に仏を見いだすことは、その人の心が仏であることを反映している。
その逆もまたしかりである。
「人の根本は心」という禅の思想を、ハーリングの鏡に見た。
註1:『頓悟要門』大珠慧海 撰述
註2:『碧巌録』第39則「雲門花薬欄」
(*1)グランツーリスモ:ドライビング&カーライフシミュレーター。
高精度な物理的計算に基づいて、実在の自動車の挙動を再現している。
Wikipedia
公式:グランツーリスモ・ドットコム
(*2)エースコンバット:航空機を操縦して自由な空間移動が可能なシューティングゲーム。
「ストレンジリアル」と呼ばれる、架空の世界を舞台にしている。
Wikipedia
公式:エースコンバット7 スカイズ・アンノウン
(*3)ナンバリングタイトル:タイトルにナンバーが付与された、シリーズ作品の正統な続編。
(*4)トロフィーコンプリート(トロコン):「トロフィー」とは、ソニー製ゲームに実装された
「やりこみ要素」。条件を満たすことで様々なトロフィーが授与されるシステム。
トロフィーを100%収集(コンプリート)することを「トロコン」と呼ぶ。