第1の探検「東福寺の大伽藍」

皆様、建築の森にようこそ。

これから皆様を、深い深い建築の森の奥部にご案内いたしましょう。
わたくし「禅寺建築探検隊」案内係の佐々木でございます。

何しろ、暗闇の森の中を分け入って行くわけですから、何が起こるか、何が現れるか、私自身全く予想もつかない状況ではありますが、この探検を無事終える頃には、建築の森全体を見渡すことのできる眼力を、皆さんとご一緒に手に入れることができれば、と願っている次第です。

それではさっそく、第一の探検へと足を踏み出すことにいたしましょう。


今回のテーマ:東福寺建築に見られる中国宋代浙江省の影響

第1の探検の森は東福寺の大伽藍です。禅宗の様式を持つ伽藍として、最古で最大の威容を誇っています。しかし、創建以来、幾度となく焼失と再建が繰り返されており、その結果として現在の姿に至っているわけです。

伽藍の中で、現存する最古の建築物は、三門、禅堂、東司、浴室ですが、これらは鎌倉時代末期の大火で全てが焼失したのち、室町前期14世紀に復興された建築物なのです。これらの建物の中でも非常に興味深いものに、禅堂と東司が挙げられます。

この二つの建物は、禅宗様の建築ではありながら、同じ時代に建てられた、他の禅宗の寺院建築、例えば円覚寺舎利殿(15世紀前半)とは大きく異なる箇所が見受けられます。円覚寺舎利殿と東福寺禅堂とを比べてみると、その違いがはっきりと見えてきます。
 

写真1:円覚寺舎利殿
写真2:東福寺禅堂

それぞれの写真を並べてみましたので、画像の四角の部分に注目して違いを探してみてください。お気づきになられたでしょうか。

まず円覚寺舎利殿の枠内にある柱に注目してください。

柱の両脇には頭貫《かしらぬき》と呼ばれる部材が通っています。これは柱同士をつなぎ、ぶれないように固めるための大切な部材です。この部材がなければ、しっかりとした建物を建てることができません。

よく見ると頭貫の上にはさらに部材が載っています。これは台輪《だいわ》といい、その上に載る様々な部材からかかる重さを分散するために載せてあるものです。

このような組方は、現存する最古の禅宗様寺院建築、功山寺《こうざんじ》(元応2年・1320年建立、山口県下関市)でも全く同じです。さらに言えば、台輪は、禅宗様と呼ばれる建築物には必ず用いられている部材でもあります。

ところが東福寺禅堂を見て下さい。頭貫はありますが、その上に台輪は見当たりません。東司も同じ構造をしています。そしてこの構造は、中国の江南地方の寺院建築で使われたものと良く似ているのです。
 

写真3:霊隠寺双石塔

例として浙江省の杭州にある霊隠寺双石塔(五代末期~北宋初期、浙江省)<写真3>を取り上げてみましょう。

この石塔は、木造建築をモデルにして、それを石に彫ったものです。ですからその当時の木造建築の構造を知ることができます。保存状態も良く、一つ一つの部材を見分けることができますが、よく見ると、頭貫の上に台輪はありません。組物が頭貫の上に直接置かれていることがわかります。

この形式の建築物は南宋の地に多く見られ、元の時代になっても伝統的に台輪は用いられませんでした。

さて、中国南宋の建築様式が、なぜ室町時代の東福寺で用いられたのでしょう。不思議ですが、そこには東福寺の開山である円爾が大きく影響していることが考えられます。円爾は明州(浙江省)で学び、霊隠寺にも通っていました。

さらに径山興聖万寿禅寺に上山し、そこで焼失後間もない伽藍復興の手伝いをしていました。帰国後も径山禅寺との繋がりは続き、円爾の弟子たちは次々に入宋し学問や文化を取り入れていたのです。

鎌倉時代末期に全焼してしまった東福寺最初の大伽藍は、おそらく円爾にはなじみのあった、南宋江南地域の様式を模した建物だったのではないでしょうか。14世紀に再建された際も、以前の建築様式を引き継いだ形で建築されたものと考えられます。


今回、わずか二つの部材に注目しただけですが、少し建築の森に一歩踏み込んだ気分になって頂けましたでしょうか。
次回も引き続き東福寺にある変わった部材で、森の中を探検してみたいと思います。

page up