坐禅のすわり方2 – 実践編

亀山 博一
2021/4/8

坐禅の準備はできましたか?それでは、実際に坐ってみましょう
ここでは少し詳しく、坐禅の実践についてご説明します。


動画「坐禅のすわり方」

YouTubeのZENzine公式チャンネルで公開中。ぜひ動画もご覧下さい。

 

【まずは姿勢を調えます】

座布団にすわる〜お尻と両膝の3点で体重を支えます

 
まず、坐る場所に座布団を敷きます。
次に、その座布団の上に、二つ折りにしたもう1枚の座布団(または固めのクッション)を置きます。
そして、その上に浅く腰掛けるように、お尻を乗せます。
 
お尻を高くするのは、「お尻と両膝との3点」でしっかり重心を安定させるためです。お尻に何も敷かないと、どちらかの膝が浮いてしまい、重心が不安定になります。片方の膝が浮いてませんか?過重がかたよらないように、姿勢や足の組み方を調整してください。
 

・足の組み方:入門編「半跏趺坐」

 
足を組むのは、慣れないうちは本当に痛いですね。しかし、坐禅は痛みを我慢する苦行ではありません。実は、これが最も安定して、なおかつ長時間坐るのに最適な姿勢だから。合理的な理由があるのです。
 

 
まず、左右どちらかの足を、反対側の太ももの上にのせます。のせた足の裏は上を向きます。
かかとがお腹にくっつくよう、足を身体に引き付けます。
下になっている足も、できるだけお尻の方に引き寄せます。
 
これを半跏趺坐《はんかふざ》といいます。身体が固い方は強い痛みを感じることがありますので、無理はしないで下さい。関節やスジを痛めないよう十分に注意しながら、徐々に慣らして下さい。どうしても痛い人は、自分に合った姿勢を色々と試してみると良いでしょう。あぐらでもオッケーですよ。
 

・足の組み方:上級編「結跏趺坐」

 

 
身体が柔らかい人は、本格的な足の組み方にチャレンジ!
 
左右どちらかの足を、反対側の太ももの上にのせます。かかとがお腹にくっつくよう、足を引き付けます。
次に、もう一方の足を、身体の前面で交差させるようにして、反対側の足の太ももの上にのせます。
かかとがお腹にくっつくよう、両方の足を身体に引き付けます。のせた両足の裏は上を向きます。
 
これを結跏趺坐《けっかふざ》といいます。身体が硬い方は股関節や足首を痛めるかもしれませんので、無理にはおすすめしません。半跏趺坐に慣れて痛みがなくなったら、試してみてください。
 

・腰を立て、上半身の力を抜く

 
骨盤を前に倒し、お尻を後ろに突き出す感じで、しっかり腰を立てましょう。「立腰《りつよう》=腰を立てる」ということが大事です。椅子で坐禅する場合にも、腰を立てることを忘れずに!
 

 
姿勢で重要なのは、足の組み方ではなく「腰を立てること」なのです。「腰抜け」という言葉がありますが、腰が後ろに曲がっていたら、それが腰抜けの状態。これでは全身グニャグニャで呼吸も浅くなり、坐禅になりません。
 

・背筋を伸ばす(けど無理に伸ばさない)

 
しっかり腰を立てたら、「土台」の工事は完成。
次にあごを引き、首・肩・腕などの全身の力を抜いたままで、頭のてっぺんを上方へ。
無理に伸ばさず、ゆったり大らかに、伸びやかな気持ちで。
小さく縮こまるのではなく、肩を後方に開いて胸を開きます。こうすることで呼吸が楽になります。
  

【次に、手を組みます】

手の組み方:入門編「叉手(結手・金剛印)」

 

 
左手の親指を、右手でそっと握ります。力を入れないように注意して下さい。
次に、左手の他の指で右手の握りこぶしをやさしく包み込みます。
腕の力を抜いて手を足の上に乗せ、お腹にくっつけます。

この組み方は叉手《しゃしゅ》、結手《けっしゅ》」または金剛印《こんごういん》などと呼ばれます。最初はこちらがオススメです。指を強く握り締めると、腕や肩にも力が入り、肩が凝る場合があります。手や腕の力を抜いて下さい。
 

手の組み方:上級編「法界定印」

 

 
右の手のひらの上に左の手のひらを置き、それぞれの親指の先を軽く触れ合わせます。
この時、「両手の親指をつないだラインがが水平」になる様にしてください。
前から見た時に、手の中の空間が逆さまの「まんじゅう」の様に見えます。
 
これを法界定印《ほっかいじょういん》といいます。眠くなったり集中が途切れたりすると、気付かないうちに親指の先が離れたり、手の形がグニャッと崩れたりします。逆に、「指先が気になって坐禅に集中できない」という方も。難しいと思ったら、叉手を試して下さい。
 

【目・耳・身体】

 
坐禅のあいだ、外部から感覚器官を通して流れ込んでくる様々なインプットと、どう向き合うか。
答えは「相手にしない」です。

 

目は閉じないで「半眼」に

 

 
目は閉じないで、開けたまま。前方の床の上に視線を自然に落とします。これの状態を「半眼《はんがん》」といいます。
 
視線をキョロキョロさせない。視覚の対象を目で追わない。見ているようで、何も見ていないような感覚。目は開けているけど、外の世界に「ピントを合わせない」とでも言いましょうか。
 
目を閉じて坐禅すると、自分の心の中に閉じこもってしまいがちです。閉塞感や孤独感などの不安を感じる人もいます。目を開けていれば、心は坐禅に集中しながら、まわりの世界の光や音を感じることができます。
 

音が聞こえても気にしない

静かな場所で坐っていても、もしかしたら、あなたの耳には車の騒音、話し声、雨や風の音、動物の鳴き声などが聞こえてくるかもしれません。でも、「うるさいなあ!」「集中できない!」などと思わないようにしましょう。そうすると、よけいに音ばかり気になってしまいます。

では、どうしたらいいのでしょうか?聞こえてくる音は相手にせず、そのまま受け容れて、スルー(やり過ごす)してください。呼吸に集中しているうちに、いつのまにか気にならなくなりますよ。
 

かゆくても放っておく

 
長時間じっと坐っていると、お尻がムズムズしたり、頭がかゆくなったり、蚊に刺されたりするかもしれません。そんな時、ちょっと待った!すぐに反応せず受け容れてしまいましょう。つまりこれも、受け容れて、スルー

特に蚊の攻撃は、結構キツいです。夏場に縁側や窓を開けた部屋で坐禅する時は、虫除けスプレーも必須ですね。
 

【呼吸が重要です】

坐禅で最も肝心なのは「呼吸」です。「呼吸」と「心」とは、お互いに深く関係しています。例えば、興奮したり感情的になると頭に血がのぼり、呼吸が浅くなりがちです。また、浅い呼吸をしている間は心が落ち着かず、感情が鎮まることはありません。
 

坐禅ではいわゆる「腹式呼吸」を行います。口は閉じて、鼻の穴で呼吸します。

最初に、身体の中の空気を全て吐き出すように、ゆっくり大きく息を吐きます。スポンジの水を絞るようにすっかり吐ききったら、あとは自然に息を吸い込みます。そう、スポンジがシュッと水を吸い込む感じです。それを繰り返しながら、呼吸に意識を集中してゆきます。

この時、吸った空気が身体の下方の奥深く、へその少し下にあるとされる「丹田」という場所まで染みわたって、吸い込むたびに丹田に気迫が充実するようなイメージで。

ためしに、お腹に手を当ててみましょう。そのように呼吸すると、実際に、吸ったときに臍の下がグッと膨らみ、吐いたときにはスーッとへこむのが感じられるはずです。

あたま(脳)ではなく丹田に気力を集中することで、心と身体が自然にリラックスできるようになります。坐禅以外でも、ソワソワして落ち着かない時、感情が昂ぶっている時などに丹田腹式呼吸をためしてみてはいかがでしょうか。

丹田:臍下丹田(せいかたんでん)。古くから東洋では全身の精気が集まるところとされています。
 

【心をコントロールしない】

大事なのは、心をコントロールしようとしないこと。「雑念を捨てなければ」とか「無心にならなければ」なんて、窮屈なことを考えないでください。実はそのような「はからい」こそが「雑念」に他なりません。
 

呼吸に集中

 
吐いたり、吸ったり。ゆっくり身体を出入りする呼吸に、心を集中します。
 

雑念は、受け容れて、スルー

じっと坐禅をしていると、頭の中にいろんな思いが浮かんで来ます。友達と喧嘩したこととか、上司に叱られたこと、今夜の夕ご飯のこと、明日の心配事。自分でも驚くほど、雑念で頭が一杯になるでしょう。でも、それが普通ですから、ご心配なく。

そんな時に、「こんなんじゃダメダメ!無心で坐らなくちゃ!」と、焦る必要はありません。そんなことを思っていたら、ますます無心から遠ざかるばかりです。拒絶するのではなく、そのままスルーしましょう。
 

自分自身を「スルー」する

前の項でもご説明した聴覚や触覚と同じです。心の中に浮かんで来るさまざまな思いも、受け容れて、スルー。ボールが飛んできても、キャッチしない。『あしたのジョー』のノーガード戦法(古いですか?)みたいに、打たれっぱなしでいいのです。大事なのは、反応しないこと。自分自身の思いに乱されない「じぶんスルー力」を養いましょう。
 

大事なのは「自分の心をコントロールしない」こと

自分の心というものは、自分の思い通りにはならないものです。「心を安定させよう」「心を落ち着けよう」「心を静めよう」などと、自分の心を自分に都合の良い状態に変化させようとすること自体が、さらに別の苦しみを生むのです。坐禅で心を「調える」ということは、そのような自分の都合とは無関係の、本来の姿に戻ること。
 
自分の心はコントロールできません。しかし、「姿勢」と「呼吸」は、努力すればある程度は調えることが可能です。
コントロールを手放し、リラックスして姿勢と呼吸を調えることで、いつの間にか「我」を忘れて、心身ともに自然な状態に立ち返ることができます。

【さいごに】

最後に、皆様におたずねしたいことがあります。
あなたが「坐禅をしてみたい」と思った理由は何ですか?

足の痛みを我慢してじっと動かないことで、忍耐力を養うためでしょうか。
集中力を高めて、勉強やビジネスの能力を向上させるため?
心を落ち着けることにより、ストレス解消と健康増進に役立てたい?
それとも神秘的なスピリチュアル体験を求めて、心の世界を探求?

実は、坐禅をしても何の効果もありません。

「オススメしておきながら何を言うのだ!」と怒られそうですが、
そもそも坐禅とは、効果を期待して行うものではありません。
坐禅とは何かを「得る」のではなく、「手放す(忘れる)」ためのものなのです。

過ぎてしまったことは、気にしなくていい。先のことも、心配しなくていい。
過去も未来も、目的も理由も心配事も、いったん、ぜんぶ、手放してみる。

身体の中に出たり入ったりしている呼吸の音と、リズムと、ひとつになってみましょう。
私たちは、今、この瞬間だけに生きている。それを全身で味わってみる。

それが、「こころのひとやすみ」。
坐禅の醍醐味なのです。
 

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