馬祖道一 – 禅の名僧(4)

山田 真隆
2021/6/8

馬祖道一(ばそどういつ/709~788)

現在でも使われる「平常心《へいじょうしん・びょうじょうしん》」という言葉。この「平常心」を最初に説いたのが、馬祖道一禅師(以下、馬祖)です。馬祖という号は、もと馬という名字だったことから名付けられました。

容貌に大きな特徴があり、牛のように歩いて虎のような目付き、舌を伸ばすと鼻を越える長さがあったといいます。すぐれた説法者のことを譬えて「広長舌」といいますが、そのことを匂わせる表現なのかもしれません。

馬祖は四川省の生まれ、出家し諸方を訪ね歩くうちに南嶽禅師の存在を知り、湖南省にある衡山を訪ね南嶽禅師の元で修行に励みました。その時のエピソードは南嶽禅師のところで述べた通りです。

後に、江西省南昌の開元寺(現・佑民寺)に移り、そこで大いに活躍し、南泉普願《なんせんふがん》、百丈懐海《ひゃくじょうえかい・はじょうえかい》、西堂智蔵《せいどうちぞう》、大梅法常《だいばいほうじょう》等の多くの高弟を育てました。

その禅風は、冒頭に紹介した「平常心」や「即心即仏《そくしんそくぶつ》」の語に見られるように、徹底的に日常生活を肯定し、何物にもとらわれなければ、それがそのまま悟りだ、と示したことにあります。


江西で活動を始めた頃、こんな話があります。

師の南嶽禅師が馬祖について問います。
「馬祖は大衆(民衆)のために説法しているのか」
「はい」
「そんなことは聞いたことがない」
南嶽禅師は一人の僧を派遣して調べてくるように言います。そして馬祖が何と言って説法しているかを尋ねてくるように言いつけます。

その僧は馬祖に尋ねました。
馬祖は「いい加減に始めてもう三十年。塩と味噌には不自由していない」と答えます。
僧はそれを南嶽禅師に伝えると、深くうなずいたといいます。

塩と味噌には不自由していない、普通の生活をしていますという意味でしょう。
ここからも、「平常心」と説いた、人間としての日常生活の深い肯定が見て取れます。


また、幾多の説法が為され馬祖の活動の中心となった開元寺(佑民寺)は江西省の省都・南昌市の街中にあり、誰でも参拝することが出来ます。

晩年、馬祖は南昌郊外の石門山に移り、そこで入寂しました。
時の憲宗皇帝には「大寂禅師」と謚号されました。

晩年を過ごした寺院は、後に宝峰寺と名を改め現在も健在で、特に舎利塔の「大寂禅師塔」に安置されている馬祖の本物のお骨が、文化大革命の際、破壊され散逸されそうになるのを、村の長が銀行の貸金庫に保管して難を逃れたというエピソードも伝わっています。

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