百丈懐海 – 禅の名僧(5)
百丈懐海(ひゃくじょう〈はじょう〉えかい/749~814)
仏教教団というのは、釈尊在世の頃より、集団生活をしていました。そのために不可欠なものは、規範(律)です。
中国に伝わった仏教も例にもれません。しかし、それは伝わった当初からではなく、最初は禅僧も各地に点在して他宗の寺院に間借りをしていました。それが次第に集まって修行生活をするようになっていきました。そうなると、インドとは異なる規範が必要になります。中国では気候も文化もインドとは違うからです。つまり、中国における集団生活の新たな規範を定めることは、中国仏教の、インド仏教からの独り立ちを意味するものではないでしょうか。
そんな時代の代表的な禅僧がこの百丈懐海(以下、百丈)という人です。
禅僧が集団で修行するための規範は「清浄なる規範・清規《しんぎ》」といいます。百丈が定めたものは特に『百丈古清規』といい、なんといってもこの百丈の特筆すべき点です。
百丈は福建省の生まれ、出家・受戒後、前掲の馬祖道一に6年間参じます。百丈の修行時代、師の馬祖から心の在り方をどう試されたのか、見てみましょう。
百丈が馬祖とともに田圃路を歩いていたある時、一羽の鴨が飛び去りました。
馬祖が「あれは何だ?」と聞くと、百丈は「野鴨です」と答えます。
馬祖がさらに「何処へ行った?」と聞くと、百丈は今度は「飛び去っていきました」と答えました。
すると、馬祖は百丈の鼻を力一杯ねじりあげました。
痛さのあまり百丈は「いたたっ!」と声を上げます。
「飛び去ったと言ったが、まだここにいるじゃないか」と馬祖が言ったその時、百丈は大悟したといいます。
この問答の要点は「心はとどまることがない」ということです。
だから「あれは何だ?」と最初に聞かれた時の答えは「野鴨です」と答えることではないのです。
心がどこにもとどまらないなら、自分を越えて、心は野鴨にも住まわせることができます。鴨は飛んでいくということは、自分が飛んでいくということ。とどまらないという心の本質は、とどまらないゆえにどんなものにもとどまることができる、ということになります。そういった心のはたらきを、百丈はここで学んだのです。
馬祖が百丈の鼻をねじりあげたのも、意識の無い人を体をたたいて眼を覚まさせるようなもので、まさにこの瞬間、百丈が禅者として眼を覚ましたといえます。
大悟した百丈は、江西の奉新という所にある百丈山に住します。百丈山はそんなに高い山ではないですが、10キロほど曲がりくねった道を行くため、麓から山頂のお寺までは、車でも2時間ほどかかる交通の便が悪いところです。おまけに土地がやせていて、野菜などの生り物が育ちにくいという土地です。そんなところでの修行ですから、自ずと作務(修行としての労働)を重んじるようになったのでしょう。『百丈古清規』でも作務の重要さが示されています。
百丈の言葉で「一日作さざれば一日食らわず」とあります。
晩年の百丈は病身になっても作務は欠かさないことを心配した弟子たちが、作務を休んでもらうため、百丈の作務の道具を隠してしまったところ、今度は食事をとらなくなった。それを不審に思った弟子に百丈が放った言葉として有名です。
百丈にとって、作務はもはや呼吸のように絶え間なく行うものだということでしょう。
食事も同じ。作務も食事も等しく平常の修行であれば、それが出来ないことは異常です。
禅の修行はあくまでも「一日作して一日食らう」のような平常を旨とするもの、異常を行うものではないので、こういった百丈の行動となるのでしょう。日常生活を徹底的に肯定した馬祖から学んだ百丈ならではのエピソードです。
あるいは、物生りが悪い百丈山だから、一日作務を怠ると一日分食べるものが無くなるという、現実的な話意も含まれているとも言われます。ともかくこの話は、私たち人間が何かの為に生きているのではなく、生きているそのこと自体が大事だということを教えてくれるものです。
そのことを百丈は別の言葉でも言いました。「独坐大雄峰」と。
「私が今ここに生きて坐っていることが一番有難い」という意味ですが、そんな心境でいれば、どこに居ても「独坐大雄峰」となります。そうなってみたいものです。
百丈は、大智、覚照、弘宗妙行禅師などと諡号されました。