漢詩徒然草(17)「狂花」

平兮 明鏡
2022/9/1

搖落庭牆一蝶來 揺落す庭牆 一蝶来る
欲搜甘露只空廻 甘露を捜らんと欲して 只空しく廻る
秋風八月誰招此 秋風 八月 誰か此を招かん
已有鵑花一點開 已に鵑花の一点開く有り

搖落 … 草木の葉が風に散ること
庭牆 … 庭の垣根
甘露 … ここでは花の蜜のこと
鵑花 … ツツジの花


「狂花」とは、狂い咲き、つまり季節はずれに咲く花のことです。季節はずれということは、自分以外には咲いている花はありません。そんな生き方に思うところがあって、この詩を作りました。

搖落庭牆一蝶來 揺落す庭牆 一蝶来る

木の葉が舞い落ちる庭の垣根に一匹の蝶が迷い込んで来ました。しかし、季節はすでに初秋。私たちにとっては涼しくなってきて過ごしやすい時期ですが、蝶にとってはどうでしょうか?

欲搜甘露只空廻 甘露を捜らんと欲して 只空しく廻る

花の蜜を探そうと、庭のあちこちを力なく飛び回りますが、当然、蜜は見つかりません。蝶にとって秋はすでに越冬に備える時期で、成虫が生き残ることはまずないのです。

秋風八月誰招此 秋風 八月 誰か此を招かん

ここでいう八月とは、陰暦の八月のことで、新暦でいうと九月ごろに当たります。そんな初秋の涼風が吹く中、一体誰が蝶を招くことができるのでしょうか?

已有鵑花一點開 已に鵑花の一点開く有り

よく見ると、すでにそこには一点のツツジの花が開いていたのでした。


蝶と狂花の物語はこれで終わりですが、半分実話のこのお話に何を思ったかというと、それは「イレギュラー(不規則、変則)を救えるのはイレギュラーだけ」ということです。

季節はずれの蝶はイレギュラーです。仲間の蝶はもういませんし、花もすでに散ってしまっています。本来ならば、あとは土に還るのみです。しかし、ここにはもう一つのイレギュラーがありました。それが「狂花」です。

ツツジの狂花も秋風の吹く庭の中でただ一点、その紅《くれない》を留めています。もちろん、この花が何を思うかは知る由もないのですが、私はそこに「救い」を感じ取ったのです。

過ぎ去った夏の花々では、もはやこの蝶を救えません。季節はずれの一匹の蝶を救うことができるのは、やはり季節はずれの一点の花だけなのです。ということは、イレギュラーを救うには、自分もイレギュラーにならなければならないということではないでしょうか。

イレギュラーになるということは、言い換えれば、今の自分の立場や環境を捨てて、相手のところに飛び込んでいくということです。それは「狂花」というように、一見「狂」を含んでいるようにも見えるかもしれません。少なからず失うものもあるのでしょう。この一点の花も、すでに自身の花の時期を失しているのです。


2021年、イギリスで意図的に新型コロナウイルスに感染させるヒト臨床試験が行われました。これは、健康な被験者を安全な場所に隔離した上で、人為的にウイルスに感染させ、ワクチンや治療薬の開発をするというものです。

当然リスクが伴いますが、医師が24時間体制で被験者をチェックし、感染段階から経過を観察することで、短期間で罹患のメカニズムを解明し、効果的な治療法を確立する狙いがあります。

被験者の資格は健康な18~30歳の男女だったのですが、その参加者の一人、19歳の青年は、インタビューに「最初はもちろん怖かった。でも、少しでもコロナとの闘いの役に立ちたいと思って決めた」と答えていました。

「救いの道」というものがあるとするならば、それは、このような場所に自ら飛び込んで切り開いていくものなのかもしれません。そこに道がないからこそ、道を切り開くのです。

自分以外には咲いている花がないから、それは「狂花」と呼ばれます。しかし、だからこそ「狂花」にしかできないことがあるのです。そして、その切り開いた道が、いずれは他の救いとなるような大きな道となってゆくのかもしれません。そのとき「狂花」はすでに「狂花」ではなく、何よりも尊い花となっていることでしょう。


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搖落庭牆一蝶來 揺落す庭牆 一蝶来る
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欲搜甘露只空廻 甘露を捜らんと欲して 只空しく廻る
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秋風八月誰招此 秋風 八月 誰か此を招かん
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已有鵑花一點開 已に鵑花の一点開く有り

仄起式、「來」「廻」「開」上平声十灰の押韻です。

「一蝶」と「一點」の「一」は、同字重出で本来は許されません。「一蝶」を「孤蝶」に変えて同字重出を避けることは可能ですが、ここは「一蝶来る」に対する「一点開く」という、まさにこの詩のテーマを強調する箇所ですので、あえて禁則を破っています。

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