「ゲーム」=悪いもの?

蘆田 太玄
2025/9/15

 

詩人の谷川俊太郎さんによって著された『星空の谷川俊太郎質問箱』という本をご存じでしょうか?

この本は、WEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(現在は「ほぼ日」)の「谷川俊太郎質問箱」(2008年3月~2010年5月)に掲載された質問と回答を中心として編集、出版された著作です。質問の内容も、質問者の年齢も、質問者の抱えるバックグラウンドも様々である中で、その質問の一つ一つに谷川さんならではの視点から回答している所が特に目を引きます。今回はこの中の一つをご紹介したいと思います。

谷川さんが、子供からの質問に答えたやりとりで次のようなものがあります。
 

(質問)
 宿題が効率よくできません。
 なぜなら、ゲームのことばかり考えてしまうからです。
 どうしたら、ゲームのことを考えずにすむでしょうか?
(利太郎 八歳)

(谷川さんの答)
 うちの人や先生に相談して、
 学校を休んで、
 宿題も勉強もしないで、
 ゲームのことだけを考えて、
 一日中ゲームをする。
 それが何日つづくかためしてみる。
 いつまでやってもゲームにあきないようだったら、
 ゲームを作る人になるための
 勉強を始める。

『星空の谷川俊太郎質問箱』より

突拍子もない、非常識とも思える谷川さんのこの回答ですが、これにはどのような意図があるのでしょうか?



「ゲームばっかりしちゃダメだからね!」

多くの方が幼少時代に通る道ではないでしょうか?ゲームに熱中しすぎるあまり、勉強やその他のことがおろそかになるというのは決して好ましい状況とは言えません。しかし、「分かっちゃいるけどやめられない」くらいに、ゲームには人々を熱中させる魅力があります。

質問者の利太郎くん(8歳)もおそらく保護者の方から、「ゲームばっかりしちゃダメだからね」というしつけを受けているのでしょう。そのこと自体は間違いとも言いづらいのですが、どこかで「ゲーム=出来ればしない方が良いもの=悪いもの」という大人の意図が見え隠れしています。

谷川さんはこういった前提を踏まえて、ゲーム自体を悪者と切り捨てるのではなく、あえてこのゲームの世界にどっぷりと浸かってみなさい、という自由で新しい視点を利太郎くんに提示しました。

ここでは、「ゲームのことを考えなくて済むかどうか」という視点はもはやなくなっていて、ゲームというひとつの物事に対して一心にぶつかっていく時間を作ってみましょうという提案がなされています。

それはつまり、自分にとってゲームとは何なのか?を見極める、ということです。

ゲームとは宿題の邪魔になる程度のものなのか?
それとも、一生をかける価値のあるものなのか?

前者であれば、今後、節度をもって付き合っていくことになるでしょう。しかし、後者であれば、おそらくそこに是非を考える余地はありません。もしゲームが自分の半身とも言えるほどのものであるなら、一生をかけて打ち込んでいくのに十分なものであるはずです。

谷川さんがあのように答えたのも、まずは自分にとってゲームとは何なのか?=本当の自分とは何なのか?を知る必要があったからなのです。



この本当の自分のことを、禅の教えでは「本来の面目《めんもく》」と言います。

面目《めんもく》とは、顔のかたちのこと。よって「本来の面目」とは、真実の自己、ありのままの本性、といった意味になります。社会の通念、常識や是非、そのようなものをすべて取っ払ったとき初めて、本来の自分自身が見えてきます。

ゲームのことが気になってしまうのであれば、ゲームを捨ててしまうのではなく、ゲームにしっかりと向き合った上で自分自身で答えを見極めていく。そういったものの見方や考え方がこれからの人生において大切なのだと、谷川さんは8歳の利太郎くんに諭しているように思いました。

(もちろん、谷川さんのこの回答を本当に実践するためには、まわりの大人の理解が不可欠ですが)

ゲームのことばかりではありませんが、「○○ばかりしてしまう」という状況は、裏を返せば惜しみなく時間を使えるくらいに興味と情熱を持っているということです。それを単純に悪いものと切り捨ててしまうのではなくて、この「○○」にどっぷりと浸かってみてこそ、本当の自分というものが見えてくるのではないでしょうか?

ひたすらに「目の前のことに一心に向き合った」ことで得られた気付きは、私たちの人生をきっと豊かにしてくれるでしょう。

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