心の草取り~白隠禅師に学ぶ

山田 真隆
2025/8/15

『さしもぐさ』『へびいちご』『おにあざみ』『やえむぐら』『いつまでぐさ』。

これは白隠禅師の著書の名です。とりわけ雑草の類いの名称がつけられています。その意味は、雑草なので、本来は無い方がいい“要らざる言”として自著をへりくだっているためと言われています。

確かに仏教という教え自体、人間に問題が無ければ不用なものなのですから、それをこういった雑草の名前を付けることで示すというのは、洒落が効いています。

晩年には『草取歌』という、私たちの心にむくむくと沸き起こる煩悩・妄想を、田んぼに生えるいくら取ってもまた出てくる雑草にたとえて、その雑草を抜き、人間本来の生き方を勧める内容の著作を残しています。

「草を取るなら根をよく取りやれ またと意根をはやしゃるな」

『草取歌』の冒頭の一節です。

この一節を見て、そういえば「思う」という字にも、田んぼが入っているなあと気付きました。私たちは、心に思うことで、心の田んぼに草を生やしてしまっているということです。

草を生やし、根を張った「意根《いこん》」は、そのうち「遺恨《いこん》」になります。心に張った草の深い“根”がそのうち“恨”みに転じていく。そんなときには、その根をよく取っていくのがよろしいという、白隠禅師の教えです。


その草取りの時に欠かせない道具・鎌。

地面の草を鎌で根こそぎ取るように、心の煩悩の草を鎌の刃で取ります。刃の心と書けば「忍」の字ができます。忍は、単に堪え忍ぶことだけではなく、言偏(ごんべん)をつけると「認」となるように、認めていく、向き合っていくということ。

そうして刃の心が、自ずと心の草を取っていく。

ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さん(1927~2016、著書『置かれた場所で咲きなさい』で知られる。)の言葉に、
  

もし あなたが 誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに むしろ
あなたから ほほえんでごらんなさい
実際 ほほえみを忘れた人ほど
あなたからのそれを
必要としている人はいないのだから

他人に無愛想にされた時、自分の機嫌も悪くなる、そんなときどうしますか?
心に生えた不愉快という草を根から取るしかありません。

取るということは、刃の心で草を取って、認めていくことです。それは渡辺さんの文章では、「あなたから ほほえんでごらんなさい」という一節です。

加えて「忍ぶ」は「偲ぶ」ことでもあります。「偲」の字の如く、自他問わず、人を思うことにもつながります。不愉快という草を、微笑むことで転換していく。そうやって自分も活かし、周りも活かしていく。

草の生えていない田んぼは見るだけで清々しい気持ちになります。それと同じく、本当に自分の心の草取りをしている人を見れば、その人の顔や姿を見ただけで、自分の心もはたらき出して救われていく。

いつでもそんな心の草取りをしていきたいものです。

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