達磨図を描く:はじめに

山田 真隆
2022/4/10

禅寺を訪れた際に、ギョロリとこちらを睨むユーモラスな人物画を見かけたことはありませんか?この連載では、そんな「達磨図」の簡単な描き方をご紹介します。

お手本を見せて下さるのは、達磨図を長年描き続けておられる山田一灯師。ZENzine代表の山田真隆がテキストで解説します。難しく考えなくても大丈夫。ぜひ気軽にチャレンジしてみてください。(編集部)


禅僧による「悟り」の表現

ZENzine連載中の「禅の名僧」にも書きましたが、禅の祖師方は「悟り」というものと常に向き合ってきました。
やがて「悟り」が如何なるものかがわかると、それをどう表現するかに極力心を砕きました。

「悟り」とは極めて個人的な体験です。その自分だけの限られた体験を他者にどう表現するかについては、次のような言葉があります。
 

出身は猶《な》お易《やす》かるべし、
脱体に道《い》うは応《まさ》に難《かた》かるべし。
(『碧巌録』第46則「鏡清雨滴声」)

「出身」とは悟ること。それは難しいことではないといいます。そして、「脱体に道う」とは悟りを表現すること。これを達成するのは、なかなか難しいということです。悟っていない私からすれば、悟ることさえままなりませんが、禅の達人たちの難儀のしどころというのはやはり次元が違います。
 
ところで、禅の悟りの表現としてよく用いられるものとしては、まず「漢詩」があります。当サイトには平兮明鏡師の「漢詩講座」がありますので、詳細はそちらを見ていただくことにして、ここでは言及しません。

他には、何かを指さしたり、親指を竪《た》てたりなどと、体の一部を使うものや、太鼓を叩いたり、木の仏像を焼いたり、という奇行じみたことを行うものもあり、その方法は様々です。
 

禅を描く・悟りを描く

そういう中に、何かを描く(書く)という方法があります。

とりわけ、文字や文章を記す(この場合は「墨蹟」《ぼくせき》が挙げられます)のではなく、図形を描くことによって表現を試みる方法の中に、ここで取り上げる「達磨図」が含まれます。

図形の中でも、最初に描かれたのは「円相」です(円相については「禅の名僧:南陽慧忠」をご参照下さい)。円相はシンプルなものですが、それが徐々に複雑になり、後世には達磨図や、さらに精緻な水墨画も描かれるようになりました。

水墨画は単に風景を描いたものもありますが、特に禅の語録にある話頭《わとう》を題材にした水墨画は「禅機画」《ぜんきが》といわれ、中国で禅がもっとも発展した宋代(960~1279)によく描かれ、それらを専門に描く画僧《がそう》と呼ばれる者も出てきました。有名な雪舟《せっしゅう》(1420~1506頃)は、そんな画僧の一人です。

さらに、悟りを標榜するものとして、「頂相」《ちんぞう》があります。

頂相とは肖像画の一種です。もとは頭部を含んだ禅僧の上半身を描いたことから「頂相」と言いましたが、のちには全身を描くのが一般的となりました。

頂相は本来、悟りの証明として師匠から伝授され、その後も頂相に描かれた師匠の姿と常に向き合い、共に行に励むという意義をもって用いられます。そのため頂相の絵は、本人の容貌を彷彿とされるものでなければならず、理想化されることもなく本人の個性をそのままに、出来るだけ似せて描かれます。

この描写方法が頂相を通じて中国からもたらされたことは、日本の絵画文化にも大きな影響を与え、人物の描き方に新たな一面を加えることになりました。
 

達磨図とは「自分自身を描くこと」

この連載で取り上げる「達磨図」も、そういった頂相の一種です。ご承知の通り、菩提達磨は禅宗の開祖です。

発祥は中国唐代だといわれていますが、定かではありません。よく描かれるようになったのは、やはり宋代に入ってからのことです。本人の個性を直截に描写することは達磨図でも同じで、特徴的な長い髭、大きな目や鼻、丸められた頭などは、どの達磨図でも共通点として描かれています。

ただ、達磨図が頂相と異なるところは、頂相が「実在のモデルがあってそれに似せて描かれる」のに対して、達磨図は「モデルとなる達磨の容貌はわからない」というところです。
 
容貌が不明であることもあって、達磨図に描かれる達磨の顔は、先述の共通点こそあれども千差万別です。ネットで画像検索をかけるだけでも、いろんな達磨図が出てきますので、興味のある方は試してみて下さい。同一人物を描いていると思えないぐらいの多様さです。
 
このように考えると、達磨図というのは、とどのつまり達磨という人物を描いているようで、実は自分自身を描いているということになるのではないでしょうか。多様な像容も、それぞれに自分自身を描いているとすれば、合点がいきます。「人の数だけ達磨図はある」とも言えるでしょう。
 

気軽に描いてみましょう

これから描き方を紹介する達磨図は、多種多様なその中では比較的オーソドックスなものであり、あくまでも手本に過ぎません。描く人がそれぞれの達磨図を描けばそれでいいのです。

達磨図を描くとは自分自身を描くこと。つまり自分の心に向き合うこと。上手下手にこだわらず、また悟りの表現などと大仰に考えることなく、まず筆を手に取って気軽に描いてみてはいかがでしょうか。
 


達磨図講師

山田一灯(泰雲)

1944年、石川県生まれ。臨済宗国泰寺派 吉祥寺 現住職。
日本宗教画法学院より1996年に認定書を授与され、「一灯」の雅号を授けられる。
 



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