Love’s in need of Love today!!!
盲目のヒットメーカー、スティービー・ワンダー。
私が中学生ぐらいの時から愛聴している彼の多くの名曲の中でも、特に強い印象を受けるのが、「Love’s In Need Of Love Today」である。
数年前に佐藤竹善氏がコンサートでこの曲をカバーしているのを聞き、それも良かった。加えて、氏が予備校の講師よろしく英文法を解説するように、歌詞をコミカルに訳すのを聞いて、改めてこの詞の素晴らしさを知った。
この曲は多少変わった歌詞を持つ。佐藤氏がわざわざ説明したくなる気持ちも分かる。
その歌詞が、穏やかに降り注ぐ陽の光のような、明るく優しいメロディに包まれて心地よく流れる曲だ。
歌詞は、まずスティービー自身がラジオDJの設定で、世界に危機が迫っていることをリスナーに呼びかける。そしてサビの歌詞で、それがどういう危機なのかがわかる。つまりタイトルの「Love’s in need of love today」だ。
訳すと「今日、愛には愛が必要だ」となる。「人には愛が必要」ではなく。一見不可解な表現だ。
『般若心経』には「三世の諸仏は般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得、故に般若波羅蜜多を知る」とある。このままだと要領を得ないので大まかに訳すと「仏は智慧によって真理を得、その真理によって智慧を知る」となる。
一般的に見れば、これも主語は「人」なら話は分かる。迷ったり苦しんだりする私たち「人」が、智慧や真理の獲得によって心の安らぎを得ていくという解釈になるからだ。だが経文にはそうではなく、仏という、すでに智慧や真理を得ているだろう存在が、さらに智慧や真理を必要とするとある。
「愛には愛が必要」というスティービーの歌詞と、『般若心経』のこの一節、二つ並べて本意を紐解く時、共通の視点があるように思える。
それは、どちらも「人」であるべき主語が、愛や仏となっているのは、愛や仏が「人」の別の表現として使われているからである。つまり「人」には、愛や仏がすでに具わっていることを、このように表現しているのではないかということ。
当ウェブサイト『禅人』の「人」も、そんな意味を込めたつもりである。
また本来愛や仏が人に具わっているとしても、立派な道具を揃えていても使う人がいなければダメなのと同じく、それに気付き、機能するための愛や仏がないとこれまた意味がない。となれば、このコラムの文法に従うと、愛や仏という名の人が、同じく愛や仏という名の人には必要だということになる。
仏には仏の智慧が必要、
愛には愛が必要、
人には人が必要、なのである。
クドクド書いてきたが、「愛には愛が必要」という歌詞の持つ本当のメッセージは、そんなところにあるのではないかと考えて、またこの曲を聴いている。