漢詩徒然草(48)「路標」

平兮 明鏡
2025/6/1

今擔標柱獨登山 今 標柱を擔いて 独り山を登る
路已絶無雲霧閒 路 已に絶えて無し 雲霧の間
到此初知古來路 此に到って初めて知る 古来の路
誰擔標柱獨登山 誰か標柱を擔いて 独り山を登ると

路標 … 道標《どうひょう》、道しるべ
標柱 … 標識の柱


歩荷《ぼっか》という職業を知っていますか?

歩荷とは、通常、荷物を届けることができないような山の中に、荷物を担いで届ける、山専門の運搬の仕事をする職業のことです。背負子《しょいこ》という荷物を背負う道具を使って荷物を高く積み上げて、山道を「歩き」で運搬します。

この歩荷という職業を知ったのは、YouTubeチャンネル「ゲームさんぽ」(Wikipedia)の「歩荷の人と背負うデス・ストランディング」(*註)という動画シリーズを見たことがきっかけでした。


「ゲームさんぽ」は、本職や専門家の人をゲストに招き、その職業や題材を取り扱ったゲームの再現度や蘊蓄について、いろいろと語ってもらう企画です。

専門家ならでは視点で語ってもらうことで、普通にゲームをするだけではとても気付くことができないような知見を知ることができ、プレイ済みのゲームでも、見方そのものがガラリと変わってしまうような、そんな新鮮な発見があるとてもワクワクする番組です。

『デス・ストランディング(DEATH STRANDING)』は、コジマプロダクションにより2019年に発売されたゲームで、荒廃した未来のアメリカを舞台にストーリーが展開されますが、斬新なのはそのゲーム性で、一言でいうと依頼を受けて目的地に荷物を届けるゲームです。現在『デス・ストランディング』は、続編であるDEATH STRANDING 2: ON THE BEACHの発売が2025年6月26日に予定されています。

シリーズ「歩荷の人と背負うデス・ストランディング」は、本職の歩荷であるアキモトさんをゲストに招き、『デス・ストランディング』のプレイングを見てもらって、その感想や実際の歩荷との違いを話してもらいます。

『デス・ストランディング』自体は、現実の歩荷をシミュレートしたゲームではなく、未来のデバイスなども登場する、あくまでフィクションのゲームですが、とてもリアルに登山や歩荷が再現されていて、本職のアキモトさんにもいろんなオドロキや感銘があったようで、そのリアクションには笑いを誘うものがあります。

見どころ満載の動画ですが、その中でも特に感銘を受けたのが、アキモトさんの山の中で荷物を運ぶという仕事に対する思いです。そこには、ただ荷物を運ぶということだけでなく、人々の希望を運んでいるという自負が秘められています。


山の中というのは普通、車が入れない場所だったり、簡単には荷物を運ぶことができない場所だったりします。つまり、物を運ぶことができないために、そこにいる人は、やりたいことが思うようにできない状況にあります。

そんな場所に依頼を受けて荷物を運んで、その結果、その人がやりたいことができるようになる。そのような、人々に可能性と希望を与える仕事、それが歩荷の仕事だというのです。アキモトさんは、そこにやりがいを感じていて、要望さえあれば、いつでも荷物を担いで届けたいと言っていました。

アキモトさんは語ります。
 

ぼくは歩荷の業務で、山に立っている道標という木の柱のようなもの、その場所が何なのか記された、山頂だったり道の分岐点に立っているような道標を立てるという仕事をしたんですけど、とても自分の中ではロマンを感じたんですよね。

何でかっていうと、自分が山登っている時、登山、まだまだ始めたばかりのとき、その道標にすごい、今もですけど、道標に助けられてるんですよね。ここが何処なのか、ここを歩いたら何処に行くのか、何処に着いたのかということが道標によってわかる。

それ、何でそこにあるのかな?って、その頃考えたことなくて、いざ自分が背負ってみて思うのは、誰かがそこにその道標を運んで立ててくれたからなんですよね。てことは先人の歩荷がいて、確実に運んで立てたんだと思うんですよ。

僕は今回、その道標を、そんなに長い距離を背負ったわけじゃないんですけど、背負わせてもらって、その山の過去があって今がある歴史に加われたという感覚があったんですよね。一度立てたら10年20年30年はそのまま使うものなので、人が担ぎ上げたもの、それを山の多くの人が頼る。そういうものを背負う機会が自分に回ってきたってことがとても嬉しかったんですよね。

(【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング 最終話 セーフハウス~雪山編【DEATH STRANDING】より)

私たちの普段の生活の中では、道でないところを歩くことは、もはや、まずないでしょう。山登りですら登山道を歩きます。道ははじめからあるもの、整備されているもの、普通はそんなふうに考えてしまいます。

アキモトさんは、自分が道を作る側になって、それを実際に体験して初めて山の過去があって今がある、という歴史を肌で感じることができました。そして、その歴史に加われたことがとても嬉しかったと言っています。

道ができる前に、まず荷物を運ぶ人が入って資材を運んで道を作る――これは、山だけでなく、すべての道がそうです。山以外の道も、工事の人がまず始めに入って道を作ります。普段、道を歩いているときは思いもしませんが、私たちが道を歩いているとき、必ずその道を作った人がいるのです。


今回、アキモトさんの歩荷という仕事に対する思いに感動して漢詩にしたためました。アキモトさんの言葉をそのまま訳詩にしたようになってしまいましたが、今回はこれでよいと思います。

動画内では山の中で荷物を運ぶということについて、まだまだいろんな面白い話を聴くことができます。このシリーズは全4回で、最後にすべての動画のリンクを貼っていますので、是非、見てみてください。

・荷物の重量は何kgあるのか?
・背負子の荷物の積み方は?
・歩荷ならではの歩き方とは?
・ルートファインディングとは?
・歩荷で川を渡るときは?


などなど、新鮮なオドロキと発見が待っていること請け合いです。


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今擔標柱獨登山 今 標柱を擔いて 独り山を登る
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路已絶無雲霧閒 路 已に絶えて無し 雲霧の間
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到此初知古來路 此に到って初めて知る 古来の路
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誰擔標柱獨登山 誰か標柱を擔いて 独り山を登ると

平起式、「山」「閒」「山」上平声・十五刪の押韻です。

起句と結句は、見ての通り、ほとんど同じ内容になっています。これは、蘇東坡の「廬山は煙雨、浙江は潮」(初めての人のための漢詩講座 17から着想を得ています。

この二句と「路」は、同字重出の禁を破っているわけですが、「廬山は煙雨、浙江は潮」と同じく、まさに同じ内容の句であることが、このテーマを表すのに重要なのです。自分と先人との繋がりを、その同じ漢字の連なりで表現しています。




(*註)

【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング
1話 荷造り~出発編【DEATH STRANDING】

 
【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング
2話 渡渉~残置物編【DEATH STRANDING】

 
【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング
3話 わるい歩荷~エルダー訪問編【DEATH STRANDING】

 
【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング
最終話 セーフハウス~雪山編【DEATH STRANDING】




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