漢詩徒然草(49)「月山富田城」



峻嶺金城巖鐵壁 峻嶺は金城 巌は鉄壁
巨防削出萬年堅 巨防 削り出だして 万年堅し
頻停牛步汗流頰 頻りに牛歩を停めて 汗は頬を流れ
七曲羊腸徑向巓 七曲の羊腸 径は巓へと向かう
飛隼幾回過目睫 飛隼 幾たびか回りて 目睫を過り
長風一起入雲邊 長風 一たび起これば 雲辺に入る
斷崖直下三千尺 断崖直下 三千尺
正是月山人落天 正に是 月山 人 天より落つ
峻嶺 … 高く険しい峰
金城 … 堅固な城
巨防 … 要害
牛步 … 牛のように遅い歩み
七曲 … 月山頂上に続く難所。後述
羊腸 … 羊の腸。転じて曲がりくねった山道
目睫 … 目とまつげ。転じて非常に近い距離
雲邊 … 雲のあるところ
三千尺 … 約1000m。1尺は約30cm
「難攻不落」という言葉があります。攻めるのが難しく陥落することがない、という意味ですが、「陥落することがない」というよりは「なかなか陥落しない」という程度のニュアンスで用いられることが多い気がします。
しかし、本当の「難攻不落」、一度も落ちることがなかった城が、この「月山富田城」です。
月山富田城は、島根県安来市《やすぎし》にあった城で、今はその跡地になっていますが、国の史跡に指定され、史跡公園として整備されています。しかし、公園と言っても、それは難攻不落と呼ばれる、敵を一切寄せ付けない戦《いくさ》のための山城。その道はとても公園と呼べるような安穏としたものではありませんでした。
安来市観光ガイド「月山富田城跡」には、次のようにあります。
月山(がっさん)の一帯にあり、戦国大名尼子氏歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした月山富田城は、その規模と難攻不落の城として戦国時代屈指の要害でした。また艱難(かんなん)辛苦に耐える悲運の武将・山中鹿介の出た城として有名です。
尼子氏滅亡後、毛利氏、吉川氏の時代には、山陰地方支配において、月山富田城は重要な役割を果たしました。関ケ原の戦いの後には、堀尾氏が月山富田城に入り、松江城に至るまで統治の拠点としました。
月山富田城は標高約190メートルの月山山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城です。菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても主山の月山に登って防ぎ、頂上には堀を築き守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています。
月山富田城は、お隣の松江市の市街地にある松江城とは対照的に、完全に戦のための城塞で、実際に登ってみることで、それが天下の要害であることを肌で感じることが出来ます。観光でよく巡るような天守閣のある城とは一線を画しており、殺意むき出しなところが、とにかく新鮮で、そこに感銘を受けました。
特に印象的なのは、三ノ丸、二ノ丸、そして最後の本丸へと通じる、急峻な一本道「七曲り」で、道というよりは断崖絶壁としか形容しようのない防衛線です。これを進まねばならなかった敵軍の兵士は、登る前からその士気を挫かれたことでしょう。
これは、さすがに写真で見てもらうのが一番です。しまね観光ナビ『ガイドとめぐる日本100名城「月山富田城跡」。島根が誇る戦国時代屈指の要害へ』に、詳細なルート案内がされていますので、そちらのリンクも是非読んでみてください。
突如として目の前に現れた、戦国の時代の戦争のための山城。さて、この圧倒的非現実感と徹底した実戦主義を、どう詩に表現するか? 今回は、そこに腐心しました。
峻嶺金城巖鐵壁 峻嶺は金城 巌は鉄壁
巨防削出萬年堅 巨防 削り出だして 万年堅し
その切り立った峰こそが堅固な城であり、その巌こそが城壁である。岩盤に自然の要害を削り出して、一万年であろうと落ちることはない。
頻停牛步汗流頰 頻りに牛歩を停めて 汗は頬を流れ
七曲羊腸徑向巓 七曲の羊腸 径は巓へと向かう
いざ、本丸まで登ろうとしても、頻りにその遅い歩みを停めて、頬を伝う汗を拭わずにはいられないし、とても道とは思えない「七曲り」は、真上を見上げてはじめて、頂上へと向かっているのがわかる。
飛隼幾回過目睫 飛隼 幾たびか回りて 目睫を過り
長風一起入雲邊 長風 一たび起これば 雲辺に入る
飛翔する隼が旋回したかと思えば、まつ毛の先ほどの距離を通り過ぎてゆき、遠くから一陣の風が吹いてきたかと思えば、それはたちまち雲まで届かんとする勢いだ。
斷崖直下三千尺 断崖直下 三千尺
正是月山人落天 正に是 月山 人 天より落つ
真下に1000mはあろうかという断崖絶壁。ここ月山富田城の攻城戦は、まさに天から人が降って来たかと錯覚するであろう。
今回、当時の感動をどのようにして伝えようかと思案するにあたって、特に眼目としたところが「自然の要害であること」と「とにかく高く険しいこと」です。そして、その方法として誇張表現を多用しました。
前半は「要害を削り出した」「一万年であろうと落ちることはない」など「自然の要害であること」を、一方、後半は「隼がまつ毛の先を通り過ぎる」「風が雲に到達する」など「とにかく高く険しいこと」を、誇張表現で表しています。
最後の「斷崖直下三千尺」は、李白の「望廬山瀑布(廬山《ろざん》の瀑布を望む)」の一句「飛流直下三千尺」から借りてきています。実際の月山の標高は190mですので、これはかなりの誇張です。なお、李白の「三千尺」も滝の長さとしては、もちろん誇張表現になります。
そして「天から人が降って来る」という表現。これも李白の「望廬山瀑布」から着想を得ています。人が転落するのに、その岩壁からではなく、天からというところに、この城は侵入者を真に殺しにかかってきているという恐怖が伝わればと思い、これを最後の締めとしました。
市街地にある天守閣も山間部の山城も、それぞれ違ったよさがありますが、振り切ったものは何であれ、強烈なインパクトを与えるものです。この月山富田城は、まさにそれ。そんなインパクトには、それを超える誇張表現を以て表現する他ないでしょう。
●●○○○●●
峻嶺金城巖鐵壁 峻嶺は金城 巌は鉄壁
●○●●●○◎
巨防削出萬年堅 巨防 削り出だして 万年堅し
○○○●●○●
頻停牛步汗流頰 頻りに牛歩を停めて 汗は頬を流れ
●●○○●●◎
七曲羊腸徑向巓 七曲の羊腸 径は巓へと向かう
○●●○○●●
飛隼幾回過目睫 飛隼 幾たびか回りて 目睫を過り
○○●●●○◎
長風一起入雲邊 長風 一たび起これば 雲辺に入る
●○●●○○●
斷崖直下三千尺 断崖直下 三千尺
●●●○○●◎
正是月山人落天 正に是 月山 人 天より落つ
七言律詩・仄起式、「堅」「巓」「邊」「天」下平声・一先の押韻です。
望廬山瀑布二首其二(廬山《ろざん》の瀑布を望む 二首 其の二)
飛流直下三千尺 飛流直下 三千尺
疑是銀河落九天 疑《うたご》うらくは是れ 銀河の九天より落つるかと
という転結句が非常に印象的な詩ですが、これは以前に漢詩徒然草(26)で取り扱った「望廬山瀑布」の連作の二首目になります。「其の一」については前回のリンクを参照してください。
前回は五言古詩、今回は七言絶句です。古詩は長い分、思うさまを長々と述べることが出来ますが、絶句はほぼ状況描写に留まっています。双方とも李白の思いを述べていることには違いはありませんが、どのような印象の違いがあるでしょうか?
また、内容が一部酷似していますが、その表現方法は違います。こちらもどのように違うか確認してみてください。
日照香爐生紫煙 日は香爐を照らし 紫煙を生ず
遙看瀑布挂前川 遥かに看る 瀑布の長川を挂《か》くるを
飛流直下三千尺 飛流直下 三千尺
疑是銀河落九天 疑《うたご》うらくは是れ 銀河の九天より落つるかと
香爐 … 香爐峰。廬山にある峰。景勝の地
瀑布 … 滝
飛流 … 飛ぶような激しい流れ
九天 … 天の最も高いところ
日の光は香爐峰を照らして、紫の靄《もや》を生じ、
遥か彼方に、滝が長い川を掛けているかのように流れているのが見える。
その激しい流れは、直下1000mを飛ぶように落ちてゆき、
銀河が天空より落ちてきたかと疑うほどだ。
←漢詩徒然草(46)「春日降雪」へ